ぬめぬめはお互いさま
四人の冒険者はそれぞれに装備の点検を行い、帰り支度を始めた。
ナナミは胸当てを腰に提げた鞄に仕舞う。
鞄に入れられた胸当て……仙治は、事態が呑み込めてきたおかげで、少し冷静に思考する余裕が出来てきた。
VRゲームの世界に来てしまったなどというより、変な夢を見ていると言われた方がまだ信じられる状況ではあったが、さきほどナイフに突かれた痛みは現実であると言わざるを得なかった。
(たぶん、あの交通事故でやっぱり俺は死んだんだ。そして、しょく……なんとかいう、装備に憑依した状態で目が覚めた……)
仙治はまだラブラディア伝説をプレイし始めてから日が浅く、すべてのアイテムを網羅するほど攻略情報なども読み込んでいなかった。
鞄の中に収められているとはいえ、完全に密封されているわけでは無く、隙間からかろうじて外の様子が見える。
目や耳はついていないが、胸当てのどこからでも視野を得ることが出来、音も聞くことが出来た。
原理などについては、今は考えるだけムダであると判断する。
目の届く範囲で仙治がわかることは、ここが外ではなく、岩を削ってそのままといった風情の壁に囲まれた屋内、おそらくは地下の洞窟のような場所であること。そして、あちこちに燭台が置かれていたりと、整備がされていることだった。
雰囲気としては坑道と言うのが近いが、妙に広さがあったり枝分かれが多かったりと、まさにゲームのダンジョンのごとき様相である。
(こんなダンジョン見覚えが無いぞ……いや、ゲームの描写からリアルに変わったということを加味して考えると、バスダの町に近いダンジョンか?)
ラブラディア伝説ではRPGの例に漏れず、モンスターやならず者の巣窟となったダンジョンが複数用意されている。
バスダ坑道は仙治の記憶ではゲーム序盤から挑戦可能な低レベル向けダンジョンであり、彼自身、最深部まで探索を終えている。
どうにかして売られることを回避できないか、と考えてみたところで、胸当てである彼の身体はまったく動いてくれない。
試しに先ほど動いた触手をもう一度自力で動かそうとしてみるが、上手くいかない。
人間が三本目の腕を生やして動かせと言われても難しいのと同じこと。仙治は動かし方がさっぱりわからなかった。
それからシステムウインドウの方に意識を向ける。
身体が動かないためにわかりにくいが、ゲームプレイ時にそうするように、手で操るつもりで意識すると、ウインドウの操作を行うことが出来た。
ステータスを表示してみると案の定、プレイヤーキャラクター名として立波仙治の名があり、触装武具に憑依状態であることが読み取れた。
試しに憑依を解除するコマンドを探してみるが、それは見当たらなかった。
普通のプレイヤーキャラであればあるはずのステータスの一覧表記はなく、憑依している装備の能力だけが書かれている。
(防御力とかそういう数字は無いのか。そして効果は『付与か略奪か』……ってなんだ?)
効果説明を見ようとしたその時、
「ぐあっ!?」
「モック!!」
不意の悲鳴に、仙治の思考が遮られる。彼の視界では事態がつかめなかったが、四人はモンスターの奇襲を受けていた。
坑道の分かれ道から飛び出してきた相手に、先頭を歩いていた大柄の戦士、モックが不意を突かれ殴り倒されてしまう。激しい横殴りの衝撃に大柄な体が弾き飛ばされ、壁に叩きつけられて動かなくなる
でっぷりと肥えたぶよぶよの身体に緑色の肌を持った人型モンスター、トロル。
人型モンスターは知能がそこそこ高く、人間同様に様々な武器や道具を扱う。トロルはその中では比較的頭の悪いモンスターではあるが、鈍器や大剣を振り回す、見た目通りのパワーファイターだ。
ラブラディア伝説の中では、積極的に人間を襲いセクシャルな行為を行う好色設定というものが一部のモンスターに付与されており、トロルもそのうちの一種である。
(うわっ気持ち悪っ……!? モンスターの見た目、エグすぎるぞ!?)
