9.お嬢様は治療を受ける(3)
『人畜無害で仕事をとっている精霊魔術師』という、どこをとっても胡散臭い前振りで紹介されたその男を見てルーカスがまず思ったのは「スパイ向き」ということだった。
長身である以外にこれといって特徴の無い容姿、常に口許に浮かぶ曖昧な微笑。清潔感があり婦女子からのウケは良さそうだが、別れて半日後に「どんな人だった?」と聞かれたら10人中9人までが「……あれ?」と首を捻るだろう。これで身長がほどほどであれば、情報収集の任務に最適であるに違いない。
しかし彼はその男に確かに見覚えがあった。というか、1ヶ月ほど前まではしばらくの間、よく顔を合わせていた『師匠』ではないか。なんだコイツか、というのが正直な心境である。
「あなたが精霊魔術師だったとは思いませんでした」
てっきり神魔法の方の師匠かと思っていたのだ。ボソボソと言うルーカスに、リクウは安定の曖昧スマイルを向ける。
「わざわざ言ってませんでしたからね。最初はすぐ帰る予定でしたし」
帝国での滞在が思いの外長くなったものの、改めて自己紹介をするような間柄でも無く、顔を合わせた時に2言3言話す程度だったのだ。
確かにエイレンが彼にデレていたのは知っているが、別に絞め殺したくはならないだろう、と思う。帝国滞在中も帰国の船でも、ルーカスにとってこの男の存在感はその程度なのだ。
「この度はウチの娘がご迷惑を掛けてまして」
「いえ使者殿の護衛は任務ですからお気になさらず」
あくまでも『師匠』を貫くつもりであるらしい相手にこれ以上どう警戒しろと?と神様を見れば、その口が声を出さないままに動いていた。
(ワザとらしいお父さんぶりがムカつくよなぁ)
ともあれ。エイレンは神殿の自室に寝かされており、そこに案内すると精霊魔術師は早速、彼女の額に手をかざして様子を診ている。
アリーファが「ジャマになるから2人ともあっち!」と神様とルーカスを追い出していると、彼は振り返って「すみませんがアリーファさんも」と言った。
「集中したいので出てくれませんか」
「そんなにひどいの?」
「ひどいというかややこしいというか……」
曖昧な微笑を口許に残したままチラッと神様を見たその目が「ケアもロクにできないならこんな術使うなよ」と冷たく吐き捨てているような気がするのは気のせいだろう、と自分に言い聞かせるアリーファである。
「どうする?」「待つだろう普通は」「あーゴメンね俺仕事!」
結局追い出された3人は目を合わせて相談し、元凶のはずの1人がさっくり外し、他の2人は待機、という流れになったのであった。
※※※※※
「さて」
眠る娘に1人向き合い、リクウは集中を高めるために深呼吸をする。
あらかじめ神様から聞いていた説明と現在の状況を併せて考えるなら、彼女に宿る精霊―――すなわち魂―――は明らかに惑っている。ハンスさんは千年前に引き戻した魂を、また現在の状態に一気に変えるという荒技で「一応ケアした」つもりであったようだが、その結果として魂の有り様はちぐはぐなものとなってしまったのだ。
これをすっかり元に戻すのは、魂を千年前に引き戻す禁術のような大技ではないが細かく神経を使う術である。
エイレンの自室は幸い、精霊魔術を使うには適していると言えた。精霊はあらゆる物に宿るが、その有り様を定められがちな人工物より自然物に近い物の方が力を借りやすい。
これが神殿の姫の自室、と言われても誰も信じないだろう程に必要な物以外は何もない部屋。簡素というよりは殺風景ですらあるが、周囲の自然物に宿る精霊を阻害する物がそれだけ少ないということでもある。
タペストリーの掛かっていない剥き出しの石の壁からは確かに、原始から存在する彼らの、より力強い波動を感じることができた。まずはその協力を得ようと、精霊魔術師は特有の言葉で囁くように静かに語りかける。
やがてエイレンの身体を、ぼんやりと柔らかい光が包み込んだ。
魂を少しずつ変化させて現在に近付ける。術が進んで行くに従って、眠る娘の髪はゆっくりと色を変える。黒から焔の赤、金、白、茶、銀……時折、薄く開かれる瞳の色も同じように様々な色に変わっていく。
髪の色が再び金に戻り、少ししてその目が薄く開けられた。瞳が蜜色に染まっているのを確認し、リクウはほっと息を吐く。このまま色が変わらなければ、状態が安定したと考えて良いだろう。
しばらく待っていると、再びエイレンの目が開く。蜜色の瞳は、今度はすぐに閉ざされることなく宙を彷徨い、やがてリクウの姿を捕らえると一瞬、嬉しそうな笑みを浮かべた。手を伸ばしその金の髪を撫でてやれば、彼女の目は安心したようにまた閉じられる。
やがて、その僅かに開いた唇からは、静かな寝息が漏れ出したのだった。
※※※※※
エイレンの力無く意識を失った姿はアリーファにとってはショックだった。明らかに普通に寝ているのではなく、このままどこか手の届かない所に行ってしまいそうな不安を感じる。
それを口に出すと現実になってしまいそうで、彼女は師の術が終わる間こう繰り返しながら、石造りの神殿の廊下をうろうろ行ったり来たりしているのだ。
「絶対大丈夫だよね。エイレンだもの」
「そうですね」
ボソボソと同意するのはエイレンの護衛に付けられた青年である。この女に護衛なんか要るの?とその根本的なところを問えば「皇帝陛下にはこの方が可憐に見えるようです」と返されたのは帝国に行っていた頃の話だ。
昼でも日差しの差さない神殿の奥にいると、時間の感覚が無くなってしまいそうになる。ウロウロするのもいい加減疲れ、冷たい壁にもたれて座りながら「絶対大丈夫だよね」「そうですね」と繰り返していると、リクウがエイレンの部屋から出てきた。
「師匠!どうだったの?」
ぱっと立ち上がって駆け寄ると、やや疲れた曖昧スマイルが少し緩んだ。
「今は眠っていますが、起きたらもう大丈夫ですよ」
「良かったぁ!さすが師匠!」
アリーファは小さな子供のように両手を挙げてピョンピョンと跳びはねていたが、ふと動きを止めた。
「おっその感じはうまく行ったんだな?!ほいこれ差入れ」
両腕に焼き菓子を抱えて戻ってきたハンスさんに、冷たい眼差しを投げる。
「薄情者が帰ってきた」
「ああっ心が痛い!」
「アリーファさん、大丈夫ですよ」
胸を押さえてしゃがみ込むハンスさんになおも「最低だよね」等の言葉を浴びせようとしたアリーファを、リクウがにこやかに抑えた。
「この方、施術の間ずっと覗いていましたから」
「まじで」
「ええ。おかげで集中するのに少しジャマでしたけれど、まぁそれだけ心配だったんでしょうね……でも良いんですかアリーファさん」
「なにが?」
「色々と事情はあるのでしょうが……その。少々無責任で、覗き趣味のお方でも、その、今後、というか」
言いにくそうにしながらもキッチリ吐き出されるイヤミにハンスさんはまた胸を抑えてのたうち、アリーファは「うーん」とうなった。
「その辺はちょっと考えとく」
純情な乙女の判断は、割かしシビアなものなのだ。
読んでいただきありがとうございます(^^)
ちなみにチラッと出てきた水鬼や霊鬼、言葉は日本の鬼伝説から借りていますが設定はまるきり創作です。この世界ではこういう妖怪的なものをひとまとめに「邪鬼」と呼んでるんですよ、的な受け取り方をしていただければm(_ _)m




