16.お嬢様は叱られる(1)
いつもお読みいただき、ありがとうございますm(_ _)m
今回(1)~(3)は小話多めに、場面も視点も(いつも以上に)コッロコロ変わっていきます。ごった煮的にお楽しみいただければ幸いです。
エイレンが無事、ティルスとともに脱走を果たし、かつ、ルーカスから「あほかあなたは」で始まる小言を浴びせられつつ戻ってきた翌日の夜。
やりすぎだ、とユリウス・ラールス2世陛下は己が寝所のベッドに横たわる彼女を見てそう思っていた。
のびやかな肢体は、動きやすそうな染めのない麻のワンピースでしっかりと覆われている。それをいいことに女は片腕に華奢な顎を乗せ、片腕で頬杖をついて寝転び、足先を時折天井に向けてはブラブラと動かし……つまりは、すっかりくつろいでいるのである。
前皇帝崩御とともに何の未練もなく現役引退し、離宮で気ままな生活を送っている皇太后でさえ、人目のある場所でこんなかっこうはしない。ましてや、皇帝に対して茶飲み友達のごとくに愚痴などこぼさない。
なのに彼女ときたら。
「せっかくこのわたくしが、わたくしの責任が6割と言って差し上げたのよ。なのに何も報復しないなんてあの子ときたらどういうつもりなのかしら。本当にもう気持ち悪い」
誘惑する気もイイコトを教えてくれる気配も皆無なままに、ただひたすらブツブツとぼやいているだけなのである。
いくらほぼ毎晩のように寝所に呼んでいるからといって慣れすぎだ、と思うユリウスであったが、当然のように期待されると全く相手にしないわけにもいかないような気分になってくるものだ。
「そなた誰に向かって物を言っているのだ。そのような愚痴は婚約者にでも垂れるが良かろう」
と抵抗してみせると、普段はそうなのだけれど今あの人仕事中なのよ、とあっさりとした返事があった。
「だから代わりに。それにあなただって、全く関係のない話ではないでしょう。帝国が身代金ケチらず彼を引き取ってくれていたら」
痛い所を突かれて、むう、と唸るユリウス。
「それに関しては済まぬことをしたと思っている。しかし例え弟がいたとて、余は報復など受けるわけにはいかぬ身だからな」
「だったら黙って愚痴くらいお聞きなさいな。とにかくあの子ときたらもう。やっていられないわ」
カロスの小さな骨を埋葬した後エイレンは、話しにくいところは若干ぼやかしつつも、その死に至った経緯をティルスに告げた。あなたには報復する権利があるのだと己のレイピアを渡しさえした。
フラーミニウス宰相に遠回しに殺されるのはどうしても理不尽な気がするが、相手が彼の弟であるならば筋は通っておりさほど後悔もない、と覚悟も決めた。なのに。
ティルスは動かず、刃をそっとしまったのだ。
「母が亡くなった時に、兄さんが言ったんです。人間50年も経てば皆同じ土の下だと」
それは帝国に伝わる諺であった。最初に言ったのはラールス朝初代アウグストゥス皇帝とされているが、それはさておき。その諺の意味するところはこう解釈されている。
ゆえに、常に最も重要なことから為すべし。
「兄のことは物凄く悔しいですが、それでも僕にとって報復は順位4番目くらいなので」
命を助けてくれたひとを傷付けるなんてできません、とティルスにキッパリ言い切られてエイレンは非常に困ったのだった。憎まれることには慣れているが、赦されることには慣れていない。それに、憎まれ断罪される方が赦されるよりマシな場合もあるのだ。
「大体が、赦すというのは相手が取るに足らない者であるか、じゅうぶん利用価値があるかのどちらかよね」
イライラと呟く言葉に、ユリウスも大いに頷く。
「まぁこの場合は、利用価値ありで分類されたと思って良いのではないか」
「そうなのだけれど……」
と、複雑な表情でエイレン。庶民は思っていた以上にしばしば、損得勘定で動くものではないことが最近やっと分かってきたのである。
