4. お嬢様は殴られる(1)
「えーと、それで何でアンタが手伝ったんだって?」
グイグイと顔を近づけてたずねるセンから、リクウはさり気なく目を逸らした。
結わないままの黒髪は視線を誘うように胸に流れ、ゆったりとしたガウンの裾は立て膝でわざとらしく開かれている。
「偶然通りかかったんですよ」
実際には説教の1つもしてやろうと声を掛けたがよく考えたらそんな間柄でもなく、なし崩しに手伝いだけするハメになったのだが。
「偶然通りかかって!親切心で!貸した金も返してもらってないのに!日が暮れるまでタダで労働するバカがどこにいるってんだい」
精霊魔術師の仕事なんてそもそもが、そんなものだ。聞かれれば客が困惑しないように金額を言う時もあるが、大体のお礼は『お気持ち次第』なのである。
「ここです」
そろりと上げた手を、すかさずセンがつかまえる。至近距離の流し目が送られた。
「だからさ、妹分のワガママに付き合ってもらったお礼をあたしがしてあげるよ」
「お姉さま」エイレンがクスクス笑い、スープを配った。
炉の火がその顔をあかあかと照らしている。
「だったらまずはお姉さまがリクウ様に好きになってもらわないといけないわよ?この方はそういうピュアな信条の持ち主なの」
「ええっ!」
センはリクウの手をパッと離した。ずざざっ、と音のしそうな引きぶりに、ほんのちょっと傷つく。
「そんなに珍しいですか?」
「珍しいに決まってるだろ!アンタそれでも本当に男かい?実は宦官だったりしないだろうね」
「…違いますから」
リクウはがっくり肩を落とす。
(いくら引き止められても帰れば良かった)
洗濯小屋が完成したのは日もすっかり暮れてからだった。
ここまで手伝ってもらってそのまま夜道を帰すなんて申し訳ない、となんだか熱心に泊まりを勧められ、みすぼらしい小屋だけれどイヤでなければ、と遠慮がちに付け加えられ、「断るとかえって悪いかも」という気にさせられてしまったのだ。
今日はオフだから、と渡された葡萄酒のカップをくるくる回しながら、センはしばらく考え込み、おもむろに口を開く。
「そういうことなら、姫さん。お礼はアンタの役目だね」
「あら、親切心で手伝って下さった方にそんなの、失礼だわ」
「…アンタ分かってないねぇ」盛大なため息をついてセンはビシッとリクウを指差した。
「若くて!ちゃんと職についていて!そこそこ良い男が!親切にしてくれたらそりゃあもう!このヒトわたくしのことが好きなのかしらドキドキ、てなもんだろう!」
「いえ、本当に今日はたまたま時間が空いていただけですから…」
「じゃあ何かい、アンタ、姫さんのことキライなのかい?!」
「そういうワケではありませんが…」
深く考えずに親切にしたら「好きなのね?!」設定されても。
「この子わねぇ、ちょっと変わってるけど家事はできるし働き者だし本業の方もテクニシャンだよ!今のうちにツバつけとかないと、すぐ持ってかれちまうよー?」
「それは違うわよお姉さま」
ヒートアップするセンをごく穏やかに制するエイレンの背後に一瞬、氷点下の炎が揺らめいたようだったが気のせいだろうか。
「それはバカな恋愛脳の町娘の話よね?それともわたくしがツバをつけられたり持っていかれたりするのかしら?」
いや気のせいじゃなかった。センが心なしか青ざめている。
「…そんなワケ無いよねーゴメン久々に飲んだからちょっと酔っちゃったみたいだよ」
「そう。正気に返られたみたいで良かったわ」
「うんうん!姫さんなら、ツバつけようとする男に持ってかれそうな振りしながらカスカスになるまで搾り取る!くらい、朝飯前だもんね」
センの言葉に直接答えず、フッと微笑むとエイレンはリクウを見た。
「ごめんなさいね。お姉さまは誰にでもフレンドリーで言いたい放題な方だから。あまり気になさらないで」
ふんわりと総括し、リクウのカップに葡萄酒を注ぐ。しなやかで女性らしいその仕草が、先程の会話を耳にした後ではかえって怖かった。
やっぱり夕食が終わったら帰ることにしよう。
そう決めた時、ドンドンと小屋の戸を叩く音がした。
「助けてッ!姫さん!エルが大変なんだよ!」
クーの切迫した声に、エイレンはさっと、ベッドの脇に置いていたレイピアを掴むと戸を開けた。