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5.お嬢様は高原へヴァカンスに出掛ける(1)

炉に火を入れ、石が赤く焼けるのを待ってハーブの入った水を掛けると、あっという間に立ち登る蒸気が未明の冷たい空気を徐々に温めていく。3杯、4杯と壺を空け、浴場が完全に温まるのを待ってエイレンは、一夜の仕事を終えた女たちを呼び入れた。


使者団へのもてなしに高級娼婦ではなく川原の女を呼んだのは、どうせ金を落とすなら貧民を潤したい神殿が、「磨けばさほど変わらない」というエイレンの主張に乗っかったためである。ひと晩の料金は高級娼婦の半分、ただしガウンの貸出と仕事前後の入浴付きだ。


川原の女たちは神殿からの仕事依頼に最初驚いていた。しかし神殿にいたのが半年ほど前に突然やってきて彼女らに洗濯やら掃除やらの習慣を押し付けて消えた『姫さん』だと知ると、俄然やる気を出してくれた。叔母から伝授されていた秘技も教えておいたし、きっと使者団の面々は良い夢を見られたことだろう。


その礼の気持ちも込め、エイレンは彼女らの世話を買って出ているのだ。センやエル・クー姉妹を始め、親しかった娼婦たちが以前と変わらぬ気安さでそれに応えてくれるのも有難い。


「いい香りだね。昨日のも良かったけど」


センが目を細め、エイレンはにんまりとする。


「シチュエーションに合わせているのよ」


昨晩の仕事前は甘い香りの薔薇とジャスミン、今朝は爽やかなミントとローズマリーだ。


「昨日の香りは旦那様にもすごい気に入ってもらえたよ」


エルが嬉しそうに言えば、娼婦たちはあたしもあたしも、と口々に話し出す。


「あたしの旦那様はさ、いいニオイだいいニオイだって身体中に犬みたいに鼻を押し付けてくるから、もうくすぐったくって」


1人の娼婦の台詞に、きゃあっ、という嬌声と笑い声が巻き起こる。帝国からの使者団の面々は基本紳士で、彼女らは嫌な思いをすることもなく(つつが)なく仕事を終えられたようだ、とエイレンは安堵した。


「セン姉さんは?」


お喋りを黙って聞いていたセンにクーが話を振ると、娼婦たちはいっせいに彼女の顔を見た。なにしろセンは、1番人気だった軍人の青年の世話をくじ引きで勝ち取ったのだ。その武勇伝を、皆がワクワクして待ち構えているのは火を見るより明らかだった。


どうしたもんかねえ、と妹のような娼婦たちの、期待に輝く瞳をひとしきり見回しつつ、センは昨晩のことを思い返す。


―――いかにもお堅そうなその青年は、おそらくは思い掛けなかったであろうセンの行動にすっかり固まっていたが、彼女の経験とカンは「こんな坊やの理性なんか、後ひと押しふた押しすればすぐにプッツンだわ」と告げていた。


そのお告げに従い、センは片手で彼の手を胸に押し込んだまま、もう一方の手でその首を引き寄せて唇に軽くキスをする。拒まれないのを確認し、今度はもう1度、ややねっとりと長めに。


普通の客ならそこまでせずにこれ幸いと金だけもらって放置しておくところだが、今夜は神殿の依頼だ。客をしっかり満足させておけば、次も呼んでもらえるかもしれないではないか。『姫さん』言うところの『けいえー努力』というやつである。


唇が離れると青年は不思議そうにセンを見た。まだかい、と少々の苛立ちを微笑みに隠してその目を覗き込むと、淡い青の瞳が無邪気にこちらを見返す。酔うとダメなタイプらしいね、と内心舌打ちをするセン。


「どうしてあなたから、あのひとと同じ香りがするんだろうな」


ややあって、青年の口からぼそっと漏れた言葉にセンは思わず微笑む。


「恋人かい?」


「んなワケあるか」


「片想いかい?」


「……いや」


青年は少し遠い目をしてから、慎重に否定した。


「むしろ、あの女だけは有り得ない」


ドスッとベッドの縁に座り込み、両手で顔を覆う彼の横に、センもまた腰掛ける。彼は再び言った。


「有り得ないんだ。他国人だし」


「うん」


「性格がねじ曲がっている上に頑固で誰の言うこともきかないし」


「うん」


「何かと人をからかってオモチャにしたがる性悪女だし」


「うん」


「思い付きで周囲を振り回すアホ女でもあるのだ」


「なかなか大変なんだねえ」


ああその通りだ、と青年は頷いた。


「大変なんだ。油断すると勝手にどこかに行ってしまうから目が離せないし」


「それは困るねえ」


「そうだ、困るんだ。ほんの時折だが……すごく優しいのが」


若いねえ、と思わず素で微笑むセン。こじらせっぷりが可愛らしい。


横を向き、青年の身体に両腕を回して耳元に囁く。


「あたしはただの娼婦だからさ、その娘の代わりに好きに抱いても良いんだよ?」


「……いや。せっかくだが……」


彼は再び少し遠い目をし、あの女の顔をまともに見られなくなることはもうやめようと思ってるんだ、などとボソボソと言う。じれったいねえまったく。


(もう無理にでも襲ってやろうか)


考えた時、膝に柔らかい重みが乗っけられた。青年が頭を預けてきているのだ。


「すまないが……しばらくこのままいてもいいだろうか」


「好きにしなよ」


少しくせのある茶色い髪をくしゃっと撫でてやると、薄青の目が安心したように閉じられる。


「……いい香りだ」


センは微笑み、彼の頭をもう1度、ヨシヨシと撫でてやった。そうしているうちに。


目が覚めて気付けば、はや未明。ナニひとつしないまま、ついうっかり眠ってしまったらしい。


(まぁ、寝かしつけだって仕事のうちさ!)


と、センは開き直ることにしたのだった―――


皆の期待と注目を浴びて、センは口を開く。


「ああ、あの子も良い香りだって喜んでたねえ」


「それだけ?」


不満そうな若い娼婦たちに、センは余裕の笑みを浮かべてみせたのだった。


「あとのことは内緒だよ!」


―――姫さん言うところの『しゅひぎむ』とかいうやつである―――


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