「もしも、あの子が、計算など全くせずに100%善意のみで動いていたら、どうしたらいいのかしら」
「それはそなた、踏み付けるか一生下僕になるかだろう」
やや意地悪にユリウスが言えば、そうよね、と悲痛な面持ちのエイレン。
「わたくし人の善意は大体、踏み付けることにしているのだけれど、それができない相手というのもいるものなのね」
気分は昔話の化け物だ。悪逆の限りを尽くしていたが、旅人に親切にされると悲鳴をあげて消えていくのである。
「そうだな。まぁ余も関わりのある話ではあるし」
あくびを1つしてユリウスは具体的な提案をした。
「その者には就職先を斡旋してやろう。ちょうど妹の方で同じ年頃の従者を1人、探していてな」
「有難い話ではあるけれど、あの子につとまるかしら。教養は読み書き程度よ」
「侍従長にしばらく教育させよう」
幸い容姿と心根は良いようだから心配要らぬだろう、と皇帝陛下は仰せられ、そして後ほど、その通りになったのであった。
※※※※※
エイレンが皇帝陛下を相手にグチっていた頃、守備隊南都支部のでーんとした建物の傍に2つの人影があった。
「くれぐれもしくじらないで下さいよ」
心配そうに1人が囁けば、もう1人は不敵な笑みを返す。
「私を誰だと思ってるんだ?」
「しがない吟遊詩人」
「その通りさ。だが、万一失敗してもあんたの名も陛下の名も出さないさ」
ギリギリと歯軋りしつつ、ルーカスは頷いた。陛下にヤツを使え、と推されさえしなければ、自分が行くところだったのに。
わざわざ夜中に本来の職場に忍び込むことにしたのは、押収品のヒマの毒を偽物にすり替えるためである。その予定をひとまずは陛下に知らせたところ、陛下は満面の笑みで仰せられたのだ。
「だったら適任がいるぞ」
しかもヤツはこの度の計画を最初から知らされていたという。もともと陛下の手の者である印の黄金の札を持っていた男であるから当然なのかもしれないが、それにしてもなぜこの軽そうな吟遊詩人が。合点がいかぬところである。
「いいですか、押収品は地下左奥、1番倉庫です。中でも毒物は」
「倉庫右側の隠し戸棚に別保管、鍵は副長のデスクの中、だろ。まぁピッキングでいけると思うが」
うんざりした口調でキルケが言う。
「見取り図は頭に入ってる。作成者が間違ってなければ大丈夫さ」
しかしまだ信用ならない、とばかりにルーカスは細々と注意を与えようとする。
「もしも見つかったら」
「はっ、第3班新入りのマーニウスであります!夜警からただいま戻りましたであります!」
「力入りすぎですよ。倉庫にいる理由は」
「はいッ!落とし物を拾いましたのでッ、保管しに参りましたッ!」
キルケが手にしてみせるのは、珍妙な形に折られ所々に縫い目と靴跡のある5枚の手巾だ。何に使うか分からないが何やら曰くありげで捨てにくい感じがするところが今回の件には適任であった。
「だから力入りすぎだ。上官は」
「カエークス・ネルヴァ殿であります」
「まぁいいです」
覚えているというのは本当らしい。
「健闘を祈る。ただしトイレはガマンして下さい」
「保母かあんたは」
「5歳児をお遣いに出す心境です」
ルーカスはぼそぼそと不本意さをあらわにする。
「そろそろだな」
キルケが空を見上げて月の位置を確かめた。先程、守備隊の敷地内に放たれている犬用に撒いた、蒸留酒をたっぷり染み込ませた干し肉が効を奏している頃である。
「では鍵を」
通用口の鍵をキルケに渡そうと懐を探ったルーカスは怪訝な顔をした。
ない。
「少し待ってください」
「お前さんが探しているのは、もしかして金の鍵かい?それとも銀の?」
「いえ銅の鍵です」
キルケがニヤリとしててのひらを開けてみせる。その中には黒ずんだ鍵があった。
「私を誰だと思ってるんだ?」
もう1度軽口を叩き、身軽に塀を乗り越える後ろ姿をルーカスはなおも不安げに見送る。その心は。
―――単に手癖が悪いだけだろう!
であった。