なんとか鞄の隙間からトロルの姿を見た仙治は思わず総毛立つのを感じた。それに反応するように胸当ての内側にざわりと触手が蠢く。
ゲームグラフィックでは緑肌の人型という見た目は同じだが、やはりデフォルメの効いた顔と体型で気持ち悪さはほとんど感じなかった。
だが今、目にしているモンスターはホラー映画に出てくる怪物がそのまま飛び出してきたかのような姿だ。頭部に目と鼻と口と耳があるので人に近いとは言えるが、その不出来なナリは見ていると不安を催す。
緑色の肌もまた何とも言えない質感で、汗らしき水分が垂れ、坑道に点る灯でてらてらとぬめり光っている。
ゲームではトロルに襲われる女性の姿を見て愉しんだこともある仙治だったが、このトロルに襲われたら泣き叫んで助けを請うことになることが実感として理解できた。今も手足さえあれば一目散に逃げ出していたところだ。
「グロロ……」
巨大なこん棒を持ったトロルは一声唸ると、モックが倒されたショックで固まる後続の三人に向けて猛然と襲い掛かった。
「くっ!?」
振り下ろされるこん棒をサイドステップで回避したボジャンは、トロルの横に回り込みナイフで斬り付けた。切り裂かれた緑色の肌から青い血が流れる……が、傷はつけたものの致命傷には程遠い。
トロルは怯むどころか、ボジャンを怒りの形相で睨みつけ、ごろごろと岩を転がすような声で叫んだ。
びくりとボジャンの身体が竦む。
その隙をついてこん棒を振り下ろそうとしたトロルの顔面に、氷の塊が降り注いだ。
氷の直撃を喰らった箇所がぱりぱりと音を立てて凍り付いていき、トロルは動きを止める。
だが、ゆっくり身震いをすると氷は剥がれ落ちた。
「……ダメか」
ナナミは冷や汗を拭い、氷の粒が取り巻いている小さな杖を構え直す。
杖を振るえば先ほどと同じように氷の魔法を放つことは可能だが、それではまた少し動きを遮る程度の効果しかないことは、彼女にもわかっていた。
(トロルは防御力が高くて魔法にも耐性がある……だったっけ? ゲームでは、中盤以降に出てくる高レベルの敵だったと思うが……)
ゲーム上では単純なダメージ値の増減などデータ的に処理されるが、実際のトロルは分厚い皮と脂肪に包まれた屈強な肉体によって、その特性を実現していた。その身体は、表面を傷つけられただけではびくともしない。
四人の中で、致命傷を与えられる可能性があるのはモックの大剣による攻撃だけだったが、その彼が最初に脱落してしまった。
「ナナミ! 私とボジャンで時間を稼ぐから回復魔法でモックを治して!」
「わかった」
リリカの言葉を受けて、駆け出すナナミ。
彼女の方に気を取られたトロルに、ボジャンとリリカが剣戟を加える。二人の剣ではやはり皮膚を浅く切り裂くだけだったが、トロルの注意を引き付けることは出来た。
叩きつけられた壁にもたれかかったまま動かないモックの傍に付いたナナミは、杖を構えて小さな声で何事かを囁く。
杖の先から白い靄のような光が流れ出し、モックの身体に沁み込んでいく。
「かっ……は!」
しばらくすると、モックが咳き込み、血の混じった唾を吐き出した。開いた目はふらふらと彷徨い焦点が合わない。
多少回復はしたものの、まだまともに動けないほど彼のダメージは深刻だった。
ナナミの魔法の腕では、しっかり立って戦えるまで治療するには相当な時間がかかるようだった。
「ゴロオロオオオッ!!」
「しまっ……がっ!?」
「ボジャン! う、うそ……いや……っ!」
そうこうしている間に、トロルをけん制して戦っていたボジャンとリリカが声を上げる。
そもそも決定打に欠ける二人では時間稼ぎにも限界があった。
