2.お嬢様は神殿に着く(3)
馬は最初から駈けさせてはいけない。次の街までの距離と地形を勘案してペース配分し、時に休憩を入れつつ常歩~速歩で進む。馬と息が合い、余裕もあれば最後は駈歩でも良いかもしれない。
しかし街中だから、最高速度の襲歩はやめておこう……という常識は、エイレンには無かった。街に入ると競馬の騎手よろしくぐっと腰を上げ、ラストスパートに入る。それを唖然として見送る通りすがりの住人たちに内心謝りつつ、ルーカスもまた速度を上げる。2頭の馬はもつれるように乗継所前に駆け込んだ。
「2対3。ルークさんもなかなかやるわね」
と嬉しそうなエイレン。どこにそんな体力が残っているのだろうか、と休憩室の床に突っ伏してルーカスは思った。正直、勝敗とかもうどうでも良い。街に着く度に馬を替えつつはや8時間。馬は替えられても人は取り替えられず、もう限界はとっくに越えているのだ。
「どうぞ」
渡された砂糖の固い欠片を口に放り込み、水で少しずつ湿らせながら飲み込む。
「このわたくしから2ポイントも奪取するとはすごいわ。ご自分の不甲斐なさを恥じる必要はなくてよ」
「……化け物ですかあなたは」
「わたくしが平気そうに見えるのは訓練の成果よ」
実はけっこう疲れているの、と何でもなさそうなコメントである。
「しばらく休憩して陽が落ちたら出ましょう。次で最後だから競争でなくていいけど、常歩ならあと5時間はかかるわね」
暗に速歩を強制しているのだ。ルーカスはぼそぼそと抗議する。
「殺す気ですか」
「大丈夫。きっと昼間より涼しくて快適よ。月も出るし」
「あほか。どうしても行きたいなら1人で行くがいい」
「一緒に行ってくれないと……」
「バラしたければバラせばいい」
ふて腐れて口走るルーカスの耳に、そっと手を添えエイレンは優しく囁く。
「一緒に行ってくれないと、この場で脱がすわよ?」
ルーカスが、完全石化した。
※※※※※
王都で唯一、石造りの建物が並ぶ目抜き通りに入ると目の前には、やはり石造りの尊大な建物が月の明かりに黒々と浮かび上がる。右手に行けば王宮。左手に行けば神殿だ。
その入口では神官が1人、時々カクッと落ちそうになりながら番をしていたが、エイレンが「失礼」と声を掛けるとパッと姿勢を正し、ついでに「へ?!」と悲鳴を上げて幽霊でも見たような顔をした。
「エイレン様?いえ、使者様?なぜ今ここに」
「帝国からの使者団が迎えの者と無事に合流しました旨お伝えしたく」
「へ?!」
再び素っ頓狂な声を上げる神官。それはそうだ。どこの世界に、自ら先触れを買って出る使者がいるというのだろう。しかしエイレンは構わず続ける。
「夜分誠に申し訳なきこととは存じますが神官長にお知らせいただければ……というか、もう面倒だから入るわよ」
「あ、お待ち下さい!」
どうやら神官長は今夜もまだ仕事中であるらしい。慌ててその執務室に向かう神官の背に、エイレンは当然のように「後で馬を乗継所に返しておいてね」と頼んだ。人使いが荒い。
「そなた……やはり気が狂っておるのだな」
暗い廊下の半ばまで、わざわざ燭台を持ちエイレンたちを自ら出迎えた神官長の第一声が、これである。
「ゴートからここまで半日で駆けるなど、正気の沙汰ではないわ。死ぬ気か」
「あら神官長様に一刻も早くお目に掛かりとう存じましただけですわ」
いけしゃあしゃあと言い切る娘に、神官長は額を押さえて溜め息をつく。厳めしい顔を崩さないのが常である父の珍しい態度に、エイレンは少々目を丸くした。
「あら少しご無沙汰している間に随分お年を召されたようですわね」
「バカなことばかりしでかす娘が1人と、寝込んでいる娘が1人おれば年も取るわ」
ああそれで額の面積が少し拡大なされたのね、とエイレンは頷いた。
「姉上ご病気ですの」
「病気ではないが……多少困ったことになっている」
神官長が重々しくファーレンの妊娠を告げ、エイレンが軽く舌打ちをした。
「しくじったわね」
そこはおめでとうと言うべきでは、とルーカスは思ったが、この父娘の間に祝福ムードは一切無い。神殿には何か特殊な事情でもあるのだろうか。
「今はまだ影響は出ていないが、そのうち何らかの対策が必要になるかもしれぬな」
「まぁ、できてしまったものはしようがないわ。なるようになるでしょうよ」
来年まで乗り切れば良いことだし、とエイレンが取りあえずの結論をつけると、神官長は眉をわずかに上げて驚きをあらわす。
「そなた変わったな。以前なら腹の子を殺しかねない勢いだったのに」
「わたくしがあのまま側室になっていたら、確かにそうでしょうね」
というかその前に絶対しくじったりしないと思うけど、と言う口調は少し可笑しそうだ。
「やはり早く着いて正解だったわね。やることが1つ増えたわ」
「やはり腹の子を?」
わたくしにはそのようなことする義理はないわよね?と返され、神官長は心底解せぬ、といった表情になった。
「では何なのだ」
「決まってるでしょう。姉上が伏せっているのであれば必要なのは」
エイレンは、びしり、と指をつきつけ重々しく告げる。
「お見舞いよ」
神官長は娘をじっと見つめ、どうやら本気らしいと知ると、困惑もあらわにもう一度「そなた変わったな」と言ったのであった。
読んでいただきありがとうございます。
馬は競走馬ではなく、運搬向け・軍用の種を想定しています。速さはそれほどではないが持久力は結構あるよ、という設定で……気にされない方はサラブレッドでの競馬をお楽しみ下さい。ていうか本気で半日馬を飛ばしたらまじで死ぬんじゃないかと思ってますが、そこは休憩を入れつつ&お話だから、ということでご了承いただければ有難いです。




