悪徳商人の金で美味い物が食べたい
川を泳いで町の外まで脱出した黒ずくめの男は、近くの森の中にある木こり小屋に身を潜めていた。
さすがに近くに人がいることはないと察して仙治は黙っていたが、大人しくしているうちに睡魔に負けて眠ってしまう。
次に目が覚めたのは、その小屋に別の人間が訪ねてきた時だった。
ノックの音に男がどうぞと答える。それが予定通りの来訪であることは、落ち着き払った男の様子からもわかった。
「まったく、どうして私がこんな場所まで足を運ばなければいけないのだ。町の中で落ち合う予定だったではないか」
入ってきたのは、鮮やかな赤色の上着を来たひょろ長の人間の男だった。カールさせた金髪が、いかにも貴族のように見える。
仙治はその男を知っていた。正確には、仙治の知っているゲームの登場キャラに、その男は似ていた。
ヒンデル・ゴートハム。バスダの町で大きな力を持つ商人だ。貴族ではない。
あるサイドクエストにおいて主要なポジションのキャラで、プレイヤーに強引な手段で多額の借金を背負わせ、めちゃくちゃな仕事を押し付けてくる。つまるところ、プレイヤーを振り回すタイプの悪役なのだが、ネット上ではすこぶる付きで嫌われている。
その原因は、一連のサイドクエストの難易度が全体的に高い上、クエストにかかった時間が長すぎると最終報酬の美少女キャラがもらえなくなること。ずばり、時間がかかりすぎるとヒンデルに手籠めにされてしまうのだ。
挑戦してうっかり時間を超過してしまったプレイヤーたちの怨嗟の声を事前に聞いていたため、仙治自身は十分にレベル上げをしてからそのサイドクエストに挑んだ。
「……これが例の品だ。そして場所をここに移した原因でもある」
「ふむ?」
小さなテーブルの上に置かれた胸当ての傍に、ヒンデルと思しき男が近づいてくる。ゲームではそこそこ面倒なクエストを押し付けられた程度の相手だが、はたしてこの世界ではどんな人物なのか。
「お前、ヒンデル・ゴートハムか?」
「な、なんだこいつは!? 胸当てが喋ったのか!?」
推定ヒンデルの狼狽する様子に、仙治のほうも面食らう。この世界の人間はみんな胸当てが喋っても驚かないのが普通なのかと思っていたから、その反応はある意味新鮮なものだった。
「町中では騒がれてしまうので、こうして町から出る必要があった」
「な、なるほど……さすが古代文明の遺産といったところか」
取り繕うように平静な振りをして襟元を整える推定ヒンデル。
「俺を盗ませたのはお前か、ヒンデル?」
「ふ、ふん、誰のことだねそれは」
「そんなわかりやすい反応されたら誤魔化せてないだろ」
「知らんな。それよりも、貴様は古代文明の作り出した遺産に間違いないかね?」
「さて、どうだろうな。ヒンデルちゃんご自慢の鑑定魔法で調べたらどうだ?」
「こ、この、私を誰だか知ったうえで――」
「……堪えろ。物を相手に熱くなってどうする」
顔を真っ赤にしてプルプルと震える確定ヒンデルに、黒ずくめは冷静に遮る。
ゲームでは悪徳商人として有名なヒンデルだが、町で有数の大商人として相応しい実力を持ち合わせている設定となっている。その一つは<鑑定魔法Ⅲ>のギフトだ。
プレイヤーは任意のギフトをレベルアップの際に選んで獲得できるシステムだが、他のノンプレイヤーキャラクターにとっては、魔法は一般的にⅠランクですら持つことが出来るかどうかわからないギフトという扱いである。
先天的か後天的かはともかく、Ⅰランクの魔法を獲得した人間はそこから修練を積み、上達することでⅡ、Ⅲとランクアップさせていく。Ⅲランクともなれば、それなりの上級者と言って差し支えない腕前である。魔法以外のギフトでも、ランク分けがある場合のルールはほとんど変わりない。
時折最初から高いランクのギフトを獲得する場合もあるが、それは非常に稀な例と言える。
「よかろう、私自ら調べてやるとも!」
