16.お嬢様は叱られる(2)
「陛下、ご冗談が過ぎますな」
その日の昼過ぎ、刑事司法大臣と共に皇帝陛下の執務室に呼び出されたフラーミニウス宰相は、陛下から告げられた内容に渋面を作った。
なんとなれば、陛下の客人に対する殺人未遂事件について、少年皇帝はわざとらしい爽やかさでこう宣ったからである。
「あれは余の仕組んだ狂言であった」
冗談ではない。あれはネルヴァとカティリーナの共謀であり、それも(結局失敗したところが歯痒いが)陛下の治世を思っての行いである。うっかり過ぎる刺客がヒマの毒を残したことで多少ゴタついたが、ネルヴァからそれとなく聞いたところによれば、それもほぼ片付きそうだとのことだった。
なのに何を今更、である。
この反抗期のことだ、おそらくは客人を暗殺されかけたことでご立腹のあまり何か企んだのだろう。客人自身が陛下を焚きつけたということも有り得る。
フラーミニウス宰相は彼女の、ソツの無い微笑の奥で光る猛禽類のような目を思い出した。幸い彼女は最初に彼が苦慮したほどには愚かでは無かったが、味方と呼ぶには遠い存在だ。
「あの件は既に終息に向かっております。今更、陛下が関わられることなど何も無い」
「ん?たかだか毒物の始末に関する1件に過ぎぬのに、そなた妙に詳しいではないか」
からかうような陛下の声に、この反抗期め、と内心でもう1度毒吐きフラーミニウス宰相は軽く溜め息をついた。
「陛下の客人の安否に係る件でございますれば」
「そうか。それは苦労をかけて済まなかった。少々ことが大きくなってな、なかなか言い辛かったのだ」
ちょっとした悪戯だったのに迷惑を掛けてしまったな、と白々しい笑みを浮かべる皇帝陛下に再び渋面を向ける。
「陛下は常に潔白でなければなりませぬ。民を導く者として」
「ん?だがな宰相。本当に殺人未遂なら罪だが、あれはただの狂言だ。もともと失敗するよう命じてあったのだが。その場合、罪状はどうなるのかな刑事司法大臣よ」
「は」
呆然としていた大臣が慌てて姿勢を正した。
「軽犯罪法違反で罰金は金貨3枚以下です。また状況により業務執行妨害罪も追加されます。脅迫目的ならば脅迫罪も」
「脅迫は無いな……客人も了承済みだからして。ならふむ、金貨6枚程度払えばじゅうぶんだな。それから守備隊の面々には迷惑を掛けたとして酒を振る舞うことにしよう」
「は、さらば守備隊の士気も却って上がりましょう」
お前は本当に帝国式能力主義制度をくぐり抜けてその地位にいるのかこのおべっか使い、とフラーミニウス宰相は刑事司法大臣を睨み付けた。
皇帝陛下はかまわず続ける。
「では早速だが、公安局長と相談して余の処分について決めておいてくれ。なんなら裁判の場にも臨んでやるぞ」
「い、いえ……もちろん、なるべく穏便に済むよう処理させていただきます」
「陛下!」
宰相は両膝を床につき、両手を胸に添えて頭を垂れた。
「そのようなご冗談は即、撤回されますようこの宰相、切にお願申し上げます」
「立つが良い」
「いいえ。陛下がお聞き入れ下さるまで動きませんぞ」
「それは困ったな」
言葉と裏腹に、皇帝陛下の声は晴れやかであった。
「もう遅い」
遅いことなどあるものか、と思った時、廊下をバタバタと駆ける足音と共に、侍従長が呼ばわるのが聞こえた。
「大変だッ皇帝陛下のご寝所よりヒマの毒の小瓶が見つかったッ!陛下ッ!ヒマの毒など、なぜ陛下が持っておられるのですかッ!はッ!さては客人の暗殺未遂に実は陛下が?!」
説明的長台詞を棒読みシャウトするだけの、何ともヘタクソな小芝居であった。
「………」
沈黙を保ったまま立ち上がり、膝をハタハタと払うフラーミニウス宰相。
陛下は実に嬉しそうに説明する。
「公安局長にもな、キチンと余のことを公に捜査しに来ねば職務怠慢と見なして降格するぞと言っておいた」
うん、ネルヴァは確実に動くだろう。そして陛下を……目眩がしそうだ、と額を押さえる宰相に陛下はさらに追い討ちをかける。
「それに小姓と侍女の間ではもう噂になっているはずだぞ、宰相。非常に残念だが、このまま撤回すれば余の2つ名は『隠蔽』になってしまいそうだ」
