18.お嬢様は使者になる(3)
衝撃のガーデン(土下座)パーティーから20日後の夜。いつも通り聖王国からの客人を寝所に召そうとした皇帝陛下は、侍女からの伝言に目を丸くした。
「姫様はお亡くなりになりました……とお伝え下さいということでございます」
慌てて寝所を出て駆け出すと、侍従長がマントを着せ掛けながら苦笑する。
「畏れながら、陛下」
「皇帝らしい振る舞いなら昼間ジジイどもの前で散々やっているぞ」
「よく存じ上げております」
以前は母の部屋であった場所に足を踏み入れるのは久々だった。息を切らしたまま奥まで入ろうとして、ダナエに止められる。
「畏れ入りますが、殿方はこちらでお待ち下さいな」
殿方、という言葉に密かに感じ入るユリウス。しかしここで引き下がるわけにはいかぬ。
「構わぬ。入るぞ」
無理に奥の寝室まで入り込み、皇帝陛下はガッカリした声を上げた。
「なんだ、起きておるではないか」
しかも彼女のスタイルは染のない麻の『奴隷ワンピ(命名:ダナエ)』である。期待したのに、と溜め息をつく彼に、エイレンは雪の精のように青白い顔を向ける。
「死に顔を観にいらしたのね」
「その通りだ……しかしそなたを殺すにはダナエが3人もいればじゅうぶんだったのだな」
「全くね。あなたがファッションショーの資金提供など申し出たおかげでこの20日ばかりというもの散々だったわ」
貧民街でも『星の病』は下火を迎え、回復する者は回復していき毎日のように訪れる必要は無くなった。ならば今度は子供たちに読み書きを教えようとやはり足繁く訪れているものの、静かな病人の看護とは違い精神的にかなり削り取られるものがあった。
加えて、アリーファとダナエが企画したファッションショーの準備に引きずり回される日々は、彼女にとって相当に苦痛だったのである。
次第に疲弊していくエイレンに、心配したアリーファの父が風邪薬(という名目の滋養強壮剤)を分けてくれたのだが、なんとそれは風邪薬でなく『媚薬』の方だったというどうでも良いようなオマケまでつく。
「間違えた、と分かったら父が超絶落ち込むから言わないでやって」という親思いなアリーファの頼みにより、媚薬の小瓶は衣装箱の隅に取り敢えず突っ込まれているのだが、日の目を見る時など多分来ないだろう。閑話休題。
極め付けが本日行われた昼餐会である。名目は聖王国へ向かう使者の壮行会だが、その実はこれこそアリーファとダナエの企画したファッションショーなのであった。
20分起きに着替えて髪を結い上げるだけで終わった会は、きっとアリーファやダナエにとっては意味があるものだったのだろう。アリーファは食事が手付かずのまま下げられていくのに文句も言わず終始瞳をキラキラさせていた。ダナエにいたっては、相当の重労働であったにも関わらず最後は「充電させていただきましたわ~」とにんまり。何気にすごい情熱である。
しかし壮行される使者本人にとっては何の意味があるか分からなかった。古の拷問には『穴を掘っては埋めるだけの作業を延々と繰り返す』というものがあったらしいが、まさしくそれに近い。その結果が先程までの瀕死状態であったワケである。
「ドレスの資金は余だけではない」
と肩をすくめる皇帝陛下。
「フラーミニウスの長男始め、5年後の予約を取りたい者どもからの共同出資だからして……婚約者からも銀5枚ほど出ているぞ」
なるほど、共同出資の成果がやたらと手の込んだ刺繍やら貴重なレース飾りやら宝石をやたらとぶっ込んで重くなった帯飾りやらだったのか。
「その方達のリストをいただけないかしら。1人残らず引っぱたきに行って差し上げるわ」
「喜ぶヤツも多いからやめた方が良い」
冗談かと思ったら、皇帝陛下の顔は割と真剣であった。
「そなたは明後日から船旅だろう。引っぱたきに行く暇などないではないか」
「明日1日あれば」
「無理だろうな」
