短気は損気
太陽が中天をまわり、さすがに部屋にこもったままで居られなくなって、まだ少し生乾きの服を着たナナミは部屋を出た。仙治も一応、身に着けている。
冒険者とはいえ、町を出るわけでもない時に完全武装というのは可笑しな話で、日本で言えばちょっとコンビニへ行くのに旅行鞄を持っていくようなものである。
防具の類についても同様、やはりちょっとした用事で身に着ける物ではないのだが、仙治を下手に置いていくと盗難の心配があることは、バスダでの経験から身に染みていた。
この町、モンシアにはまだ昨日着いたばかりで、ボジャンたちのようなただの冒険者が噂などされるはずもなく、普通ならそこまで警戒することもない。
とはいえ、モンシアとバスダは船で簡単に往来が出来るため、噂がこちらにまで届いている可能性は否定できない。
腐っても大商人であるヒンデル・ゴートハムの、近隣の町に対する影響力も皆無ではない。もしもグリンドの一件で懲りていなければ、何らかの指示を出して再び狙ってくるようなこともありえた。
さらには昨日の大立ち回りだ。船で大王イカの襲撃を受け、ナナミを含む数名が攫われ、彼女の活躍によって全員が無事に保護された。その上、初代モン王の墓を見つけたという眉唾な話もおまけにつけてしまった。
好奇の目を避けるためにバスダを出たのに、これではまったく意味が無い。
宿を出たナナミが訪れたのは、冒険者ギルドのある通りだった。
冒険者向けの店が立ち並ぶため、あまり一般の町民が立ち寄る場所ではない。その中でも特に人の少ない一角、魔法屋へと足を運ぶ。
「いらっしゃい」
ドアを開けると、ナナミを出迎えたのは小さな老婆と謎の動物だった。
老婆は顔も手も深く皺が刻まれていて、腰もすっかり曲がって小さくちょこんと座っているため、すごくコンパクトな印象だ。
(こう言ったら失礼だけど枯れ木っぽいというか……フリーズドライで乾燥保存していると言われたら信じてしまいそうだ)
動物は「んにゃあ」と鳴いたところを見ると猫のようだが、もっさりと広がった毛に手足も耳も埋もれているため顔の付いた巨大な毛玉にしか見えない。
店内には観賞用と思しき花の鉢がいくつか置かれている以外には何もなく、入ってすぐ老婆の座るカウンターがある。商品はその老婆の後ろ、暖簾のような垂れ布の隙間から奥に積まれているのが見えた。
紙を巻いて作られた巻き物。
その形は、仙治がゲームで見た覚えのある魔法のスクロールそのものだった。
ゲーム中でプレイヤーは魔法のスクロールを使うことで一つ一つ、個別に魔法を習得する。ギフトだけでは魔法は使えないというシステムだった。
この世界でもその点は共通しており、例えばナナミが現在使える魔法は氷の礫だけ。他の氷魔法はスクロールを使って初めて覚えられる。
「初めてのお客さんだね」
見た目の印象に反して、老婆はかなりしっかりした声で応対する。
「おや……おやおや? おやおやおや」
ナナミを見て何かに気付いたように、重く垂れた瞼を持ち上げる。
「お前さんひょっとして、ガルダー様の墓へ行ったという冒険者かい?」
「……そんな話がどこから」
「ふぇっへっへ、昨日からワシらの間ではその噂で持ち切りじゃ」
「魔法使いの中で?」
「いいや……かつてのモン王国を知る者たちの中でじゃ」
老婆がゆっくりと自分の前髪をかき上げると、額の皺に混じって、小さく黒光りする瘤のようなものを見せる。
「……まさか、角?」
「そうじゃ。ワシは四世代目じゃから、もうほとんど薄れてしまっているが、モンスターの血が流れておる」
モン王国の初代王であるガルダー・モンは、モンスターとの混血児であった。そのことは、ナナミ自身も彼の姿を見たことで気付いていた。
「まさか王族……!」
「庶流じゃがな」
「でも、王国が滅んだのは百年以上前……」
「ふぇっへっへ、女性の年齢は詮索するもんじゃあないよ」
ミイラ一歩手前のような老婆はいたずらっぽく笑う。
「……その話、初対面の相手にしても良かったの?」
「ふぇっへっへ、ガルダー様の魔力を授かった人じゃ。大丈夫じゃろう」
「わかるの?」
