7.お嬢様は鉱床を案内する(2)
精霊は実体も意思も無い微弱なエネルギー体だが、あらゆるものに満ち、そのものをそのものたらしめる。中でも命あるものに宿るそれは、古来より魂と称されてきた。
魂は宿るものによって有り様を変え、また魂の有り様は宿るものを変える。
かつての魂の記憶を呼び覚ますべく、眠る女の全身に口づける。片手に収まる足の、指がやや長い爪先、くるぶしの裏のくぼみと丸みを帯びた踵、締まった足首。無駄な肉の一切ついていない硬い脚と腹。
死んだように力の全く入らない冷たい身体に不安が誘われるが、胸に口づければ脈打つ心臓がその命を伝える。甘い香りが漂う頭を抱え込むようにして息をかけると、髪が輝くような金から漆黒へと色を変える。
最後に閉じたままの瞼に、あのひとの想い出のありったけを伝えれば、やがて、ゆっくりと彼女が目を開く。夜闇よりもさらに黒い黒曜石の瞳はしばらくぼんやりとあたりを見回していたが、彼の姿を捕らえると嬉しそうに瞬いた。
エイレンと良く似ているが、それより柔らかく丸みを帯びた声が響く。
「あらそんな疾しいお表情をなさって。いいのよ?あなたが浮気したからって、このわたくしが何か思ったりするワケがないでしょう?」
「千年ぶりの第一声がそれかいっ」
思わずつっこむハンスさん。「千年ぶり」と呟くそのひとを抱きしめる口元には、自然と笑みが浮かんでしまう。
「リィレン、会いたかった」
「だったらもっと早く呼びなさいよ。千年も待たせて何言ってるの?」
「待ってなかっただろうがっ」
「あらバレちゃった」
「じゃねぇっ!」
そうだ、長年会わない間に彼の中で若干美化され、世間的には大幅に美化されて聖女のように崇められているが、聖王国初代女王はもともとこういう性格だったのだ。
ハンスさんはがっくり肩を落とす。
「お前は会いたいと少しも思ってくれなかったのか?」
「ゴメンね、まったくもって」
「亡くなった時に言ってたあの言葉は嘘だったのか?」
何度生まれ変わってもあなたに恋をするわ、などと言われたのを半ば本気で待ち続けていたのに、まさか今更。と確認すれば、てへ、と可愛らしい照れ笑いが返される。
「うん、ちょっとウザかったから適当に耳障りの良いこと言ってバックレただけー」
しかし台詞の内容はちっとも可愛らしくなかった。そして割と最近、どこかで聞いたことであった。本人から言われるとまた衝撃が違うもので、ハンスさん既に涙目である。
「ウザいって……マジか」
「あなたが悪いのよ?人の一生が短いことにも気付かず、よそ見ばかりしているから」
そろそろ離してくださる?と言われてしぶしぶ抱擁を解くハンスさん。
「そ、それはだなぁっ……いやでも亡くなってからは、ずっとお前のことだけを想って……」
「それが何になるの」
しどろもどろの言い訳は、冷静な指摘の前に四散する。
「しかもどうせ新しい娘が気になり出したから、そろそろ良いですか千年も経つしー?とか聞くためにわたくしを起こしたんでしょう?会いたかったなどと笑わせてくれるじゃない」
うっと詰まるハンスさんに、瞳の奥にブリザードを刷いた極上の笑顔が向けられる。
「よくってよ、どうぞご自由に?このわたくしが嫉妬などするワケがないでしょう?」
「いや、お前がイヤだったらやめるから!」
神様は必死に言い募る。新しい娘には『元嫁説得する』と約束したものの、実際に大好物の背筋も凍る笑顔を向けられると、なかなか「分かってくれ」とは言いにくいのだ。
「何を今さら」
生きている時に実行して欲しかったわぁその台詞。と遠い目をする女王様。
「だってお前は別にいい、って言ってたじゃないかいつも!」
「そう、いつもね。言われなきゃ分からないどころか、何度繰り返しても分からないなんて最低のクズよね。死んだ今だから言うけれど」
「……本当に最低のクズでスミマセン」
「謝ったからといって許すとでもお思い?」
「許してくれないのか」
ハンスさんはしょんぼり肩を落としている。
「許してないから、今まで1度も俺を望んでくれなかったのか」
「違うわよ。あなたにはもう飽きたから」
あっさりと言われた内容が衝撃的すぎて、思わずよろめく夫を、リィレンは手をのばし、がしっと受け止めた。
「ねえ、わたくしは何度も転生して、その度に別の人を愛したわ。今から思うと一時の夢のようだけれど、どの時も、喜びも苦しみも一生分味わった。あなたの時もよ」
もうこれ以上ないほどに愛していたし、愛されていたのも覚えているわ、と穏やかな声に、泣き笑いのような表情で頷くハンスさん。
「だからもういいのよ。許す許さないではなくて、それも全部含めて、もういいの……だからあなたも、自由になさって」
「俺が自由にしたら、イヤじゃないのか」
「ないしょ」
くすり、と笑うリィレン。
「今後のことはわたくしのせいにせず、あなたがご自分でお決めなさいな。いいわね?」
「はいワカリマシタ」
本当にヘタレなんだからもう、と優しくボヤかれ、ハンスさんは大きな身体をなるべく小さく縮めた。
「ではわたくしそろそろ」
「もう行くのか」
「あら、わたくしは今この娘なのよ?」
笑うリィレンの髪がさぁっと金に戻っていく。いつも近くにいてくれてありがとう、という囁きを残し、その瞳も蜜色へと色を変えた。
「……ハンスさん?」
凛と通る声が呼びかける。
「その涙目はどうやら、きっちりフラれたようね」
「フラれたって言うな心が痛むわ」
「まぁまだそんな未練がましく」
呆れた顔をするエイレンに、当然だ、と胸を張ってみせる。そんなに簡単に割り切れる想いなら千年も引きずってはいないのだ。
「だけどな、それもこれも全部含めて、もういいんだ」
良かったわね、とエイレンは微笑む。
「これで心置きなく入り婿決定ね」
「だーかーら、なんでそうなるんだ!」
「あらではもしかしてアリーファをもてあそ」
「違うっ!断じて違うぞ!」
少し前と同じやりとりを繰り返す2人の表情は、その時よりも晴々としたものだった。




