17.お嬢様の忙しい一夜(1)
「ふあぁぁぁ、これが帝国皇族のお部屋……」
と驚くほどには一見、豪華ではないはずの、シンプルなデザインの調度がさりげなく配置された部屋にアリーファは目を丸くした。シンプルながらもラインの美しさが尋常でないレベルで人を惹きつける調度は、きっと帝国内でも高名な工房の作品に違いない。
滞在中はこちらにお泊まりなさないな、積もる話も積もらない話もあることだし……とエイレンに勧められ、アリーファはエイレンと共に前皇后様のお部屋にいるのである。ちなみに師匠は鎧戸だけが妙に新しい、プライベート感満載の貴賓室だ。
宮殿のしかも皇族専用階ってこんなに簡単に泊まれるものだったっけ?と尋ねれば、それ以外にどこに泊まるの、と当然のような返事があった。もしかして皇帝陛下は既に籠絡済み……だとしたら超恐いこの女。
と考えていると、侍女が1人寄ってきた。
「姫様のご友人でいらっしゃいますね。わたくしダナエと申します。何か用があればいつでも仰って下さいませ」
「は、はぃ……よろしくお願いします」
侍女はエイレンによると確かもともと皇太后付きの1人。いくら高級商人のお嬢様とはいえ基本平民のアリーファより身分も品も良さそうな女性に恭しく挨拶されると、身が縮む思いである。
「あ、あの、私は自分のことはできますので、そんなにお手数おかけしないかと……」
「まあぁ、聖王国の方ってみんなそうなのかしら!姫様も全部お1人でやってしまおうとなさるんですよ!センス壊滅的ですのに!」
両手で頬を挟んで嘆くダナエの背後をそっと抜けようとするエイレン。
がしっ。
素早く降ろされた侍女の右手が、その腕を掴んだ。何気に侍女すごい。エイレンが苛立ちを隠した平坦な声で言う。
「前は軍服で良いと言っていたでないの」
「陛下の好みが分かった以上はそこを押さえつつアレンジを利かすべきですわ!」
「あの坊やにそこまでして差し上げる義理はないでしょうよ」
「何おっしゃってるんですか!そんなことでは愛人止まりです!侯爵家逃した以上は今まで以上に狙っていきませんと!」
何気に侍女こわい。そしてなに。エイレンさん今なにを狙ってるって?
事情をどう尋ねようかとパクパクと口を開閉させるアリーファをちらりと見て、エイレンは短く説明した。
「ごめん遊ばせ。今から皇帝陛下の寝所に呼ばれていますの。先に休んでいて下さらない」
「あ、そうなんだ……って、し、寝所?!」
なにそれなにどういうこと。やっぱり既にろうらく……
アリーファは、目を丸くしてワタワタしている。それを限りなく優しい眼差しで見つめるエイレン。
(ああ、なんて外さない反応なのかしら)
無垢な存在には心癒されるものである。もっと見たいわ、とエイレンは止めのひと言を口にした。
「そう、今ね、口と舌を大いに活用して陛下を攻略中なのよ」
「く、お、かつよう、って……」
「あら分かるでしょう。あなただってハンスさんにキスしてたではないの」
「あっ、あっ、あれは!」
ぼふっと音を立てる勢いでアリーファの顔が真っ赤になる。
「りょ、料理ができる男の人って、い、いいかな、と思ってっ!」
エイレンはまじまじとアリーファを見た。癒されるのを通り越し、珍獣に遭遇した気分である。
かつて『神話』として処理された神様のそっち系武勇伝では、純情な乙女たちがタラタラと垂らされまくっており、一体どんな手を使ったのかと不思議に思っていたものだが、まさか主夫の魅力だったとは。
しかし確かにそういう目で見れば、ハンスさんはなかなかの優良物件かもしれない。
内に黒さを隠している上に筋肉自慢が多少ウザいとはいえ基本は明るく爽やかで、意外と面倒見はよく小まめ。神様ゆえに衣食住には不自由なし。自由恋愛主義者ゆえに浮気はあるかもしれぬが束縛は一切なく、伴侶がどこで何して帰ってこようとメシ作って歓迎してくれる。
しかも、あと1000年は確実に生きてるとなればアリーファの実家の後継問題もほぼ解除、ではないか。
「わかったわ」
1つ頷き、ぽん、とその肩に手を置くと、アリーファが不思議そうな顔をした。
「応援してくれるの?」
「応援に何の意味があるの。頑張るのはあなたでしょう」
「え、だから、反対しないの?」
「他人の恋愛沙汰に首つっこむ趣味はないわ。入り婿にできるよう、あなたがしっかり交渉なさい」
「……他人ね。そうだよね、うん、他人だよね」
がくっとうなだれるアリーファを意に介さず、エイレンは彼女なりの激励を伝える。
「ハンスさんは奥さんが亡くなって以降は受け身に転じているから、積極的に誘惑なさいな。そうね、あなたなら羞じらいながら上目遣いで『キスの仕方教えて』とでも迫ればまずは第1関門クリアではなくて」
「むむむむ無理っ!」
「あらどうして」
「だって私、絶対ハンスさんの好みのタイプじゃないもん」
そうだ、誘惑だとか迫るとかいうのは自信のある女の専売特許なのである。しかしエイレンは、小さくケッと吐き捨てた(嘘エイレンがケッて?!帝国でどんな暮らしをしてきたの!)
「あの博愛に好みなんてあるものですか。そもそもが齢千年のじーさんに若くて可愛らしい女の子が寄り付いてること自体が奇跡なのだから、好みじゃないなどと言った時点で贅沢すぎてバチが当たるというものよ」
「誰がバチを当てるっていうの」
何しろ相手は神様である。
しかしエイレンは一瞬きょとん、とし、それから当然、といように言い切ったのだった。
「わたくしに決まってるでしょう!」




