12.お嬢様は慈善活動をする(3)
たとえ下々に少々優しかろうと、抜け目がないように見えて時たま有り得ないボケをかますのが存外に可笑しかろうと、彼女は度し難い存在だった。
陛下の治世の邪魔になるかもしれない点も、何かと人をオモチャにしようとする癖も。
しかしよく考えれば、こちらの名も知らせずにいきなり成敗したいなど人道に反するというものではないか。
「……ルーカスだ」
「え?」
唐突に告げられ、きょとんとした顔をするエイレン。
「昼に名前を聞いていたでしょう。だから、ルーカスだ」
ぶすっとした表情のまま告げれば、女はずいぶん遅いお返事ね、と笑った。
「ではルークさんで決まりね」
フラ次さんの方が良いわ面白いから、とか言われなくて良かった、と安堵したルーカスだったが、その分違和感はますます強まった。一体何だというのだろう……ああそうだ。
懸念材料はまだあったのだ。
「くれぐれも頼みますが、もし兄からドレスが贈られても、絶対に着ないで下さいよ」
「よほどお兄さんのことが心配なのね」
念を押すと、再び女はクスクスと笑い、襲わないように気を付けるから安心してちょうだい、と言ったのだった。
―――なんだかちっとも安心できない、と思ってしまうのは、一体なぜだろうか―――
※※※※※
その日の昼過ぎ、聖王国の港町ゴートの神殿では2人の滞在者を迎えていた。清潔感があって穏やかな『人畜無害の好青年』が売りの精霊魔術師と、その弟子の少女である。
出迎えた神官はにこやかに挨拶を済ませると、こちらへどうぞ、と早速2人を部屋に案内すべく歩き出した。
「お弟子さんがお嬢さんだと伺ったので、隣にもう1部屋用意していますよ」
「ご親切に助かります」
「例年より少し遅い到着でしたね」
王都からゴートまでは徒歩で10日といったところだ。しかし、初めての長旅をする弟子を気遣い、道中もあちこちの町に泊まりつつ頼まれれば仕事をこなしつつ、倍以上の時間をかけてやっと到着したのである。
「ええ。ですが『海渡りの祭』に間に合いそうで良かったですよ」
リクウが穏やかに応じれば、逆に神官の方が申し訳なさそうな表情を作った。
「明日から早速仕事をお願いすることになると思いますが、大丈夫ですか」
「全く問題ありません」
他の地域の神殿にとっての精霊魔術師は、なんとなく胡散臭いと敬遠すべき存在であるがここゴートだけは別だ。
航海の安全と大漁を神に願うはずの『海渡りの祭』に、いつの間にやら「実質便利に使えるものなら何でも使おう」という思想が染み着いているのである。
すなわち、いちいちの船の板を締め直し、事故に遭わないようにまじないの言葉を舵に刻み込むのは精霊魔術師の仕事なのだ。ちょっとしたことが命の危険につながってしまう、海ならではの習慣だろう。
もっとも忙しい分良い面もある。おかげでゴート滞在中の住居・食事は神殿持ちなのだ。代々の精霊魔術師の部屋は決まっており、半分我が家のようなものである点でも助かっている。
案内された部屋は剥き出しの石の床に壁の質素なものだが、きれいに掃除されさっぱりとした空気が漂っている。きっと不在中もしばしば鎧戸を開けては換気しておいてくれたのだろう。
書棚、文机、寝台のみでいっぱいになる部屋の狭さも相変わらずだが、文机の上には例年には無いものが載っていた。分厚い封筒である。
「手紙!」
アリーファの嬉しそうな声につられて、神官も笑顔を見せる。
「5日ほど前に届きましたよ」
「きっとエイ、じゃなくてリャーシャよね」
神殿関係者の前で死んでるはずの巫女の名を出すのはマズい。そしてそれ思い出した私ってえらい。
それではこれで、と神官が去って行くのを確認し、アリーファは弾むような気持ちで師匠にねだった。
「開けて開けて!」
師匠もまた嬉しいに違いない。本当にごくわずかに口許を緩めて封を開け、中から紙の束を取り出し……一瞬、固まった。
それから何事も無かったように、上の1枚を取って……また少し、固まっている。
「師匠、どうしたんですか?」
「あ、なんでもありませんよ。はいどうぞ」
アリーファに残りの紙の束を渡すリクウ。元通りのとぼけた表情に戻っているが、これはツッコまれなければかえって辛いかもしれない。
「ええ?!師匠のそれ1枚?!あの子ったら、ほんともう有り得ない!」
おそらくはその量だと文面はハーイ+時候の挨拶+バーイ、だろう。
「いやまぁ、女の子同士で話したいことの方がそれは多いでしょうし」
弟子を諭す己が言葉に明らかに少し落ち着いているらしい師匠。
