18.お嬢様は使者になる(2)
「済まないが予定が混んでいてな。そなたらはゆっくり過ごすが良い」
そそくさと昼食を終えた皇帝陛下と腹心のお偉いさんたちが去ると、あたりにほっとした空気が流れた。空気の出所はアリーファ父娘である。
「いきなり土下座ってないよね……」
「緊張してすっかり言いそびれたなぁ……」
なんだったのあれ、とアリーファがぼやき、ダィガの方は、せっかく有利に帝国産のものを仕入れるチャンスだったかもしれないのに、と残念そうだ。
改めて見ると宮殿の中庭は、そう呼ぶには広く立派だが随分と愛想のない造りである。周囲をローズマリーの生垣が囲むほかは植物が無く、中央の小さな池には皇帝の紋章である双頭の鷲。それぞれの口から細い水を噴いている。地面を覆う帝国らしい赤いレンガ畳みに牢獄暮らしを思い出し、ダィガはわずかに震えた。
「すっかり遅れてしまってすみません」
そんな空気を今度は若干きらびやかな方向にまたしても変えたのは、お偉いさん方と入れ替わるように現れた超絶イケメン1人と、そこそこな容姿ながら飄々とした雰囲気が一部ウケしそうな1人であった。
「あら珍しい組み合せね」
「実は私たちはもっと前から来てたんだが」
「いたたまれなくなってこっそり抜けたんですよね」
エイレンが目を丸くすると、吟遊詩人がニヤッとして応え、爽やかに侯爵家長男が後を引き取った。
彼らの説明によると、皇帝陛下はカティリーナとネルヴァに人の道について諄々とお尋ねになったそうである。しかし、その問答の裏にわざとらしく見え隠れさせておられた意図というのが。
「なんつうか、実に黒々としてたんだよなぁ……」
「まぁ大したことではないですがね」
キルケが身震いをし、やはり爽やかにレグルスが補足する。
「所詮はカティリーナやネルヴァの土下座で済むことですから」
この段階でキルケがダウンし、そして平然と成り行きを眺めていたレグルスも続くフラーミニウス宰相の土下座確定で席を外したのであった。
「それはもったいなかったわね。なかなかに面白い見世物だったのに」
きゅっと口角を吊り上げてエイレンが言うと、レグルスが一瞬、目を見開いた。さてようやっと開眼なるか、と見守る若干名の前で、彼は面白そうに双眸を細める。
「あなたも冗談など仰るのですね」
それ違う!と声にならないツッコミを入れるギャラリーたち。エイレンの成分は80%冗談と悪ふざけであり、残りの20%では土下座する重臣たちを踏み付けた場合のリスクを計算していたに違いないのだ。
レグルスが一見穏やかに目を細めたまま尋ねた。
「そういえば先程陛下がドレス云々と仰っているのを耳にしたのですが、まさか陛下から贈られる予定が?」
15歳相手になんつー誤解を!と、声にならないツッコミを入れるギャラリー若干名。対するエイレンは涼やかに応える。
「それはあの子たちがファッションショーをしたいと陛下におねだりしたからよ」
気まずい雰囲気の中そそくさと終わった会食ではあったが、気前よく「詫び代わりに何か望みがあれば叶えよう」との陛下の仰せに、アリーファはおずおずと乗っかったのである。同じ口で緊張したワ、などと言う割にはちゃっかりしているではないか。
きゃぴきゃぴと頭を寄せて早速なにやら相談しているダナエとアリーファを顎で示し、あくまでワタクシ関係ナイワ、という姿勢を貫こうとしたエイレンだったが、
「なに仰ってるんですか!姫様がメインですからね!」
とダナエに釘を刺されてプイッと横を向いた。
そんなダナエとアリーファが頭を寄せてコソコソ話し合っているのは、実はドレスの相談ではなく。
「結局は姫様の本命って誰だと思います?」
ダナエが手にしているのは競馬の予想表のごとき一覧である。
「なにこれ」
「姫様のラブダービーです。侍女・小姓限定参加で1口銀1枚」
ちなみに侍従は対象外。皇帝陛下にバレると気まずいからだ。
「そんなのダナエさんが断然有利じゃない!」
「それが全然分からないんですよ。私がずっとお世話してきたのに姫様ったらお話してくれないんですもの」
と、寂しそうなダナエ。その気持ちは分かるアリーファであったが、エイレンが恋バナに興ずる日など永遠に来なさそうだ。
「で、誰がなんなの?」
「今の1番人気は皇帝陛下で、2番レグルス様(侯爵家長男)、3番ルーカス様(侯爵家次男)、4番キルケ様(婚約者)と続きます。大穴がB中年(某伯爵弟)、大々穴がティルスさん」
婚約者が4番?そしてAはどこに消えた?ていうか子供はないでしょ!と内心でつっこむアリーファ。
「ダナエさんは誰にしてたの?」
「最初はレグルス様だったんですけど、途中から皇帝陛下にしたんです。でもなんだか皇帝陛下とも『単なる気の合うお友達』になっていってるようなっ!」
一生懸命うっふんなスタイル頑張ったのにぃ、とダナエは両手で顔を覆う。うっふんてなに。
「普通に婚約者、でいいんじゃない?」
「だって全然ラブラブしてないんですよ?」
「エイレンが心底ラブラブしてるのが想像できな……あ、でも1人いた」
「誰ですっ?」
アリーファが口を閉ざして目で示す先にいるのは、このパーティーでほとんどモブと化してそれなりに楽しんでいる師匠である。
「どっちかというとあの子が一方的に懐いてるんだけど……師匠ったら『お父さん』宣言しちゃったし」
以前も勘違いだとばっさり斬られたことがある。しかし、近くにいるだけでお互いに安心しているような空気が漂っているように、アリーファにはやはり思えてしまうのだ。ただし、この年季入った夫婦のような間柄をラブラブというべきでは絶対にない、ともまた思うのだが。
「ええっあれ?意外と地味好み、なんですねぇ……すると、この中では……あれっやっぱりキルケ様ですか!だてに婚約者張ってないわけですね。ルーカス様も割と地味ですけど」
再び悩み出すダナエ。その耳に飛び込んできたのは、侯爵家長男の爽やかな声だった。
「そういうことでしたら、仕立屋の手配や布地その他の調達は私にお任せください。無償でさせていただきますよ」
まだ諦めていなかったんかい!という無言のツッコミがギャラリー若干名から飛ぶ気配を感じつつ、ダナエは意を決して頷く。
「よし、初志貫徹!その意外としつこい精神に敬意を払ってレグルス様に1票です!」
その背後では、吟遊詩人の陽気な歌声が響いていたのだった。
『青き花咲く野の乙女よ……』




