13.お嬢様は皇帝陛下を誘惑する(2)
だーん、と冷たい音を立てて鉄の扉が閉まるのを、ダィガはイライラしながら聞いた。当初の予定では、今頃は聖王国へ戻る船に乗っているはずだったのに、とんだ事態に巻き込まれたものだ。
忙しい商人をナメているとしか思えない仕打ちである。
帝国南部の交易都市オルトスを出た後、馬車で10日ほど旅をして南都に着いた時には、あとはちょっとした手続きと商品の買い付けだけだとウキウキしていた。
それらは全てうまくいき、妻と最愛の娘への土産も買った。ティビス運河から出発し、帝国西の玄関口ゼフィリュス港で乗り継げば、船だけで聖王国まで帰れることも調べて予約をとった(馬車はもうこりごりだ)。
後は翌日に船に乗るだけ、だった予定が狂ったのは、その日宿に戻って部屋が荒らされているのを発見した時からである。
確かに、枕の下に入れて置いたチップはいつもより少なかった。たまたま半銀が無かったからだ。しかしありったけの銅貨は入れておいたし、それでも通常の旅人が置いていく額と比べたらケタ違いに多い筈だ……泥棒の手引きをされる謂われが無いと思うのだが。
もしかして余程期待されており、アテが外れた挙げ句の憎さ100倍だろうか?とも考えたが、宿のメイドたちにそんなそぶりは見られなかった。気前の良い聖王国人が難儀していると見れば即座に主人に知らせてくれ、主人もまたすぐに守備隊に連絡を取ってくれたのだった。
そして部屋の荒らされようの割に、結局のところ盗られていたのは鞄1つ―――妻子への土産の宝石と、オルトスで求めた『媚薬』という名のシロップに風邪薬の大瓶、それに着替えが入ったものである。
「金目のものが入っていると思われたんでしょうね」
守備隊の係官は、鞄は探してみますので2~3日待って下さい、とあっさり言って聞き取りを終えた。
「あの……犯人は?」
尋ねれば、哀れな者を見るような目で「ここは南都ですよ?殺人犯ならともかく、コソ泥1匹がそんな簡単に見つかると思っているんですか」と返された。
それは最初から捜索を諦めているということか?そんな有様でよくも官軍を名乗れたものだな、と思ったが黙っていると、係官はダィガがただ困惑していると誤解したらしい。やや口調を緩めて恩を売ってきた。
「宝石は返ってこないでしょうが、闇ルートで換金できないものは貧民街あたりのガラクタ市に流れるはずだからそちらを当たってみます……本来ならそこまで守備隊の仕事ではないんですがね」
じゃあお前らの仕事は何なんだ、コソ泥を見逃し裏社会を潤すことか。とツッコみたくなる。しかしいかんせん、礼儀正しさは商人の嗜みだ。
「すみません、ご親切に有難うございます」
小さくなって礼を言うと、気にする必要はありませんよ、と肩をすくめる係官。
「旅人が慣れない場所で身ぐるみ剥がされてしまえば、こちらの仕事が増えるだけですからね」
どこまでサボるつもりだお前ら、と思わないでもないが、ここまでくると率直な物言いはかえって信頼できそうだ。帰国は遅れてしまうが、せっかく南まで行って仕入れた商品は無事かもしれない、とダィガは期待した。
そして、その通りになった。
早くも2日後、盗まれた鞄を持って現れた係官は最初とは違う者だった。そういうこともあるのだろう。
盗品の申請があったものと中身を照合しますから立ち会って下さい、と求められ、係官の前で鞄を開けた。係官は早速チェックを始める。
「ペリドットと銀の腕輪、無いですね。翡翠と銀の首飾り……これも無し、と。下着、ズボン、シャツ……ああ着替えは無事でしたね。後は大瓶2本、これは輸出品申請済みでしたね。無くなったらややこしいことになる所だったが、あって良かった」
これで終わるはずだったのが、最後に係官が取り出したのは、見覚えの全く無い小さな薬瓶だった。
「これは……何ですか?」
