13.お嬢様は皇帝陛下を誘惑する(1)
「『地獄の花』は即効性、ひと匙ですぐに心の臓を止める」
歌うように言いながら、エイレンは薬を慎重に病人の口に流し込む。もちろん毒薬などではなく、買えばかなりの値がつくだろう滋養強壮剤である。
病人それぞれの状態に合わせて水で濃さを変えるなど細かい心遣いも、彼女によると当然のことであるらしい。
「『夏の白雪』はその精油を肌に塗れば、やがて息ができなくなり苦しみもがいて死に至る」
続いて、非常に丁寧に病人の肌を拭いてやっている。使っているのは、もちろん普通の湯で絞った清潔な布だ。
しかし精神衛生には悪いだろう、とルーカスは密かに病人たちに同情していた。
ここ数日というもの、エイレンは毎日のように貧民街を訪れ病人の世話をしている。それは立派なのだが、同時にハマっているのがなぜか毒薬辞典の暗記である辺りが彼女の性格のねじれ具合を示していた。
「いい加減やめないと、バルブスさんがもう覚悟を決めた安らかなお顔になっていますよ」
「大丈夫よ。ここの人たちはもう何度も死地を経験し乗り越えた方が多いのですもの。この程度は何でもないわよ」
「そんなはずないでしょう」
エイレンはじっとルーカスを見つめた。居心地が悪そうに目を逸らす彼に、びっと指を突きつける。
「最近ツッコミが甘いわよ。何か悪いものでも食べたのではなくて」
「……そんな気もしないことはないですが全身全霊で否定中です」
「そう、では後で試しに解毒剤を調合してあげるわね。胃袋まで吐けるほど強烈なものなら、きっと何とかなるわ」
「まじで死ぬからやめてください」
普段通りの真顔で答えるルーカスに、ああもう気持ち悪いわ早く回復してちょうだい、と吐き捨てるエイレン。
「でなくて『そんなもの本気で飲めると思ってるとかあなたアホですか。先に飲んで1回死んでくるが良い』でしょう、あなたなら」
あれそうだったけ。
「やっと短い言葉にグッと込められた敵意の心地良さが分かってきたところだったのに、急に趣旨替えするなんて、嫌がらせにもほどがあるわ」
「嫌がらせなんてそんなことは」
バルブスさんの元を辞し、2人は子供たちに付きまとわれながら次に向かう。
「そう、嫌がらせでないと言うなら」
エイレンの双眸がすっと細まった。
「なぜあなた、ダナエの前であの手巾群を取り出したのよ。お陰でものすごく怒られたわ」
お止めしてたのに作った上に使用済み品を殿方に持たせるなんてまぁ!と1日中言われ続けた挙げ句に「お仕置き」と軍服を、着ていないのも全部、洗濯に回されてしまった。ちなみに洗濯は己ですると「洗濯係の仕事をとってはいけません!」と怒られるので、ダナエが付いてから1回もできていない。
そして今エイレンが着せられているのは、どこからかダナエが調達してきた帝国風の神官服……というと聞こえは良いが、女神の侍女のスタイルとされるそれは、腕や脚にフワフワヒラヒラした薄絹が纏わり付き邪魔なことこの上無かった。
動きにくいわ、とエイレンは貧民街に着いた途端に袖と裾を引きちぎってしまい、今や二の腕とふくらはぎを剥き出しにしてまんま着のみ着のままの子供達のリーダーのようになっている。この地区では似合っているが後でダナエが泣きそうだ。
ルーカスがぼそぼそと言い訳した。
「あ、あれは捨てるのを忘れていたとたまたま出したところを、たまたま見つかっただけで」
「処分に困って呑み込もうとしていたそうね」
「そんなことは!絶対にしていない!」
「あらあなた、瞳孔が『貴婦人の花』を飲んだみたいに拡散しているわよ」
ルーカス・フラーミニウス氏は久々に、ムッとつぐんだ口から歯ぎしりの音を漏らしたのだった。
「……毒といえば」
ひとしきりギリギリやってやっとフラストレーションから解放されたらしいルーカスが、病人の身体を拭くエイレンに話し掛ける。
「昨夕きた情報では、暗殺未遂の黒幕が捕らえられたそうです。ヒマの毒を所持していたことから足がついたとか」
「それはもっと早くに言って下さらない」
「言ったらあなたが勝手に飛び出そうとするから面倒でしょうが。そもそも言わなければならない義理が無い」
「もう一声」
「あほか」
「やっぱりイイわ。発音のキレが最高……で、いつ捕まったの」
「3日前だそうです」
ルーカスの答えに、エイレンは鋭く舌打ちをした。ヤワな囚人なら、そろそろ参ってくる頃だろう。
「皇都に護送するよう要請しましたが、南都で片付けるので不要、と言われましたね」
「皇都には事後報告でOKとか思っているなら、それこそ不敬罪ではないの」
「いえ確かにこの程度の案件なら皇帝陛下には事後報告でじゅうぶんですから」
あのちょっとばかし面倒な件は哀れな誰かさんに罪を着せて終わらせました、以上。
……誰かさんに罪を着せきれず、真の黒幕に累が及びでもしない限りは、皇帝陛下の出番は全くないのだ。
エイレンが不愉快そうに眉をひそめた。
「わたくしに対する敬意はどこに行ったのよ」
「あほか。そんなものがこの国に本気であると信じてるなら誇大妄想狂ですね」
「あら良い感じ」
そんなところで嬉しそうに笑わないでくれ、とルーカスは思い、ますますぶすっとした表情を強める。
「でもわたくしのために面会は取り付けてくれたんでしょう」
「当然です」
「優秀な人って好きよ」
―――そういう軽口も、やめてほしいものだ。




