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14.お嬢様はマフィアのボスと会う(2)

月の無い夜だった。もし満月ででもあれば、白銀の光を浴びて輝く彼女の肌が見られたろうに、とレグルスは残念に思う。


庭の隅の四阿(あずまや)へと誘うと、彼女はすんなりと付いてきた。それはそうだ。自分が贈ったドレスを着ているのだから。


これまではバカげた遊びだと信じていたその行為は、存外に楽しいものだった。彼女のためにデザインを決め、出来上がるのを待ち、想いを込めて贈る。そしてそれを纏った女を自分だけのものにできる満足感。


初夏の夜風は心地良く頬を撫で、やわらかな裾を揺らす。東方の属州から取り寄せた最上級の絹は、四阿(あずまや)の四隅に掲げられた燭台のわずかな灯りさえをも捉えて滑らかな光沢を放っていた。その中で蝋燭の炎に染まった彼女の肌がかすかに息づいている。


「美しいな」


口から漏れた賛辞はどうしようもなく平凡だったが、女は黙って微笑んでくれた。胸から溢れるような愛しさに、思わず抱き寄せようとする……と、さっと避けられた。いったいなぜ。


「ぼくのために装ってくれたのでしょう」


「その通りですわ。今宵はレグルス様のためだけに参りましたの」


夜風のように涼しげでありながら甘さを含んだ声が耳朶を打ち、彼は目を閉じる。


「もっと何か言ってみてくれないか」


女が彼の耳許に唇を寄せ、囁いた。


「ですから、わたくしのお願いを聞き入れていただけますかしら」


「ぼくにできることなら、何でもしよう」


嬉しいわ、と花がほころぶような笑み。


「では、南方でヒマの毒を手に入れさせ、あなたの工場の原料仕入れルートに載せてこちらまで運んでちょうだい。できるだけ早く、秘密裏に」


「ヒマの毒……は、難しいな。暗殺未遂事件から規制が厳しくなり、ノートースが売り渋っている。記録に残さずこっそり、となるといつになるか分からない」


「あらまぁ」


エイレンは若干驚き、甘い声の装備を忘れた。その心は。脳内お花畑かと思えば意外と冷静ね、である。


「さすがフラーミニウス様だわ」


賛辞を贈れば、不満そうな表情を返された。


「レグルスと呼んでほしい」


いやだって今誉めたのはあなたの血筋の方だもの。どんなにほどけてもお堅い部分が残っているあたりが、さすが『忠実な(フェデリタス)』家だと。


「ではどうすれば良いのかしら」


困った表情を作って目を伏せてみせると、レグルスの視線がうなじに注がれた。一瞬、来るのか、と思ったが……


「貧民街のマフィアに紹介状を書こう。毒物を秘密裏に手に入れるなら彼らだ」


返事の方が先だった。


「彼らは本人としか取引しない。ぼくが行くとかえって目立つから、いつも通り弟を護衛につけてあなたが行った方が良い」


「いつも通り?」


「病人の世話に通っているのだろう?通常の貴婦人はそんなことはしない。あなたは常識の枠では測れないな」


「あらありがとう。あなたこそ、マフィアとつながりがあるとは恐れ入ったわ」


「工場と貧民街は、隣同士だからね。半年に1度は地区の子供たちの就職斡旋にも来るし」


なんとも意外な関係もあったものだ。ほぉ、と素直に目を丸くしていると、レグルスはそういうワケだから、と彼にとっての本題を切り出した。


「結婚してほしい」


「あら、それって何年契約?」


直球に拍車掛かりすぎである。どこまでマジメなの、という驚きは出さないよう軽口を叩いてみたものの、レグルスの水色の瞳は真っ直ぐにエイレンに向けられたままだ。


「ずっと」


「あら3年ほどなら良かったのに。ずっと、では周囲に波風が立ちすぎね」


「一生立つことはないだろう。やがて静まるさ」


どうしよう、とエイレンは思った。マジメ君には軽口が効かないらしい。


「あのね、この前のことなら、あなたは誤解しているわ」


溜め息まじりに諭してみる。


「娼館にでも遊びに行ってご覧なさいな。もっとスゴいテクを持っている方が沢山いてよ。別に愛とか恋とかではないの」


「そんなことは分かっている」


「そ、そう……」


別にわたくし如きでなくても上には上がいるのよ、というプライドを捨てた忠告のつもりが、無意味だったようだ。今レグルスに起きている現象は、遊び慣れていない人間特有の『快を恋だと勘違い』状態だと思ったのだが。