「『罪なる』帝よりマシでは……全くこの度ばかりはこの宰相、陛下のあまりの仕打ちに呆れておりますぞ」
「そうか?余はそなたの教えを守っているつもりだが」
きょとんと首を傾げる少年皇帝。どこがだ今更、無邪気を装っても遅いわ。
「宰相、余が即位する前に教えたのはそなただぞ―――皇帝は民意に添う者なれど、その際に必ず切り捨てねばならぬ民が出る。数の上では仕方の無いことだが、切り捨てられた民の心もまた、いつか報いるべきものである。民とは数ではなく心である」
覚えておられたのか、とフラーミニウス宰相は思った。あれは理想の治世について論じていた時だったはずだが、陛下は確かつまらなさそうに顎をかきつつあくびをしていたのではなかったか。
少年の声からは、からかうような楽しそうな響きがすっかり消えていた。
「宰相よ、余がそなたに全幅の信を置いておるのはな、代々の『忠実な』家のためではなく、この教えのためだ」
「それは感動的ですな」
精一杯の渋面を作り、フラーミニウス宰相は言葉を継ぐ。
「だがしかし、此度の件と何の関係があるのでしょうかな」
「もし民に心があるならば、無実の罪で捕らえられている異国人にも心はあろう?」
皇帝陛下は爽やかに宣った。
―――助けられるのなら、余が少々泥を被る程度何でもないではないか、と。
※※※※※
その頃聖王国の港町ゴートでは『海渡りの祭』が笛や太鼓の音もにぎやかに、始まっていた……にも関わらず、神殿の片隅の部屋で頭から布団を被っているのは『人畜無害』が売りの精霊魔術師である。
「師匠行かないの?」
「僕の仕事は2時間前に終わりましたから」
弟子の少女が戸口で声を掛けるのに、ムニャムニャと応える。『海渡りの祭』に向けて集まる船にまじないをかける仕事は、やや押し気味だった分まじでキツかった。最後は3日連続徹夜である。
「アリーファさんは行きたければ行ってらっしゃい。メイン会場周辺だけなら、多分悪い人はいませんから」
アリーファは複雑な面持ちではーい、と返事をした。
やっと透輝石を灯すのに成功したものの、精霊魔術の繊細な発音に四苦八苦しておりなかなか次に進めない彼女は、この度も一向に役に立てなかったのである。それもまた、けっこうしんどかった。主に精神的な面で。
それでも祭は見たい。しかし師匠が過労死しかけているのを横目に遊びに出るのも……と悩んでいると、布団の中からリクウの手がニョキッと出てきてヒラヒラと振られた。
一見、邪険にも思えるその仕草が師匠の心遣いであることは疑うべくもなく、アリーファは元気よく挨拶をする。
「師匠お休みなさい!じゃあ行ってきますね!」
「ふぁい、行ってらっしゃい」
送る声は既に沈没寸前である。
しかし結局のところ、アリーファは祭に行けず、リクウもまた完全に沈むことはできなかった。
なんとなればその時、祭には不釣り合いな早馬が王都からやってきたからだ。
使者はアリーファの両親が営む高級雑貨店の使用人であり、お嬢様とその師匠に1通の手紙を渡した。
『親愛なる精霊魔術師様と、アリーファへ
前略。アリーファ、あなたのお父様が帝国へ旅に出たまま帰ってこないの!予定ではとっくに帰っているはずなのに、もう半月近くも音沙汰無しなのよ。あなた今ゴートにいるんでしょう?お願いだからお父様を迎えに行ってあげて!
精霊魔術師様、恐れ入りますがアリーファの付き添いを宜しくお願いします。報酬は夫のダィガからお受け取り下さいませ。
では。航海の無事を祈ります。
アイラ』
アリーファは手紙を読み、呆然と呟いた。
「うそ。お母さんが……あの人が、お父さんのことで取り乱してる……!」
彼女の記憶の中の母は、外面は良いが家庭では、いつも家族が思い通りにならないことに苛立って、瘴気を振りまいているような女だった。
特にその元凶となっている父に関して、こんなに心配そうにしているなんて有り得ないのである。
「結局は、犬も喰わないやつをずっとやってた、ってことですかねぇ」
リクウがのんびりと呟き、アリーファはがっくりと肩を落とした。
「小さい頃からずっと悩んできた私の立場って……」
犬も喰わないやつに延々と付き合わされてきた身を、誰か分かって。
切実にそう願う、アリーファであった―――