「そりゃあもう、昔はこうして何度も拝んで御力を感じたもんじゃ、今でもその魔力はしっかり覚えておる」
そう言いつつ両手を合わせた老婆が拝み始めてしまい、さすがに困惑を隠せないナナミ。
「……さて、悪いんじゃがお前さんたちに聞きたいことがあるんじゃ」
「なに?」
「どうやってガルダー様と会ったのか……ああ、大王イカの話は聞いておるからの。ワシが気になるのは拝礼の呪文をどこで知ったのかということじゃ」
「それは……どこかで」
「偶々知っていたということはあるまいよ。呪文を知るのはワシら王族に連なる者だけじゃ。人間には決して漏らしてはおらぬ」
しばらく迷っていたナナミだが、じっと老婆を見つめた後、仙治の表面を軽くノックするように叩いた。
「センジ」
「……いいのか?」
「角、見せてくれた」
「それもそうか、こっちだけ秘密は無いよな」
急に聞こえてきた男の声に老婆が細い目を見開く。そして声の出どころが胸当てだと気付くと、感嘆の吐息を漏らした。
「こりゃまた奇怪な」
「それはどうも。驚きついでにさっきの話の種明かしもしておくが、俺は……異界の魂というやつだ。事情があって、呪文の事も知ってる」
ガルダーの使っていた表現を借りてそう告げると、老婆はひとしきり驚いたり感心した後、
「少し待っとくれ」
ゆっくりと右手を横に伸ばすと、壁に掛けられていた鈴を軽く二回揺らした。りんりんと小さくも綺麗な音が店内に響く。
「なに婆ちゃん?」
店の奥から出てきた若い女性に、仙治は見覚えがあった。件のモン王家の亡霊というサブクエストを進行するための冒険者だ。
今は冒険者と分かるような装備は着けずラフな格好だが、俊敏そうな小柄な体格に短く刈ったベリーショートの青髪は、ゲームのキャラのままだった。全体的に幼い印象だが、胸はリリカより多少ありそうだった。
「この方がガルダー様の墓を見てきた人だよ」
「なっ……あんたが墓を壊したのか!?」
カウンターをひょいと軽く乗り越えた少女は、素早くナナミに詰め寄って胸倉をつかもうとする。
そのあまりの早さにナナミは反応できない。
が、手が服の襟に届く前に、下からにょきっと触手が飛び出して遮った。少女は手に触れた触手のうねうねぬるぬるの感触に驚き、思わず手を引っ込める。
「うひぃっ!? な、なんだよこれ!? 気持ち悪っ!?」
(ああ、何度言われてもやっぱり傷付く……)
「こら、サリエナ。落ち着きなさい」
「だって!」
「墓を壊したのは、私ではない」
「信用できるか! だいたい、なんだよその気持ち悪い触手は!? どんな手を使ったか知らないけど婆ちゃんまで騙していだあッ!?」
サリエナの頭上にいきなり石が落ちてきて、あまりの痛みに彼女は思わず蹲る。
老婆がいつのまにか右手に持っていた杖を振ると、石は植木鉢の中へと戻っていた。
「はぁ……すまないね。許しておくれ」
「な、なんで婆ちゃんが謝るんだよ!」
「この子はもう普通の人間と変わらないくらい血が薄くてね。ガルダー様の魔力の波長も感じ取れないんだよ」
「だから、どうしてそんな話まで……!?」
老婆がさっと杖を持ちあげると、サリエナは慌てて頭を手で隠す。
「ワシが保証するよ。この人は信用していい」
「……婆ちゃんがそう言うなら」
いかにも不承不承という態度で口を尖らせながら頷くサリエナ。
「ちょっと込み入った話があるんだけど、聞いていってくれないかね?」
「……わかった」
老婆の頼みをここまできて断るわけにもいかず、サリエナに案内されて店の裏手、居間にお邪魔することになった。
そこでまずは話せる範囲で、ガルダーの墓で起こったことを伝える。
呪文のことやマルーという人物の話については、異界の魂だから、で強引に押し切った。
「……胡散臭いな、あんた」
「それはわかってるけど、その生ごみに湧いた虫を見る目はやめてくれないか?」
「だって、触手って……」
心底嫌そうなしかめっ面で見下ろされるという、ゲームのサリエナではあり得ない酷い扱いに、仙治は落ち込むしかなかった。