敢えて心をオニにして良かった、とひとまず満足して、アリーファは自室に向かう。そして扉を開けるのももどかしく、久しぶりに見たやや右肩上がりの神経質な文字に目を通して、彼女もまた固まったのだった―――
「婚約したってナニ?!」
※※※※※
ステンドグラスの塡まった瀟洒な扉に鍵を掛けて内側のカーテンを閉じ、王都は目抜き通りにある高級雑貨店の女主人はふっと微笑んだ。
今は精霊魔術師に弟子入りと称して家出している、おてんばな愛娘の名を冠した店の売上は今日もまずまずだ。その計算結果よりも先に、彼女には確認したいものがあった。
店の新商品を買い付けるために、今は遠い空の下で旅をしている夫からの手紙である。
夫との関係は、結婚してから正体を現したそのとんでもないオレ様気質のせいで、表面なんとか固めに保ちながらも内側が冷たい泥沼化していたものであったが、こうしてしばらく離れていると意外にも良いことばかり思い出すから不思議なものだ。
笑顔が可愛かったとか溺愛するあまりにやらかしたアリーファ関連の笑えるあれこれとか、よく考えれば今でも顔だけは割かし好みだとか。
そこへ、結婚して以来貰ったことの無かった手紙が舞い込んだため、まるで娘時代に戻ったように華やかな心持ちになっているのである。
浮き立つ気持ちを押さえながらそっと封筒を開けると、ふっと花の香りが漂った……これはうちで扱っても売れそうね。ついでに買い付けておいてくれないかしら。
『愛しいアイラへ
前略
帝国へ来てかなり過ぎた。君はどうしているかな、と毎日思っているよ。
聖王国の美しく穏やかな空や山を思い出さない日は無いが、それでも帝国は目を惹くものばかりだ。いつか仕事抜きで君と一緒に観光したいよ』
定番だがなかなかときめく書き出しだった。ああ昔はこれで騙されたのよね、と苦笑まじりに思うものの、夫の方もまた嘘を言っているつもりはないのだろう。ただ、お互いに悪い点ばかりが目についてしまっていただけなのだ。
夫が戻ったら、そこからは全力で目を逸らすようにしてみよう。まずは私から。
もしダメならその時はまたお遣いに出してガス抜きすれば良いんだわ、と考えつつ続きに目を走らせると、話題はもう仕事の方に移っていた。本当に夫らしい。
『行きの船の中で得た情報から、綿は製品化されたものを現地で買い付けることにした。なにしろ綿花のままだととにかくかさばって輸送費がかかるからね。それに帝国産の布地はやはりどこか垢抜けていて、うちの商品に相応しいと思う。
そんなワケでオルトスという南部の街に行った。綿花や砂糖はもちろん、ノートース自治区からの品まで集まる、南の交易の中心だ(そうそう、ノートースは現地のことばで「南風」という意味だそうだよ)』
南風の地。その言葉は脳裏に、まだ見たことのない青空や派手な色の花を散らす。
私があの人の誉めポイントを心得ているように、あの人もまた私のツボを心得ているのね。そう思うと少しくすぐったかった。
『南国産のものはどれも目新しく、色々と扱いたいものがあって困ってしまう。が、結局は1番面白そうなものにしたよ。ヴェネヌーム(媚薬)という名の酒に入れるシロップだが、いかにも政治系貴族の奥方たちが気に入りそうだろう?
それに、風邪薬だ。葡萄酒に砂糖やら色々な薬草やらをブレンドしたもので、その名の通りに風邪に効くという触れ込みだがどうだろうね。もし本当に効くのなら、似たものを作ってみても良いな。
この2つは大事に持って帰る予定だから、それぞれに合いそうな小瓶を見繕っておいてくれると嬉しい。君のセンスに期待してるよ。
馬車の旅はとにかく腰にきて辛いものだったが、それもじきに終わりだ。あと2、3日で南都に着くよ。南都では絹と鉄製品を見て、それから輸出品の申請も済ませてしまう予定だ。
この手紙が君の元届く頃には、僕ももう帰りの船の中かもしれないな。早く君に会いたい
愛を込めて ダィガ』
売上を確認して下さい、と使用人に声を掛けられ、アイラは手紙を丁寧に畳んで胸にしまった。
いつか、夫と2人でどこかへ旅行するのも良いかもしれない。
たくさん喧嘩をして、でも最後には楽しい思い出が残る。きっと、そんな旅になるだろう。
これまで何となくうまくいってきた三部構成を崩したく無いが故に、(2)と(3)の間をヘンなところでぶった切ってしまいましたがお許しをm(_ _)m
そしてすみませんグチらせてください。
実はこの回、エイレンさんには○移しという荒技をしていただく予定だったのですが、再三押しても「わたくし医療行為でそんなウカツなことしなくてよ」とぶったぎられてしまい……ついに負けました。いやもうアレで命をつなぐとか超萌えるのに(泣)