トロルが捨て身の攻撃で、ボジャンの攻撃を顔面に受けながらも彼を殴り飛ばしたのだ。
こん棒の痛烈な一撃を胴に受け、ボジャンは倒れて動かなくなる。
「ボジャン!? ねえ、ボジャンったら!!」
「リリカ! 危ない!」
顔面蒼白になったリリカは取り乱し、ボジャンの傍に駆け寄ろうとする。その行く手を遮るようにこん棒が向かってきたのを、回避することは出来なかった。
「――っう……げ」
横殴りのこん棒に打たれたリリカの細身は軽々と宙を舞い、人形のように力なく地面に転がった。
「……あ」
トロルがゆっくりとナナミを振り返る。
二人が倒れ、モックの治療もまだ終わらない。絶望的状況に追い込まれたことを悟り、力なく座り込むナナミ。
彼女の手が鞄に触れ、その中にある硬い感触に気付く。
胸当て……仙治を取り出したナナミは、裏面で蠢く触手とどすどす重い足取りで近づいてくるトロルを見比べ、眉を寄せて唇を噛む。
(この胸当てに備わってる特殊な力に望みをかけるつもりか)
装備するべきか否か、苦渋の表情を浮かべるナナミ。仙治は女の子にすごく嫌そうな顔で見下ろされてちょっと傷付く。
『付与か略奪か』
それが触装武具である仙治に備わっている特殊な効果の名前である。
彼は急いでウインドウからその効果の詳細を調べる。
『装備した者に立波仙治が保有するギフトを付与する、もしくは装備した者の保有するギフトを略奪する』
「ギフト」とは、ロールプレイングゲームにおける特殊な能力の総称で、ゲームによってはアビリティやパークなどと言われるものだ。
ステータスの補助や魔法、必殺技など、その効果は多岐に渡る。
(今、俺が保有してるギフトは……無し!?)
この世界で目覚めたばかりである仙治には、ギフトが一切備わっていなかった。
これでは、ナナミが彼を装備したとしても、その能力を発揮することはできない。
「いや……ひょっとして」
「なに?」
「俺をあのトロルに装備させられるか?」
「なんで、そんなことを……」
「俺には装備した者のギフトを奪う能力があるんだ。上手くいけば、あのトロルを無力化できる!」
「……私が装備しなくていいのなら、試してみる」
なかなか悲しいセリフだが、前向きな答えということで納得する。
すでに目の前にまで迫っていたトロルを見上げるナナミ。
そして、振り下ろされたこん棒をぎりぎりで躱し、仙治をトロルの胸に押し当てた。
(――うわあああすげえぬめぬめするううう!?)
胸当ては人間用の物でトロルの巨体には小さかったが、ねとっとした体液で張り付くようにトロルの胸に張り付いた。
胸当て裏の触手の触覚により、仙治はトロルの素肌の感触を余すことなく受け止めていた。
そして身震いするように触手が一斉にわらわらと蠢き、仙治の意思とは無関係に激しくトロルの肌を撫で回し始めた。
脂肪でぶよぶよの身体を覆う分厚い鮫のような肌を、うねうねと無数の触手がなぞりあげる。
(ひぃぃぃぃっ!! 触手が勝手に動いてトロルの肌を撫でるぅぅううっ!!)
胸を揉み回す様な動きにトロルは身をよじり、困惑するような低い唸り声を出す。
(ああああキモイキモイキモイ! シナを作るな!!)
あまりにも悍ましい感触と光景に眩暈を覚える仙治の眼前に、システムウインドウが表示された。
『付与か略奪か
<give> or <rob>
現在、付与出来るギフトはありません』
左右二つの選択肢が表示され、そのウインドウの向こう、地面にうずくまったナナミが祈るような瞳で仙治を見上げていた。
(略奪……robだ!)
『どのギフトを奪うか選択してください』
(全部!)