ヒンデルは口の中で囁くように呪文を唱えると、手から小さな光を放った。光は胸当てへと吸い込まれるように溶けていく。
そして一拍後、ヒンデルは自分にだけ見える魔法の結果に、目を輝かせた。
「おお……やはり古代文明の生み出したものに間違いない。しかし触装武具とは……存在は有名だが、初めてお目にかかるな」
「なんで有名なんだ?」
「ふん、自分の事なのにわからんか。そんなもの、そのいやらしい性質で有名に決まっている」
「あー……しょうがないよな、それは」
装着したものに特殊な効果を与える代わりに触手攻めにする武具。一部の特定の趣味のプレイヤーたちからも、非常に人気の高い装備だった。
「しかし私の鑑定でも効果が見えないとは、古代文明の技術は恐ろしいな」
鑑定魔法Ⅲで鑑定できないということは『付与か略奪か』は、ギフトで言えばそれ以上のランクに相当すると言える。
基本的に希少で、受け渡しなども出来ないはずのギフトを、奪ったり与えたり出来る能力ともなれば、それくらいの高ランクでも不思議ではない。
「まあ良い。効果などわからなくとも、買い手はつく」
「盗んだ物を店に置くつもりなのか? そんなことをしたらすぐにバレるだろ」
「馬鹿め、店頭に並べたりするものか。コレクターのお客様に直接売り込むのだ」
(コレクターか。金持ちの道楽に使われるのなら、女の子相手にさせてもらえそうだけど……後生大事に仕舞い込まれたりしたら、店で埃を被る以上に日の目を見られなくなりそうだ)
なにより、一つ所に留まり続けていてはスロースラウムに会いに行くことなどは出来ない。旅に出て放浪を行うこともある冒険者の手元で使われていることが一番、彼に会える可能性が高いはずだ。
「効果なら教えてやるよ」
「ふん、適当なことを言って煙に巻いたところで、お前の行く末は変わらないぞ」
「俺は装備した者からギフトを奪う『略奪』の効果を持ってるんだ。うっかり装備したら大変なことになるぞ」
「なんだと……!? いや、そんな口から出まかせを……」
仙治の言葉を耳にした途端、ヒンデルの顔色が真っ白になる。とても信じられないという表情でありながら、完全に否定することも出来ず狼狽えている。
この世界の人間に生きるすべての者にとってギフトの重要度は非常に高い。それを奪われるという言葉は、それくらい恐ろしいことだと言えた。
「ギフトを奪うなどと……そんな効果、本当にありえるのか?」
「さあ、俺にはなんとも」
お互いに顔を見合わせ、ヒンデルと黒ずくめは首を捻る。
ヒンデルはしばらく顎に手を当てて考え込んでいたが、
「……これから適当な者に装備させて試してやる。そんな効果はありえないが……もし本当だとしたら、売るよりも良い使い方があるからな」
そういうと、黒ずくめにこの場を任せ、すぐに小屋を出て行った。
(適当な者とやらを連れてくるつもりか……たぶん、囲われてる女の子がいるんだろう。例のサイドクエストの報酬の子もいるかもしれないな)
ひとまずは狙い通り、と一息つく仙治。
さすがにギフトに関わるほどの破格の効果ともなると、ブラフを疑うとしても完全に無視することは出来ないだろうと踏んだのは正解だった。
ヒンデルのような裏で悪事を働いている商人などは、その分敵も多いはずで、厄介なギフトを持った刺客に狙われることもありえる。
ギフトがあるために捕らえ続けることが出来なけいとなれば、殺さざるを得ない。そういう相手からギフトだけを奪うことが出来るなら、安全に封殺できるというわけである。
人間の刺客だけでなく、女性型モンスターにも使えれば、危険なモンスターも捕らえることが出来るようになるはずだ。
仙治が実際にギフトを略奪して見せれば、ヒンデルも信用せざるを得ない。
奪ったギフトを他の女の子に受け渡すことが出来ることを伏せたのは、脱出の切り札にするためだ。
