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8.お嬢様は眠り続ける(2)

意識が混濁しているのだろう。彼女はまた「カロス」と呼びかける。その男の名がごく自然に甘やかな響きを帯びるのを、ルーカスは呆然と聞いた。


「もう少しこちらに来て下さる?」


暗くてよく見えないが、どうも普段の性格などおくびにも出さず、可愛らしく小首などかしげているようである。しかもそれはカロスなどという、ルーカスが全く知らない男のためなのだ。苛立つどころの話ではない。


しかし、よせ、と思うのに、抗い難い力がルーカスの身体を動かし、寝台へと向かわせる。半ば以上ヤケになって彼女の隣に腰を降ろすと、まだ熱のある身体がぴったり寄り添ってきた。その頭が当然のように、肩にことん、と載せられ、柔らかな花の香が鼻孔をくすぐった。


うっかり彼女の肩に腕を回しそうになるのを「ちょっと待て!」と抑えていると、頭が不思議そうに肩から少し持ち上がる。その手がもう1度彼の手を捕らえ、指に指がそっと絡んでくる。つないだ手を膝の上に置き、これで通常営業と言わんばかりに頭が再び彼の肩に軽く載せられた。


「あなたの国に行ったわ」


ルーカスが黙っていると、ぽつりぽつりと言葉が続けられる。


「あなたの弟さんに会って、白い花が咲く丘の大きな木の下にあなたの骨を埋めて、あなたの故郷を眺めたの。あなたも知ってるでしょう?故郷には帰られた?弟さんに会えた?」


1つ1つ、黙ったまま頷いてやると、彼女は安堵したように小さく息を吐く。


「帝国はどこも光に満ちていたわ。あなたが言う通りだった。拓こうと思えば貧民にも道が拓ける。飢え死にすることはあっても、誰も絶望はしていないように見えた」


ルーカスが黙ったままでいると、暗がりでも分かる蜜色の瞳が覗き込んでくる。きっとカロスという男も自分と同じく、生粋の帝国北部の民の特徴を備えていたのだろう。そう思うと苦々しいものが胸から込み上げてきそうで、ルーカスは彼女の手を再び握り直した。


「そうよね?」


確認され、再び黙って頷く。


「聖王国は反対ね。手厚く守られた結界の中で、人は同じ場所で与えられた人生を生きて死んでいく。誰もが、求めなくてもそこそこ満たされる。飢えることはないけれど、誰もが軽い絶望を知っている」


考え込みつつ紡がれる言葉は確かに、聖王国での短い滞在の中でもルーカスがしばしば感じたことだった。穏やかで優しい風景の中で人々は、もちろん普通に笑ったり怒ったりしつつ生活しているのだが、その奥底には共通してひっそりと静かな、温度のない何かが潜んでいるのだ。


「あなたはこんな国を守るために、わたくしが犠牲になる必要はないと言っていたわね。帝国なら1人の人間として自由に生きられる、そうするべきだと言ったわね」


そうだったのか、と曖昧に頷くと、微笑みが返された。


「言ってもらえて良かったわ。帝国は本当に楽しかったもの。でもね、あなたの買い物はやはりわたくしにはモノ過ぎたわ」


何の役にも立たない、己の望みを通そうとすることがいかに難しく辛いか分かったわ、とボヤかれ、それはそうだろう、とルーカスは思う。


彼女のすることといえば、役に立つこと以外はロクなことではなかった。人をオモチャにするとか、からかい倒すとか、変態なこととかばかりだったではないか。


「探してみれば望みというのも見つかるものだけれど、それにフタをする方がよほど簡単だ、と言ったら、あなた怒るかしら?」


いや彼女の場合はそうした方が世のため人のためだなどと思っては、このカロスとかいう男は怒るのだろうなきっと。だが怒るなら、こんなにも危うい存在(もの)を残して世を去るべきでは無かったのだ。


彼女は表向き自己中心的なまでに意志を通す強さがあるのに、それを支えている心はあまりにも脆く儚い。


「でも今度は、己自身でそうすることに決めたの。慣習を押し付けられたからとか、立場だからとかではなく、それで構わないと決めているのよ」


だから許していただける?と問われてルーカスは首をひねった。何の話かがよく見えないのだが。そんな彼の様子に、エイレンは静かな口調で説明を足す。


「きっと近い将来、側室入りの内示が下るはずだわ。姉が全く使い物にならないから」


なぜ急にその話になるのか見当のつかないルーカスであったが『側室』という言葉はじゅうぶんに衝撃であった。


感情の全く見えない、淡々とした説明が続く。


「そうなった時には、もう逃げないと決めているの。こんな国でも、わたくしには大切だと分かってしまった。あなたを死なせた国なのに滅ぼせなくてごめんなさいね」


側室と国の存亡の因果関係も全く掴めない。分かるのはただ1つ、もしそうなったら彼女は永久に手の届かない所に行ってしまうということだけだ。それだけで、このバカげた『カロスごっこ』を即止め、どういうことなんだ、と問い詰めたくなる。


それができないのは、今2人の間にある全てが、通常の2人では有り得ないものだからだ。寄せられた温もりも、繋がれた指先も、暗がりでもはっきりと分かる少し甘えたような表情も。


ちっとも喋ってくれないのね、と彼女は囁き、問い掛ける。


「怒っているの?」


ルーカスは黙って首を横に振り、熱の残る細い身体をそっと抱きしめたのだった。

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