そしてその一瞬、戸惑ったのがアダになった。


レグルスの腕がすがりつくように、それでいて力強く女を捕らえた。うなじに熱い額をあたり、絞り出すような声が背筋をくすぐる。


「初めて会った時からあなたのことが気になっていた。それが何だか分からずに苛立っていたが、分かってしまったら、もう止められないんだ」


失敗したわ、とエイレンは内心で舌打ちをした。なにやらムードある雰囲気に持っていこうとしているレグルスであるが、その抱擁はどちらかというと、完璧な羽交い締めだったからである……とち狂っている割にはレグルスの学習能力は健在らしく、明らかに彼女が抜け出せないようにしているのだ。


「分別ある殿方は、その辺は遊びで済ませて家にとってメリットのあるお嬢様と結婚するものよ」


穏やかに一般論を出してみるが、全く耳に入っていないらしい。


これは諾と言わねば紹介状が貰えないパターンだろうか。それどころか、父君のフラーミニウス宰相に「弄ばれて捨てられた」等と訴えられる懸念がにわかに現実味を帯びてきてしまったきらいさえある。


もしかして相当、まずいのかもしれない。


「仕方ないわね」


焦りを隠して観念したように呟くと、男の腕が安心したようにふっと緩んだ。


今だ。


すかさず縛めを解き、彼の膝の上に乗って肩を押さえつける。至近距離からやや上目遣いでその瞳を覗き込み、宣言した。


「今ここで出来ることなら、何でもして差し上げるわ。それでいかが?」


「それならぼくの申し出に諾と言って欲しいのだが」


フラーミニウス家の長男は、割とぶれない男であった。攻めるには色気が足りなかったのかしら。


まっすぐに見つめ返されて、エイレンは全身からの溜め息をつく。


「できないわ。帰る場所はもう決めてあるの」


耳が熱くなるのが分かる。何をするのもそう恥ずかしくはないが、心の奥底に2度と浮上しないくらいの勢いで沈没させたはずの本音を語るのは、恥ずかしいものだ。


「……ダメなのか」


「ここからでは少し遠すぎるのよ。なんなら遠距離婚にする?」


「それはダメだ」


憮然としてレグルスは告げる。


「閉じ込めてぼくだけが愛でることも、どこにでも連れ歩いて自慢することもできないじゃないか」


矛盾する願望にエイレンは思わず声を上げて笑った。


「あなたならきっと、そのうちそんなお嬢さんと出会えるわよ」



※※※※※



その頃、四阿(あずまや)の外の物陰では2人の男がヒソヒソと話し合っていた。


「おい、どうする?このまま出て行かなければ、ただの出歯亀ですが」


「男同士の本音を言いましょうや」


キルケが一瞬、身震いした。


「私は我が身の方が可愛いですよ。あんたは弟だから良いが」


「いや、いくら弟でも、あれだけ熱心に体当たりして玉砕したシーンを見てた、とバレたらどうなることか……」


「どうなるんです?」


「向こう3年程度は実家立ち入り禁止、ですかね」


「それくらい大人なんだから別に良いんじゃ」


「ではあなたはどうなると思います?」


「この辺では10年くらい商売できなくなるかも……」


「地方ドサ回りといきましょうか」


お互いにフン、と鼻を鳴らしあい、そして大きな溜め息。


「そんじゃま、私たちは何も見なかったし聞かなかったということに」


キルケがまとめ、ルーカスは自身の卑怯さを責めつつ力無く頷いた。


「なんだか、私まで一緒に玉砕した気分です……」


それを聞いた吟遊詩人は、心の底からの祝福を込めて、この一時の戦友の肩を叩いたのだった。


「目がはっきり醒めて、本当に良かったなぁ!」

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