10.お嬢様は少々オカシイ(2)
一体何が起こっているのだろうか、と考えるアリーファ。なんとなれば、目覚めて以来のエイレンの様子は、普段と変わらないようでいて明らかにおかしいからである。
例えばアリーファに向かって「せっかくだからゆっくりお話しましょ」と言うとか。師匠に向かって指1本触れるどころかデレた顔1つせず「大変にお手数をお掛けしたとのこと、誠に有難う存じます。今宵はごゆっくりお休み下さいませ」と丁寧な挨拶であっさりと別れるとか。
師匠は変わらず穏やかな顔で「はいお休みなさい」などと言っていたが。もしかしたら実はものすごく気にしているかもしれない、というところが気になるアリーファである。
「ねえ、倒れる前と後とで何か考えが変わった?」
と、問えば、完璧な角度で小首を傾げての返事は「いいえ全く」であった。
そして。
「わたくしは床で平気だから、あなたベッドをお使いなさいな」
先程浴場に案内されてあれこれ世話を焼かれた時も思ったのだが、やはり何か違う。エイレンは親切な時は親切だが、こういう時には平気で相手を踏みにじる方ではなかっただろうか。
「えぇ!一緒にベッドでいいよ!」
「あなたご自分の寝相を考えてからおっしゃい」
というやりとりは何だか普段通りなのだが。それにしても。
「だって寝ながらおしゃべりしにくいじゃない!」
「ベッドに入った瞬間に眠れる方が何を仰っているのかしら」
というわけで2人は、神殿のやたらと広い食堂の隅に居る。エイレンの自室にあるテーブルらしきものといえばどっしりと置かれた書き机しかなく、とても「おしゃべりしながらお茶」という雰囲気ではなかったからだ。
食堂もまた造り付けの四角い石のテーブルが間をあけて寘かれ、そこに簡素な木の椅子が並んでいるだけの殺風景な場所であったが、それでもこっちの方がまだマシである。
「ねぇ、あの部屋ってずっとああだったの?」
エイレンが慣れた様子でキッチンから運んできたハーブティーを1口飲んでアリーファは尋ねた。薔薇とジャスミンの甘い香りがするお茶をイチ押しだと言われた時には意外な気がしたものだ。エイレン自身とも、その部屋ともあまりに似合わないような気がして。
小さな窓が1つあるだけの、剥き出しの石の壁と床の部屋は牢獄のようでさえある。あの部屋でずっと過ごしてきたのだとしたら、性格が歪んでも仕方がない、とアリーファはおそらくは辛い思いをしたであろう『一の巫女』の幼年期を思い内心涙していたのだ。
が。
「いいえタペストリーと絨毯を取り払ったのは最近よ?帝国から戻ってからだもの」
エイレンはあっさりと否定してみせた。
「前は部屋なんて帰って眠るだけのものだと思っていたから、特に気にしていなかったのだけれど、好きに変えると落ち着くものね」
「あれ好きなんだ」
「そうよ」
にこやかに頷くエイレン。以前は神殿の姫に相応しく、華美ではないが人の手が丁寧に掛けられたそれなりに立派なものに囲まれていたのだ。それらの調度や織物は、立場や義務と同じように、好きでも無いが嫌いになるというほどの情熱も持てないものだった。
ただ全てを淡々と受け入れ、すべきことを行い、終わりが来るのを待つだけだった日々。それと比べると今は、同じ場所で同じように動いていても、なんと恵まれていることだろう。
「絨毯くらい入れたら?石の床は冷えるし固いし」
アリーファがもっともなことを言い「要らないわ」と返事されて「やっぱりね」とわずかに肩を落とす。しかしエイレンとて別に苦行目的でそうしているワケではないのだ。
「絨毯など敷かない方が、つながっている気がするでしょう?」
「目抜き通りの石畳に?」
なるほど、アリーファにとってはそうなのか、と頷くエイレン。実家が目抜き通りの中にあるアリーファにとって、そこは慣れ親しんだ道なのだろう。