略奪のウインドウボタンを意識した次の瞬間、触手が一層激しく動き出し、さらに一部が長く伸びて胸当ての外にまで飛び出してトロルの身体に巻き付き、そして触手の各所から、細かな針が飛び出した。
「グゥロロロロロオオオオ!!」
トロルが叫び、慌てて胸当てを引きはがそうとする。だが、それよりも早く『略奪成功:<怪力><魔法耐性・小>を獲得』という表示が仙治の視界に現れた。
胸当てを投げ捨てたトロルは、怒りの表情でこん棒を振り上げ、ナナミを叩き潰そうとする。
「グロ……?」
だが、そんなトロルの手から、こん棒がすっぽ抜けて地面に転がった。困惑の表情を浮かべるトロルだが、そんなことはどうでもいいとばかりに、今度は素手でナナミに殴りかかる。
しかし、その拳はあまりにも遅く、ナナミが立ち上がって避けることも容易だった。
慌ててナナミを追おうとするトロルの脚がもつれ、膝をついた。
自身の巨体の重さを支えられず、まともに動くことすらままならないトロル。<怪力>のギフトを奪われた結果が如実に表れていた。
それに気付いたナナミは、杖を構え呪文を唱え始めた。先刻と同じ氷の魔法が杖に冷気となって宿り、そこから氷が放たれる。
トロルは回避するまでも無いという顔でその氷の礫をその身に受けた。さっきのようにその身の芯まで凍り付くようなことはなかったが、張り付いた氷を落とすような力もまた、トロルには無かった。
「凍て付け……っ!」
杖から続けざまに繰り出される氷を次々に受け、トロルの全身が凍り付くまでにさして時間はかからなかった。
「グ……ロ……」
頭からつま先まで完全に氷に覆われたトロルは完全に動かなくなる。
その氷像が動き出さないかたっぷり十秒ほど警戒してから、ナナミは安堵の溜息を吐いた。
「ああ……上手くいって良かった」
「触装武具……さすが古代文明の遺産ね」
地面に転がった仙治を拾い上げようとしたナナミの手が躊躇うように止まる。
「……噛みついたりしない?」
「たぶんな」
ナナミは微妙な表情になりつつも仙治を拾い上げる。
「あー、あのさ、店に売り飛ばすのは勘弁して欲しいんだ。そのまま誰にも買われずに放置されたるようなことになったら……」
「……悪いけど、その前に私一人じゃ町まで戻れるかもわからない」
淡々とした口調ながら、疲労感のある声で呟くナナミ。
彼女は倒れ伏すボジャンに杖を向け、回復の魔法を使った。魔法は効いているはずだがボジャンは一向に目を覚まさない。
「やっぱり……三人とも、トロルの攻撃で重傷を負ってる……私の魔法じゃ治しきれない」
トロルを退けたとはいえ、ダンジョンの中には他にもモンスターがいる。魔法使い一人でそれらを相手にすることが難しいのは、ゲームでもよほどレベルが高くなければ難しい。
「……そうだ! 俺を装備してみたらどうだ?」
「……? あなたを装備しても、力を失うんじゃ……」
「俺はギフトを奪うだけじゃなくて、与えることも出来るんだ。いまトロルから略奪した<怪力>を君に付与すれば、この状況を何とか出来るんじゃないか?」
三人の倒れた仲間を見回し、そして手元に視線を戻し、うねうねと胸当ての内側で蠢く触手に眉を寄せる。
「みんなを助けるため……」
ナナミは自分に言い聞かせるように呟き、しかしその手は胸当てをなかなか装備しようとしない。
「……あんまり動かない様にしてもらえる?」
「悪いけど、自分の意思で動かしてるわけじゃないんだ、これが」
まったく信用していない顔でしばらく仙治を見下ろしていたナナミは、たっぷり深呼吸すると意を決したように自分の胸に仙治を押し当てた。
三人の人間を背負って歩く小柄な魔法使いの噂は、その日のうちにバスダの町中に広まった。