厳しい声音と表情だった。
「底の蓋裏に隠されていたところを見ると、よほど大切なものなんでしょうが、申請はきっちりしていただかないと」
「私の鞄はもともと、底に蓋などありませんでしたよ」
ダィガは抗議した。それにもし彼が何かを隠すとしたら、それは鞄の中なんかじゃない。服の下に着込んだ腹巻きの中である。
「その薬瓶は、断じて私のものじゃありません」
抗議を無視して、調べさせてもらいます、と係官は布を口元に巻き手袋をして薬瓶の蓋を開ける。注意深く瓶を傾け、てのひらの上にごく少量の白い粉を載せた。
仔細に眺めた後、おもむろに口元の布を引き下げ、舌先をわずかに粉の上に押し付けたかと思うとすぐにペッ、と吐き出す係官。
念入りにうがいをした後、彼はこう言った。
「失礼ですが、ご同行願います。あなたがなぜこれを所持しているのか伺わねばならない」
「何なんですか、それは」
すっとぼける気かこの野郎、とでも言うような冷たい眼差しがダィガを射た。
「ヒマの種子から精製した―――毒、ですよ」
そして連行された先に待っていたのは、早速の尋問だった。まるで予め用意されていたかのようだ。
「貴様はオルトスでノートースの民と密かに取り引きし、ヒマの毒を手に入れたのだな?!」
「いいえ」
ばーん、と叩かれる机。どちらかというと叩いた手の方が痛そうだ。
「嘘をつけ!それを刺客に渡し、皇帝陛下の客人を暗殺しようと試みたのだろう!」
「いいえ」
「政変に巻き込まれ亡命した姫を、国からの密命で始末しにきた、との調べはついているんだ!とっとと吐け!」
「いえそれは私ではありませんね。というか、その話本当に我が祖国のことなんですか」
何も知らないのだから、これ以上答えようがないのだ。帝国人なら、不安に陥れて強めに詰め寄られればすぐにあること無いこと吐くのかもしれないが。
だがしかし、とダィガは思っていた。
聖王国商人ナメんなよ。こちとら後ろ盾は神様だ。
「私はただ商品の買い付けのために旅をしていただけです。この言葉に嘘が無いこと、神の御前で誓っても良い。しかし」
ジロリと睨みを利かせれば、尋問官が若干怯んだような気がした。
「もし、そちらに間違いがあったとなれば、我が祖国の神は気が短い方だ。国境の火山がもう一度、火を噴くかもしれませんねぇ」
まさか聖王国の神様もたかだか一商人のためにそこまでなさらないだろうが、利用くらいはさせてもらっても怒るまい。
その日はこれで終わった。しばらくこちらに逗留していただきます、と神様に恐れをなしてか言葉遣いだけは丁寧に案内されたのが、この牢獄である。
面会用(?)の小さな窓にも鉄格子がはまっている狭い部屋の壁は、帝国らしい赤レンガ。毎日、朝と昼過ぎに引っ張り出されて尋問を受けては、再びここに閉じ込められる。冷たい鉄の扉が閉まるのを聞くのも今日で3日目ともなれば、苛立ちも募るし焦りも出てくる。
ここの無能どもは自分が「はい」と言うまでこれを続ける気だろうか?否認していればやがて出られるものでは無いのだろうか。しかし冤罪をわざわざ被るなどできるものではない。
しかも周到に用意されて詰められたものならともかく、こんな杜撰な押し付けられ方で肯定などしては、もと秀才の名が泣くというものだ。だがしかし……
益体もなく空転する思考を断ち切ったのは、どこかで聞いたことのある、凜と澄んだ声だった。
「ここにいるのね。その容疑者とやらは」
「はい」
思わず、小さな窓に顔を押し付けてその声の持ち主を探す。そこにダィガが見たのは―――
「まさか……巫女様?!」
光を受けずとも輝くような金の髪に蜜色の瞳。姿勢の良い長身はどこでも己が主人公、といったオーラに溢れている。
それは、かつて愛娘が憧れ、その追っかけに散々付き合わされた『一の巫女』の姿だった。
―――しかしなぜ、野生児スタイルなんだろうか。




