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17.お嬢様の忙しい一夜(3)

己が何者であるか、を定めなくて良いのは心安らぐことだった。最初に出会った時から、そうだったのだ。彼は何も求めず、ただそこに居ること(と若干つついて遊ぶこと)を許してくれていた。


だが、そこに思わぬ伏兵が現れた。己の裡なる心臓である。彼の傍でたた惰眠を貪っていたいだけの頭に、そいつはドキバク攻撃を仕掛けてくる。ああもう握り潰してしまいたい勢いで憎い。


―――ということをツラツラと考えつつ(忘れるという選択肢に効果が無いことが身に染みて分かったため)エイレンが向かっているのは当の元凶が泊まっている貴賓室である。


別に襲うためではない。普通に、就寝の挨拶のためである。師という存在(もの)の前では良い子ぶるべしと幼い頃より叩き込まれている彼女としては、曲がりなりにも師匠である彼に対する礼儀は欠かせないのだ。


しかし彼のことをそう呼び慣れてしまった今では『師匠』という言葉だけで伏兵が槍構え、状態になってしまう。やはり今後は……


(『お父さん』と脳内変換してみましょう)


彼の自己申告はそれなりに効果的だった。なるほど言われてみれば己に足りないのは父性愛であるのかもしれない。実の父も子煩悩だが、どちらかというと長年、上司・部下という関係が優先されてきたがために。


(そうあれは父性愛なのよ分かったわねこの伏兵(しんぞう)め)


内心で『お父さん』を百回唱えつつエイレンは貴賓室の戸を叩いた。


(もうお休みかしら)


2秒待って返事がない。お疲れで寝てしまっているのね(なにしろお父さんだから)と踵を返したところで、背後から相変わらずのんびりととぼけた声が聞こえてきた(お父さん)


「エイレン?どうしたんですか」


「あら師匠(お父さん)もうお休みかと思ったわ」


振り返ると、懐かしい灰青色の瞳が優しく細まる(目の下にまだうっすらクマがあってよお父さん)。その手がつっと伸びて、軽く彼女の髪に触れた(お父さんったらお父さん)


「色がすっかり戻りましたね」


「ええもう、早々に。なにしろ帝国に着いた日に調子に乗って神魔法をたくさん使ってしまったものだから」


「調子に乗って?」


聞き返す声にやや面白そうな響きが混じり、リクウは扉を大きく開けた。


「立ち話もなんですから、続きは中で聞きましょうか」


「ええ(お父さん)では(お父さん)少しだけ(お父さん)」



エイレンは優雅な足取りで貴賓室に入り、師匠に続いて長椅子に腰を下ろす。二言三言と言葉を交わすが、何か落ち着かない、といった様子で首をかしげ、すっとリクウの膝を指した。


「そちらに座ってもいいかしら」


どこの世界に師匠を座椅子代わりに使うお嬢様がいるのだろうか。しかしダメです、と言う前に、彼女はもうさっさと移動してしまった。


膝の間にすっぽりと収まると、彼の胸にもたれて目を閉じるエイレン。その髪から花のような香りが漂う。このまま眠ってしまったらどうしよう、と思うほどのくつろぎぶりだ。しかし幸いにも、それは数瞬の間だった。


彼女は目を開けると身体を起こし、見て、と左手を差し出した。ほっそりした指にはまっているのは、一見素朴な透輝石の輪である。


「ああそうだ婚約おめでとうございます」


祝いの言葉が棒読みになっていなかったかが気になるリクウだったが、エイレンはくすくすと笑い、それは別にいいのよ、と言った。


彼女の右手の中指が愛しげに透輝石を撫で、柔らかな唇からまじないの言葉が漏れる。しばらく経つと、指輪は青白い光を放ち出した。


「使えるようになったんですね」


リクウの両腕が自然に彼女の細い身体を抱きしめる。


「頑張りましたね。思ったよりもずっと早い」


「わたくしの優秀さがよく分かったでしょう」


ザマァミナサイ、とでも言いたげな声に苦笑して頷けば、彼女らしい、さらなる追い討ち。


「というワケだからもう師匠は要らないのよ」


「そうですね。基礎ができていれば、精霊魔術は応用を効かすのが簡単ですから」


「あの蔦も応用?」


「その昔、バカな弟子だった頃に少し。師に物凄く叱られて以後お蔵入りだったんですが」


昼に睡眠不足でうっかりタガが外れて使ってしまった技をつっこまれて、リクウはまた苦笑した。当時は得意がって師に見せ、精霊魔術は人を傷付けるためのものではないと耳にタコができるほど口酸っぱく諭されたものだ。


エイレンはすっと立ち上がって燭台の灯を消すと、またリクウの膝に戻ってきた。指輪の青白い光が2人をほのかに照らす。


「でも、この光がいつも灯っている家が世の中で1番、好きなの」


ぽつりと呟かれた言葉が真実のものであることを、彼はもう知っていた。再び彼女を抱きしめそうになる腕を押さえて、のんびりとした声を出す。


「秋には帰りますよ。君もいつでも戻ってくると良い」


「収穫の手伝いに?」


「そうそう。それに煤払いも、です。手はいくつあっても足りない」


王都近郊の農家は、冬が来る前の準備で忙しくなるのだ。エイレンがくすくすと笑う。


「仕事は選びなさいよ」


精霊魔術師(まじないし)はそんなものですから」


故郷で幾度も繰り返したやりとりがまたなされ、エイレンが立ち上がった。


「ではね。お休みなさい師匠」


そのまま去ろうとする彼女に、ちょっと待って下さい、と声を掛ける。


「精霊の加護、もう1度しておきましょう。かなり薄くなっているから」


エイレンは一瞬固まり、受けて立つわ、と感情の見えない表情で頷いたのだった。

この間エイレンさんは内心で何百回となく『お父さん』と唱えていることでしょうw


読んでいただき有難うございますm(_ _)m

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