(連れてこられた子に今持ってるギフトから<幻惑魔法Ⅰ>でも付与して脱出に協力してもらうか。それが無理そうなら、申し訳ないけど略奪だけして、今は有用な振りをしておくとしよう)
「……おい」
「ん? なんか用?」
ヒンデルが立ち去って数分後、黒ずくめの男が仙治に声をかけた。
「ギフトを奪うことが出来るというのは、本当か?」
「本当だっていえば信じてくれるのか?」
何のための詮索かはわからなかったが、仙治は思わぬところでボロを出さないために曖昧に返事をする。
「……それは、どんなギフトでも、か?」
「えー? 何その質問、ちょっとよくわからないな」
「答えろ」
静かな、しかしどこか焦りを感じさせる男の声音に、仙治は奇妙を感じる。
「あー……いや、高ランクなギフトほど奪うのは大変になってくる」
「だったら、例えば……<竜化>のギフトはどうだ?」
<竜化>はゲーム中でもレアなギフトという扱いで、プレイヤーも特定のサイドクエストのクリアを条件に手に入れることが出来る。
文字通り竜に変化する……といっても巨大なドラゴンになるわけではなく、半人半竜のような姿である。その恩恵は大きく、全ステータスが向上し、属性付きのブレスなどの専用技が用意されている。
ただし変化は一定時間で解け、その後は大量のデバフを受けることになる。変身中は人間の言葉が喋れなくなるため、呪文詠唱が出来ず魔法も使うことが出来ない。
「さすがにそんな高位のギフトだと難しそうだな……どうしてそんなことを訊くんだ?」
「……何でもない。忘れろ」
「竜化を使う相手から奪って欲しいって話か? 言っておくけど、俺は装備させないと略奪は出来ないからな。敵が大人しく装備してくれるとは限らないだろ」
「敵じゃあない……」
「それなら、誰なんだ?」
仙治から訊ねてみても黙したまま、それきり黒ずくめは部屋の隅に腰かけると目を閉じ、動かなくなる。
「寝てるわけじゃないよな」
「――」
「……多分だが、略奪を何度か繰り返して俺のランクが上がれば<竜化>を奪うことも出来るようになるはずだ」
やはりなにも言わない黒ずくめだったが、ほんの少し身じろぎしたのを仙治は見逃さなかった。
程なくして、ヒンデルが小屋に戻ってきた。
「ヴーッ! ウヴーッ!?」
「大人しくしていろ!」
ヒンデルに引っ立てられてやってきたのは、後ろ手に縛られ、頭に麻袋を被せられた人間だった。
袋の中でさらに猿轡でもかまされているのか、くぐもった野太い声で叫んでいるが言葉を成していない。骨太の体格に、もじゃもじゃの腕毛。妙にくたびれたシャツからは胸毛もちらちらと飛び出している。
「一応訊くけど……これ、男だよな?」
「我が商会の荷馬車を襲った野盗だ。捕まえた後すぐに始末せずにおいたが、思わぬ形で役に立ったな」
「オイ、俺をよく見ろ! どう見ても女性用の胸当てだろうが! 男が触手攻めされるところをみたいのか!?」
「ええい、そんなもの誰が見たいと思うか!? そうそう都合よく実験台に使える女がいると思うな! いま使えそうなのはコレだけだったという話だ。おい、こいつを逃げられない様に縛れ」
椅子に座らされた盗賊の足を黒ずくめが縛って固定する。そして仙治を持ったヒンデルが、盗賊の毛むくじゃらの胸に近づけて行く。
そして押し当てられた胸当ては当然、男の胸板との間に空間が生まれることになる。
だが、装備されたことに反応して伸び出した触手は、その空間よりも長く伸び、あっさり盗賊の胸板に届き、まさぐり始める。
「ああクソッ、やるしかないのか!?」
「ヴーッ!? フ、フウゥッ! ウ、ヴ……ッ!!」
トロルよりはマシ、と仙治が何度も自分に言い聞かせているうちに、触手の動きが次第に激しくなり、盗賊の鼻息が荒くなり、声にも震えが混じり始める。
「ふっ……ふーっ! ググ……ゥ……」
(ああああああ喘ぐんじゃねえ! 早くウインドウ出てこい!)
『付与か略奪か
<give> or <rob>』
(robrobrob!)
