17.お嬢様の忙しい一夜(2)
「我が国の神の本質は禍神でございます」
夜の静寂に溶け込むように、女の声が囁く。
「かの神の力は強大で、そこに在るだけで全てを滅ぼすほどでした。その方が1人の女性と出会い、愛することを知り、守護神へと変わられた」
そこで言葉を切り、ふぅー、と溜め息。
「想像を絶するほどサムいわね。でもまぁこれが、我が国の神魔法の起こりなのよ。本質的に守るよりも破壊向きで、基本理念は、攻撃は最大の防御なり、ね」
いきなりばっさりと通常運転に切り替えたエイレンに皇帝陛下はジト目を向けた。
「なんだこのまま良い雰囲気に持っていくのかと期待したのに」
気合じゅうぶんっぽいスタイルが無駄ではないか、と口を尖らせれば、これはダナエ、とあっさり返される。
ダナエのコーディネートによる今宵のネグリジェは、ところどころに紗を使ったデザインだ。腕や腹、それに首元の肌を透かしつつも、大事な部分はしなやかな練絹でしっかりと守られているところがなかなかにユリウスの好みである。
「余は予定通りにうまくやっただろう。今度はそなたが約束を守る番ではないのか」
「だから神魔法について教えて差し上げてるではないの」
「イイコトとは、まさかそれではあるまいな」
「それ以外に何があるというの。周囲にそこそこの被害を及ぼしても知りたかったことなのでしょう」
平然と嘯くエイレンを、恨めしげに見る皇帝陛下。
もちろん期待していたのは、もう少し妖しい方向で胸がときめくことである。それに今されている話はどうも。
「教えるというより脅しているように聞こえるのだが」
「まぁお聞きなさいな。神魔法にも2種類あって、1つは神の血筋に連なる者が使うもの。以前に少しお見せしたでしょう。そしてもう1つは……」
わざと言い淀み、楽しい話でもしているかのようにきゅっと口角を上げるところを見ると、続きはどうせロクなことではないに違いない。
「もう1つは、なんだ」
「我が国の神自身がその本質を露わされるもの。まさに『怒りに触れた』という状態ですわね。ちなみにご存知かしら。『神のかまど』は火を吹く前は火山などではなく、ごく普通の山であったそうよ」
「つまりはこう言いたいのだな……ヘタに聖王国に手を出せば神の怒りを買い、余の治世は危うくなるぞ、と」
「よくできました」
パチパチと手を叩かれて誉められても、ちっとも嬉しくない。これでは前皇帝からの腹心の言うことと同じではないか。
「では破る方法を教えよ。まさか脅しておいて終わり、ではないだろうな」
今度もまた『国防の要を云々』と言ってくるか、と思ったが、エイレンは素直に頷きとんでもないことを口にした。
「何人か煽動者を潜り込ませて内側から暴動を起こさせ、国王を弑すれば彼を核として張られた結界が消える。軍を待機させ、結界が消えた瞬間に侵入し暴動を鎮圧すれば、聖王国は自動的に帝国のものとなりましょう」
「……その後で怒り狂った神が全てを滅ぼすのか」
その可能性は大いにあるわね、と女は愉しそうに口許を歪める。
「神殿を出たばかりの頃は、いずれ帝国に渡れば、皇帝を焚き付けてそうするのも良いと思っていたのよ。もし失敗したとしても、それで身を滅ぼすもまた一興でしょう」
「ほう、なかなかの遊びを考えていたものだな。なぜ変節したのだ」
「庶民どもが愚かだから」
口調は忌々しげにしているが、その目に宿るのは慈しむような光だ。
「裡にどのような怪物を飼っていようと、見た目があの人たちと同じ形をしているというだけで、気を許して助けようとするのよ。おかげでこちらは負けっ放しだわ」
「余とて負けた気分だぞ」
皇帝陛下は憮然と言い放つ。
「結局それでは、余はそなたをタダでもてなしただけではないか」
「でも楽しかったでしょう」
「むう……確かにな」
皇帝陛下がしぶしぶ頷くと、女は、燭台の灯の届かぬ闇の中にまではっきり響くような笑い声を上げた。
「良いお返事ができた坊やには、もう1つご褒美を差し上げるわ」
「なに。それではいよいよ……」
キレイなおねえさんが、と生唾を呑んだが、バカね、と軽くいなされる。再び口を尖らせて横を向く皇帝陛下に、エイレンは告げた。
「聖王国との取引なら、王宮ではなく神殿となさいな。ミスリル鉱床があるのは国王領だけではないのよ」
「なんだと」
「政治系貴族は変化を恐れ他国人の介入を嫌がるけれど、神殿にはそうも言っていられない事情があるの。条件次第では原価でミスリル鉱石をそちらに売ることができる」
「タダでというワケには」
「あらお坊ちゃんの頭は期待したより可哀想なようね」
「……明日からその条件とやらを詰めていくことにしよう」
皇帝陛下は溜め息をついた。なんだかんだあったが、結局はエイレンの思惑通りになっているような気がする。
「最初から最後までそなたの手の上のようだな」
ちくりと文句を言うと、彼女はまた面白そうに笑ったのだった。
「それはあなたがいい男になれるということではないかしら。わたくしの叔母によるとね……」
いい男には、手のひらの上で転がされるのを楽しむ度量があるのだそうだ。