蔑まれたり叩かれたりするのが好きなマゾヒズムという嗜好もあるらしいことは知っているが、自分には素質は無いようだということははっきりとわかった。
「……ボクも一度、ガルダー様の墓に行ったんだ。途中で崩れて通れなくなってた」
「俺たちが行った時には同じ状況だ。途中の道は壊されて埋まってて、獣縁の腕輪は盗まれた後だった」
「……その言葉を信じるとしたら、拝礼の呪文を知っている人間がまだ他にも居るってことになるんだよな」
「……」
可能性としては他の異界の魂……ラブラディアプレイヤーの存在が考えられることを、仙治は知っている。
だが、それはあくまで可能性であり、プレイヤーだとすれば破壊活動を行っていった理由がわからなかった。
「他に王家の血筋の生き残りとかは居ないのか?」
「その人たちが、墓を壊すなんて馬鹿な真似をするって言いたいのか?」
「違う違う、そういう人たちから呪文とかを聞き出したりした人間が他の居るんじゃないかってさ。騙したり、拷問にかけたり……」
「まさか、そんなことを……!?」
サリエナは血相を変え、椅子を蹴って立ち上がる。
「待った! 俺が悪かったから落ち着けって! もしかしたらってだけだ!」
「チッ……紛らわしいこと言うなよな」
聞こえるように舌打ちしつつ、さっきまでよりも怒りの籠った視線で睨まれて仙治は閉口する。
(思い込みが激しいというか、短気というか……とにかく扱いづらい性格だ)
ゲームのキャラクターは普通、自分から一方的に喋り、ときどき選択肢を選ぶだけで、どんな会話をすればいいかなど気にする必要もない。
メインストーリーに関わらないサブキャラクターなどはなおさら、性格など知る由も無かった。
「……これで話は終わりか?」
「はぁ? まだ終わってないだろ! ゴーグ様の墓の話をしてないじゃないか!」
「……なんのことだ?」
「とぼけるな!」
サリエナが激昂して、拳でテーブルを叩く。
さすがに意味もわからず怒鳴られては、いつも冷静なナナミも眉を寄せて見返さざるを得ない。
「わかるように言ってもらわなければ、何も話しようがない」
「……本当にわからないのか?」
睨みあう二人の一触即発の空気に割って入ることも出来ず、仙治はハラハラしながら成り行きを見守る。
「……クソッ」
先に目を逸らしたのはサリエナだった。
不貞腐れた顔で足を組み、そっぽを向いたまま話し始める。
「……ガルダー様の墓は一旦諦めて、ゴーグ様の墓に行くことにしたんだ。そしたら今度は、墓から触手のモンスターが大量に湧いてきて、入り口に近付くことも出来なかったんだ」
サリエナは再びナナミを睨む……のではなく、仙治を睨んでくる。
「触手だぞ……アンタ、そのモンスターとは関係ないのか?」
「関係ない」
「そっちには聞いてねえ」
何故か仙治に代わって即答するナナミに、やはり食って掛かるサリエナ。
二人に話をさせていると埒が明かなそうだと判断し、仙治が応じる。
「……そのモンスターが湧いたのはいつからだ?」
「はぁ? こっちの質問に……」
「俺たちは昨日の船でモンシアに来る途中で大王イカに襲われたんだ。それ以前はバスダに居たんだから、関わりようがない」
しばらく仙治を見て考えるような顔をしていたサリエナだったが、急にがしがしと頭を掻くと天井を仰いだ。
「あー、くそっ! 全然信用できねえけど、婆ちゃんが言ってたんだから信じるしかねえか!」
「……あの婆さんの言うことは素直に聞くんだな」
「おっかねえからな。ゲンコツ代わりの石が降ってきて」
頭を守るように手を被せつつ、うんざりした顔でぼやく彼女に、仙治は今度はこちらから問いかけてみた。
「他の墓の様子は見に行ったのか?」
「いや、その二つだけだけど?」
「もしそのゴーグの墓からモンスターから湧いてきたのが、大王イカと同じ人間の仕業だとしたら、他の墓にも同じように何か仕掛けてるかもしれないだろ?」
「あ……婆ちゃん! 婆ちゃん!?」
言われてようやく気付いた、という表情で立ち上がったサリエナは、老婆の居る店の方へ慌てて駆けだして行った。
「――いたぁっ!?」
少しして店の方から聞こえてきた悲鳴に、仙治とナナミは揃って溜息を吐いた。