『どのギフトを奪うか選択してください』
全部、と即答したいところをぐっと堪え、盗賊の持っているギフトをきちんと確かめる。もしかしたら、この男の手を借りて逃げることが出来るかもしれない。
胸毛が絡む触手の感触に耐えつつ、ウインドウを開いた。
『<潜伏><耐飢餓><怪力の芽生え><指揮の芽生え>』
芽生えと付くギフトは、後天的にその才能が開花しつつあることを指すもので、ギフト未満のギフトと言える。本来のそのギフトの効果に比べて、その効果はかなり弱い。
もしこの男が成長を続けていけば、いつか正規の<怪力>や<指揮>を獲得するかもしれない。
<耐飢餓>は言葉通り、飢えに耐えるというだけのギフトだ。ゲームではサバイバルモードにすることで満腹度や排泄、眠気のパラメーターが追加され、その状態で長期間、満腹度が少ない状態を続けることで獲得できる。
現実にそれを獲得することになる経緯を想像し多少の同情を覚える仙治。
だからといって、この状況を打開する相手として、一緒に逃げる相手に選ぶつもりはなかった。
(<潜伏>のギフトは、逃げてる最中には使えるかもしれないけど、この場から逃げ出すのに直接は役に立たないな。ひとまず貰っておこう。<耐飢餓>は……うーん……)
多少考えた末に耐飢餓は奪わず、潜伏だけを選んで奪うことにした。
芽生えもギフトとしての効果は低いので残しておく。誰かに与えて正規版に成長させるよりも、他の正規版を持ったモンスターなどから奪う方が手っ取り早い。
またこの先、万一この男が生き延び、心を入れ替えて真面目に励めば成長できるかもしれない。芽を摘んでしまえばそういう未来も完全に潰えてしまう。
ギフトを無事に略奪し、触手の動きが落ち着いてくる。これ以上男の喘ぎ声を聞きながら胸をまさぐるのも限界だった。
「……終わったから離して、お願い早く」
黒ずくめが胸当てを離して机の上に持っていくと、ヒンデルが一枚の手鏡とナイフを手に盗賊の横に立った。そして腕にナイフで切り付けると、垂れた血を鏡の面に垂らす。
謎の儀式のようなそれは、仙治には何をしているのかよくわからなかったが、鏡が光を放ち、血が動いて文字の形になっていく。
「おぉ……! 確かに<潜伏>のギフトが無くなっている!?」
(そうか、あれは見破りの鏡か)
敵ステータスを表示する、ロールプレイングゲームでよくあるアイテム。
ゲーム中ではコマンドから使うだけでステータスがシステムウインドウに現れる、というものだったが、現実で使うとなると今の儀式を行うことになる、と言うことだ。
「だが、すべてのギフトが無くなるわけではないのだな」
「ギフトは一個ずつ奪うのに時間がかかる。高位のギフトであればあるほど、時間は長くなるな」
「なるほど……」
「お気に召したか?」
「ああ、まさかの掘り出し物だ。うるさいことを除けばこれ以上ない逸品だな」
「そいつは良かった。次はぜひ女の子に使ってくれ。出来るだけ巨乳の美人だといいね」
「そういうことなら喜びたまえ。次に使う相手は決まっている。それも期待通りの巨乳だ」
「女の子がいるんならそっちで試せばよかったじゃないか! なんでこんな毛むくじゃらの胸を触手攻めさせられたんだ!?」
「用心のために決まっているだろうが! うっかり逃げ出されればどうなることかっ……まぁいい。移動するぞ」
そこで仙治は分厚い麻袋に突っ込まれたために外の様子がわからなくなったが、馬の蹄音や車輪の軋む音が聴こえて来たため、馬車に乗って運ばれている事はわかった。
馬車で移動したのは数十分程度。馬車を降りた後も、しばらくはそのまま運ばれていく。
仙治が袋から取り出されたのは、薄暗い屋内だった。
四角く切り出された石を積んで作られた壁が長く続く細長い空間。天井近くに等間隔で小さな光取りの穴が開いている以外に窓は無い。そして金属製の格子が、ずらりと並んでいる。
「牢屋、か。こんなところに美女を閉じ込めておくなんて、良い趣味してるぜ……これは褒め言葉だぞ?」
仙治もそういうシチュは嫌いではないので、素直な感想だった。
「こうしなければならん相手というだけのことなのだがな。もっとも、そういう趣向も嫌いではないがね」
「知ってた。荒縄縛りとか好きだもんなヒンデルちゃん」
「な、なぜそれを……!?」
「俺も好きだぜそういうの。そのうち色々とプレイについて語り明かしてみたら楽しそうだなぁ」
「……それはさておき、だ。この奥にギフトを奪ってもらう相手がいる」
そう言って運ばれていった先、一番奥の牢に閉じ込められていたのは、仙治の見知った相手だった。