この話どこまで広がっていたの、と一瞬目眩を覚えるエイレン。4、5時間死んだだけではまだ本調子は出ないようである。
「支持者がそれだけ多いと考えれば良いだろう」
と皇帝陛下。エイレンは知らないことだが、貧民街での彼女の活動を好意的に受け止める者は多く、慈善を目的とした非営利組織の設立も検討され始めているのだ。
最初は何も考えていない小娘と思っていたが、彼女が行動すれば必ず何らかの結果につながるはずだ、と確信に近いものをユリウスは抱くようになっていた。そして異例のことではあるが聖王国への使者にこの客人を選んだのである。
「余もそなたの働きには期待しているぞ。ぜひ神官長から色よい返事を取り付けてきてくれ」
「その程度余裕よ。このわたくしがOKを出した案ですからね」
エイレンがフフンと鼻で笑うと、ユリウスの顔が嬉しそうにほころんだ。
「それは余の提案を誉めてくれているのか?」
「そうね。よく頑張りました、よ。必ずまとめて良い報告をしてさしあげるわ」
「そうか。ではそのあかつきには、褒美として5年後に皇后の地位を与えてやろう」
精一杯マジメに言ったつもりだったが、彼女は「やなこった」と覚えたての下町言葉で返し、楽しそうに鈴を振るような笑い声を上げたのだった。
「残念だけど、帰る場所はもう決めてあるの」
※※※※※
『朝夕に陽を映す黄金の流れよ、運んでおくれ。
都には数多の富を、遠き海には旅人を
そしてふるさとの恋人には我が熱き心を。
ティビスよ、濁りてもなお美しき悠久の河……』
運河の桟橋に脚を組んで座り、リュートをかき鳴らして吟遊詩人が歌う。風の中でもよく通るその声に惹かれるように、旅人の一行が姿を現し、彼を取り囲んで足を止めた。
アリーファとリクウ、ダィガ、それにエイレンである。皇帝陛下の使者として聖王国に向かうエイレンに他の3人は便乗させてもらう形であり、「いいの?」「なぜダメなの」「いやダメでしょう」「いいに決まってるでしょ」と押し問答の末に「別に良いではないか」と皇帝陛下の鶴の一声で決まったことであった。
「見送って下さるつもり」
歌が終わるのを待ちエイレンが問うと、キルケはニヤリとした。
「軍船で旅立ちとはまたエラいご出世だからな」
「あらあなただって見事に陛下の腹心入りおめでとう」
「んなワケあるか。私はこの後チンケな船でドサ周りするんだ」
「わたくしがこちらにまた来る頃には戻ってきてね?」
キルケの胸に手を当ててエイレンが念を押せば、「おぉまさかのラブ?!」 とアリーファが呟き師匠がやや複雑な表情をする。
キルケはまた笑って彼女の背に片手を回した。
「いやガイドはもう要らんだろ」
「ええ。でもあなたはいいお友だちだから」
「あんたがそれ言うと『最高のオモチャ』と聞こえるのはなんでかなぁ……」
「ほらね、そういうところすごくイイわ」
キルケから身を離すとエイレンは、左手から透輝石の指輪を抜き彼の小指にはめる。
「預かっておいて下さるかしら」
「おお、売っ払ってなかったんだな」
「けっこう大切だったのよ」
彼の手を取り、小指の透輝石に長いキスを贈ると石は青白い光を放ち出した。
「もうすぐ出航ですよ」
ルーカスにぼそぼそと声を掛けられ、彼女は軽くキルケを抱きしめてから踵を返す。
振り返ることなく歩いて行き、聖王国からの旅人たちと二言三言、言葉を交わして船に乗り込む。しばらくすると軍船は、銅鑼の音と共に桟橋を離れて方向を変え、滑らかに動き出した。
桟橋の上では、吟遊詩人が再びリュートを構え直し歌い始めた。その静かな歌声は船の姿が見えなくなるまで、濁った河面に響いていた。
読んでいただきありがとうございます。
広げた風呂敷に大穴が空いていないかと冷や汗をかきつつも、これにてなんとか第2部終了です。
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第3部も引き続き楽しんでいただけると嬉しいです。




