6.お嬢様は土木工事にハマる(3)
「ふぅ」
アリーファはひと息ついて額の汗をぬぐった。「退屈しているから」と引っ張られてきたはずが、話し相手などではなくきっちり井戸造りの手伝いをさせられているのだ。
「休憩してもいいわよ。その辺にクェルガと水があるはずだから適当にどうぞ」
「……水だけでいい」
クェルガとは聖王国で一般的な保存食用の菓子で、とにかく堅い。暑い時にモゾモゾ食べるのは遠慮したいのである。エイレンは眉を少し上げ、手を休めずに「どうぞご自由に」と言った。
井戸は水脈を探し当て掘削するまでが大変で、それが終われば後は簡単なはずだ。が、実際にしてみると屋根と釣瓶を取り付け、周りをレンガで固めていくのもまたなかなか時間のかかるものであった。
現在は水で浸したレンガを並べて、同じく水で練った火山灰土を塗り付けまた上にレンガを積む……という地道な作業を繰り返している途中である。それをエイレンは休憩もとらず、根気良く続けているのだ。
アリーファにはそれが少し不思議でもある。
「飽きないの?」
「全然」
むしろ楽しそうにエイレンが答える。
「完成図が頭にあるもの。それに向かって手を動かすだけ、というのは最高に無心になれるわね?しかも後で役に立つこと確定でしょう。有意義だわ」
「ふうん」
言われればそうかもしれないが、そこまで楽しめるかは人それぞれだ、と思うアリーファ。
「ほら、あなたも作業していたら悩み事が少し軽くなったのではない?」
エイレンに問われて「ええっ」と素っ頓狂な声を上げてしまった。他人のことなど一切気にせずひたすら我が道を行く女が、そんなことに気付きしかも気に掛けるなんて。
夏だけど雹くらい降るかもしれない。
「気付いてたの?」
「ええ。だってあなたにもハンスさんにも幸せになっていただきたいもの」
思わず「頭おかしくなったんじゃない?」と問いたくなる台詞を吐くエイレンの蜜色の瞳はキラキラと輝き……
「……こんな面白そうなこと全力でつつき上げなくてどうしましょう、ってことだね」
うん、やっぱり雪も雹も降らないね。と納得するアリーファであった。それで、とエイレンが問う。
「結婚前提のお付き合いはどうなったのかしら」
「それが、お互い見送りたい事情ができまして」
かいつまんで話すと、エイレンはそう、とあっさり返事をしてまたしばしペタペタと手を動かしていたが、ややあって口を開く。
「そういうことなら浮気は大丈夫でしょうよ」
「どうして」
「だってあなた、そのような目にあったらワンワン泣いて落ち込むタイプでしょう?」
「確かに」
どう転んでも『わたくしは全く気にしなくてよ』なんて言わないと思うアリーファであった。
「で2日程度で立ち直って相手に直談判しに行きそう」
「なにそれなんで私がそんな恐いキャラなの」
あくまでイメージよ、とエイレンは微笑み(誤魔化し笑いだ)、最後のレンガを積んで立ち上がった。
「今日はここまでにしましょう。このペースなら明日は2つ、いけそうね」
「明日もコキ使う気なんだね」
アリーファは溜め息をつき、「師匠の元に居るより役に立てているのだから良いではないの」と返され、うっ、と詰まる。痛いところをついてくるのは彼女の常だ。
「ではお礼を差し上げるわ」
「いい。ロクなことじゃない気がする」
「そう?なら良いけれど」
では明日もタダで宜しく、とエイレンが上機嫌で差し出す手を、アリーファは仕方なくちょこっとつまんだのだった。
※※※※※
その夜ハンスさんが天幕に持ち込んだ食材はゴートのやや北方、ミンシ漁港で水揚げされたカワハギであった。
「ええっ生で食べるの?!」
「めちゃくちゃ新鮮だから無問題!うまいぞぉ」
生魚を薄く切り、塩とバジルとオリーブオイルを掛けただけ、という料理に引きまくるアリーファ。ほれほれ、とハンスさんが口に放り込んでくれるので仕方なく食べてみると。
「ホントだ、意外と美味しい」
「だろ?!」
ハンスさんはニコニコして再びアリーファの口に刺身を放り込む……いやちょっと待て、と思うアリーファ。ここで「あら仲のよろしいこと」とかつついてきそうな人がやたら静かなのが気になるんですが。
エイレンは、と横目で見ると、全く普段と変わりなく刺身を口に運んでいる。その表情は、昔精霊魔術師の家で『クェルガをかじりつつ読書』という食事をしていた時と同じであった。
(あー何か考え込んでいるんだね)
何を考えているかは分からないが、どうせロクなことじゃないだろう、たぶん。と思っていたら、エイレンが口を開いた。
「ハンスさん」
「はいはい」
「お忙しいでしょうけれど、この後少しお時間いただけるかしら?」
うーん、と考え込むハンスさん。この神様によると、どうやらここのところ、聖王国を守っている大結界がゆるみがちでメンテナンスに忙しいのだという(それを聞いてエイレンが「姉上何考えてるのかしら」と呟いた)。
「今日のメンテナンスは一応終わったし、急に穴あいたりもしないだろうから……まぁいける、かな」
では決まりね、と頷くエイレン。
「アリーファは悪いけれど待っていてちょうだい。少し2人きりでお話したいことがあるの」
「え?2人きり?」
なにそれ。もしや本妻が夫に「アナタどういうつもり?!」とか詰め寄るパターン?と、不安になるアリーファ。
ハンスさんとエイレンの浅からぬ縁を考えると、有り得る……いやでもエイレンの方は昔「ハンスさんは範疇外」とか言ってたしでも『範疇外』と言いつついつの間にか師匠は懐にいれてるんだよねこの女。
グルグルと考え込むアリーファを面白そうに眺めるエイレン。
「残念だけれども、あなたが心配しているようなことは100%ないわよ」
「残念ってナニ」
「そんなことがあったら、楽しい修羅場が体験できるではないの」
「要らんわそんなもん!」
あら人間何事も経験がモノを言うのよ、とエイレンが嘯く。
「修羅場も体験しておいて損は無いと思うのだけれど」
ことばを切って溜め息をつき、ハンスさんをちらりと見る。
「わたくし昔このひとのこと、実の兄だと本気で信じ込んでいたのよね」
「あの頃は可愛かったなぁお前」
かつての『おにいたま』発言を思い出したらしく、ハンスさんの顔がデレデレと笑み崩れている。それをきれいに無視して、エイレンはアリーファに言明したのだった。
「そういうわけで、このひとは『兄弟』枠なのよ」
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