エイレンにとってそこは、アリーファと初めて精霊魔術を使った山道であり、短い間暮らした精霊魔術師の館であり、リクウに初めて出会った森の中であるのだが。
そうしたことは説明せず、ただひと言でこう答えたのだった。
「心にある懐かしい場所に」
※※※※※
翌日。アリーファはハンスさんにがっちりホールドされつつエイレンと別れを惜しんでいた。
「また会おうね!」
「ええ。きっとまたすぐにお会いできるはずよ」
通常なら喜んで突きまくってきそうな光景もキレイにスルーして普通の挨拶をするエイレン。昨夜も今朝も原因が分からないままだが、やっぱりオカシイ。
「師匠も、扱いが悪くて申し訳のうございますけれど途中で落ちたりはないと存じますので」
昨日から変わらずの他人行儀な敬語を向けられたリクウは安定の曖昧スマイルで応じている。
「わかりました。行きもそうでしたから大丈夫ですよ」
その手は、虜囚よろしく縄で縛られ、縄の端を持つのはアリーファだ。「だってヤロー運ぶのイヤなんだもん俺!」という神様のワガママにより、この扱いとなっているのである。
「ところでアリーファが師匠の手綱を握っている状態はいいのかしらハンスさん?」
急にイキイキとし出したエイレンを見て(あー対ハンスさんだけ通常営業なんだ)と生温い目を向けてしまうアリーファである。
「えー俺そんなのに目くじら立てるほど心狭くないよ?」
むしろ俺がコイツの手綱握ってる方が画的にイヤじゃない?と尋ねられ、しばらく想像するエイレン。
「……皇帝位簒奪後に前政権の姫と奴隷をハーレムに入れようとしてウハウハなフェロキス帝?」
いいわね歴史の1画面ね!とのコメントにハンスさんは大笑いし、奴隷役は曖昧スマイルを微苦笑に変換させたのであった。
「じゃあ行っくよー」
ひとしきり笑ったハンスさんが気軽に声を上げると、一瞬の後に彼らの姿は空気に溶け込むように消えていった。
「行ったわね」
話し掛けるともなしに背後に呟けば、ぼそぼそとした声が返ってくる。
「初代皇帝を貶めるのはやめて下さい」
「あら別に貶めてなど。ハンスさん以上の博愛主義者だと感心しているだけよ」
「ハーレムは作ってませんから」
「そうそう、ハーレムではなく手当たり次第に寝所に引き込んだだけだったわね確か」
あまりの言われようにルーカスが顔をしかめる。事実であれば何でも口に出して良いワケではないだろうに。
「聖女ぶった反動をこっちに持ち込まないで下さい」
「あらバレた?」
「バレいでか」
エイレンがおかしそうに声を上げて笑い、ルーカスはそっぽを向く。
「どういう気まぐれなんですか。彼らも戸惑っていましたよ」
「ちょっとした事情があったのよ」
倒れていた数日の間に見た、とりとめのない長い夢。様々な人生を渡ったかのようなその夢の最後に師匠の姿があった。彼の灰青色の瞳と目が合った時の気持ちのほどけようは、これまでの比ではなかった。
そして夢から醒めた後に同じ瞳が覗き込んできた時も。これはダメだ、と瞬時に悟ってしまったのだ。『お父さん』呪文の効力も怪しいレベルでヤバい。普段通りにデレたら確実にどこかで襲ってしまいそうだった。今は、そのようなことに現を抜かしている場合ではないというのに。
最優先は帝国との取引を有利に進めることだ。これもまたエイレン自身の望みであり、望みは1つも叶えられればもう、それでじゅうぶんなのだ。余りに多くの望みを叶えようとするのは、そのために切り棄てねばならないものの重さ故に、かえって辛い。
こうしたことが久々に『一の巫女』的に『周囲に親切丁寧に接しつつ一線画す』スタイルをとった理由であるが、それを誰にであれ、わざわざ説明する気は毛頭無いのである。
「協議がすぐに始まるわ。あなたも来るでしょう?」
「もちろんです」
ルーカスが頷き、2人は石造りの廊下を足早に歩き出したのだった。




