4.お嬢様は忙しく休日を過ごす(3)
陽が傾いて建物に隠れると、神殿の中庭を薄暗い影が侵蝕する。建物の続きのような冷たい石畳の上に、2人の剣士は対峙していた。1人は細身の長身でレイピアを持っている。もう1人、それよりやや背が高くがっちりとした体躯の方の得物はサーベルだ。
刃渡りが長く刃先が鋭く、突撃に向いているレイピアはその反面斬撃での殺傷力は弱い。一方、分厚い片刃で斬撃に特化したサーベルは、一刀で敵を真っ二つにする程の威力があるものの、間合いに踏み込まねば攻撃がままならない。
つまりこの闘いはレイピアが相手の隙を突くのが先か、サーベルが間合いに踏み込むのが先か、という争いになのである。
が、実質はお互いにジリジリと移動しつつ隙を窺うだけ、という本人同士はめちゃくちゃ緊迫しているもののハタ目にはひたすら地味な展開となっているのだ。
ふっと、焦れたかのようにレイピアが相手の胸を狙って動いた。サーベルはそれをかわすことなく、キーン、という音とともに弾き飛ばす。そのまま一気に間合いを詰めると、今や空手となった剣士の細い首めがけて刃を振り下ろした―――
「はいそこまで!」
審判役の神官が手を打ち、エイレンとルーカスは動きを止める。エイレンの首ギリギリにはサーベルの重く光る刃が、そしてルーカスの喉元にはエイレンの左手が持つダガーの鋭い切尖が皮を破く手前まで突きつけられている。神官が重々しく判定を告げた。
「引き分け!」
「それはおかしいだろう」
ルーカスが神官に抗議する。
「二刀流とは聞いていない」
「あらルークさんは実戦でも同じことを言う気かしら?そもそもレイピアの弱点を短刀で補うのは常識よね?」
しれっと言うエイレンに、ルーカスはムッとした顔をした。
「首を斬られるのと突かれるのなら、絶対に斬られる方が死ぬだろうが!」
「あら突かれるのだって結局は死ぬと思うわよ?」
「いや斬られる方だ」
ムスッとして主張するルーカスに、エイレンは肩を竦めてみせる。
「ではルークさんの勝ちでいいわよ」
そんなことではわたくしのプライドは欠片も傷付かなくてよお子様ねおーほっほっほ(高笑)と暗に告げている眼差しに少しばかり傷付くルーカスであった。
「そもそも打ち合いだったはずが何で闘技に」
ぶすっとして文句をつければ、エイレンはあら、と軽く目を見張る。
「打ち合いなんて三流の者たちの練習法でしょう?何の意味があるの?」
帝国軍人の訓練を全否定する言葉であった。
「戦闘は大概、数対数だから打ち合いでいいんです。技も要るが基本は体力・筋力の勝負だ」
ぼそぼそと説明すると何となく虚しくなってくる。それは楽しいのは技を競える1対1の闘いに違いないが、そんなシーンは現実には滅多にないのだ。
しかしエイレンの主張は若干角度が違うものだった。
「大体、剣は一撃必殺が基本でしょう。打ち合いなんてぜいたくよ。無駄に折れてもったいないではないの」
優れた神殿の剣士たちを育てたのは、揺るぎないプロ意識、などではなくその実ドケチと言いたくなるほどの倹約精神だったのだ―――
危うく吹き出しそうになって下を向くルーカスに、でもいいわよ、とエイレン。
「そんなにしたいなら、付き合って差し上げるわ」
放られたサーベルは木でできており、エイレンも同じ木剣を片手に握った。
「今度は何も隠してないだろうな」
確認すると、さあどうでしょう、という返事がニヤリとした笑みと共に返され、次の瞬間、予想外に重い打ち込みがルーカスの手を震わせる。
その後中庭には、陽がすっかり落ちるまで、金属よりも若干柔らかい剣戟の音が響き続けた。
※※※※※
その日の晩餐は帝国からの使者団の歓迎会という名目ではあったが、帝国貴族の夜会のスタンダードからすると随分とつましく、内輪の食事会というイメージのものだった。
それでも主立った神殿関係者が集められた宴席はそれなりの心遣いにあふれ、地場のものがふんだんに使われた料理は素朴ながらも滋味豊かであった。そして、その透き通った赤レンガ色が帝国人に故郷の家を思わせるワイン。神殿領の特産品だというが、これがなかなかのクセモノである。
香り豊かな甘い酒に慣れた帝国人の舌には、軽やかなスミレの香りに甘みと酸味のバランスがとれた上品な味わいが最初のうち物足りなく感じられた。しかしそれが罠で、杯が進むに従ってどんどんと飲みやすくなっていく。そして後味のきめ細かなタンニンがまた次の一杯を誘う。
しかも聖王国には客人への好意の現れとして自らの手でその杯を満たす風習があるらしく、神殿関係者たちは遠慮がちに、だが入れ替わり立ち替わり杯にワインを注いでいくのだ。
宴が終わる頃には使者団の帝国人たちはすっかり酔い、こうした宴席もまた悪くないものだなどと思いつつ、それぞれの部屋まで運ばれ―――
(酔って部屋を間違えたかな)
とルーカスは思った。なんとなれば、部屋に先客がいたからである。
豊かな黒髪と胸と腰が印象的なその女性は、胸元の大きく開いたガウンを羽織りしどけなく寝転んでいたが、彼の姿を認めると肢体を徐々にずらすようにしてベッドから降り、立ち上がった。実に蠱惑的な微笑みを浮かべたその顔立ちは美人と言えなくもない。
浅黒い肌とくっきりした大きなアメジストの瞳、これまたやや大きめの鼻と分厚い唇は、情熱的な南方の血を感じさせる。その分厚い唇が動き、衝撃の一言を紡ぎ出した。
「お帰りなさいませ、ア・ナ・タ」
瞬間的に固まり、ああこれは確実に部屋を間違えたな、と回れ右をして扉を押すルーカス。その腰が柔らかな肉付きの腕でがっちりホールドされる。
「待ちな……されませ。間違っちゃいない、のでございますわ」
「では幻覚なのだな」
酒には弱い方でないはずだが、想像以上に飲み過ぎた。酔ってマボロシなど見るのは初めてだが、それでもおかしくはない程度に。うん、きっとそうに違いない。
うんうん、と自分に言い聞かせているルーカスを女はおかしそうに見やり、彼の手をつい、と取ってガウンの合わせ目に入れ、上から彼女の手を添わせた。
「そりゃあんた、マボロシかもしれないけど……と存じますけれど、なかなか素敵なマボロシだろう?……と思われませんこと?」
ちぐはぐなお嬢様言葉が耳元で響く中、ルーカスは完全石化する。
その頭の中で酔いと共にグルグルと巡る言葉は―――
(異次元!)
であった。
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