第四話
「残るは後1隻だ!落ち着いて狙え!」
リンデマンは戦闘による興奮が支配する中で、努めて冷静に命令を出す。とは言え、彼自身も高揚しているのはその言葉からもわかる。
「ビスマルク」の艦橋からは、何本もの立ち昇る黒煙が目に入る。いずれも撃沈した敵輸送船の断末魔を示す狼煙である。いや、その内のいくつかは既に海底へと送り込まれている筈だ。何せ「ビスマルク」の38cm砲弾の直撃を受ければ、輸送船など一溜りもないのだから。
そしてその中で、最後まで残った1隻が必死に遁走を図っている。しかし、「ビスマルク」「グラーフ・ツェッペリン」「エムデン」の3隻に狙い撃たれて逃げられる道理など、あるはずがなかった。
ちなみに対水上艦用の砲を有する「ツェッペリン」は本当に撃っている。
「敵輸送船炎上!」
その報告が入った瞬間。艦橋内に歓声が上がった。
「やりましたね!リンデマン司令!」
「そりゃまあ、護衛艦を予め航空攻撃で全滅させておいたんだ。当然の結果だよ」
と言うものの、リンデマンは御満悦だ。貨物船やタンカーなど、15隻余りの船団を全滅させるという、久方ぶりの大戦果なのだから、当然と言えば当然だった。
「おそらくあの船団は北アフリカへの補給物資を運んでいたんだろうな。これでロンメル将軍たちも少しは楽になるだろうさ」
リンデマン率いる独東洋艦隊は、オーストラリア航路襲撃後、針路を北西に向けてアラビア海方面に向かった。
しかし、リンデマンは敢えて危険を冒して針路をより西にとり、紅海の入り口まで接近した。
その結果が今回の輸送船団の発見であった。
リンデマンは「ツェッペリン」の艦載機でまず船団についていた駆逐艦、コルベットからなる3隻の護衛艦を全滅させ、その後艦隊で襲い掛かって全滅させたのであった。
この船団の行き先は、まず間違いなく紅海からスエズ運河を経由して地中海である。
現在北アフリカでは、ロンメル将軍率いるドイツ・アフリカ軍団(DAK)が、英連邦軍との激しい地上戦闘を展開していた。既にエジプトへの侵攻は叶わない状況となってはいたが、防御戦に移行したDAKは攻勢に勝るとも劣らぬキレを発揮し、なんとかリビア国境地帯に踏みとどまっていた。
これに対して英連邦軍も戦力の増強を図っていたが、地中海に侵入したUボートやイタリア海軍による輸送船団への攻撃などで、あと一歩での決め手に欠いていた。これは独海軍が未だに有力艦艇を保持し、英海軍戦力を拘束しているのも影響していた。
それでも英国は北アフリカへの補給を行っていた。アメリカから届けられる豊富な物資を運ぶルートとして、遠回りではあるがインド洋・紅海経由で運ぶルートは比較的な安全なルートであった。何せ少数のUボートや日本の潜水艦、仮装巡洋艦以外に敵がいなかったのだから。
そこに戦艦と空母を含むドイツ艦隊がやって来たのだから、遭遇した船団は文字通り堪ったものではなかっただろう。
「しかしここからが本番だ。我々はさらに敵陣深く突っ込むのだからね」
独東洋艦隊は、さらに獲物を求めて北上する。つまり、アラビア海の奥深くへ入り込むということだ。
アラビア海は印度亜大陸西岸と、さらにイランなどペルシャ湾沿い諸国へつながる海であり、航路も交錯している。その一方で、英領インドに接近するとともに、万が一英艦隊が大西洋方面から北上してこれば、袋のネズミとされるリスクもあった。
しかしながら、独東洋艦隊内部の空気は楽観的だった。
「無電情報では、この付近に有力な敵艦はいないはずです。また敵空軍も予想以上に活動が不活発です。もしかしたら、楽に終わるかもしれませんよ」
参謀の一人は笑いながらそんなことを言った。あまりにも敵を舐め切っていると言えなくもないが、前年のライン演習作戦を潜り抜けたリンデマンとしても、緊張感を感じにくい状況にあった。確証があるわけでもないのに、漠然とこの作戦は上手く行きそうだと感じていた。そしてその予感は、大筋で当たることになる。
もちろん、老練なリンデマンとしてはそれを口に出すことはせず「油断は禁物だぞ」と一応は口にしておいたのだが。
この後、アラビア海に突入した独東洋艦隊は、サイクロンの如く連合軍艦船に襲い掛かった。
中央アジア経由で運ばれる援ソ物資を搭載した大規模船団や、印度亜大陸西岸諸港に向かう独航船が、ペルシャ湾沿岸諸国から出港した小船団が次々と独東洋艦隊の航空攻撃、砲撃の前に餌食になっていった。
わずか1週間余りの戦闘で、同艦隊は旧式軽巡1隻を含む艦艇4隻を撃沈し8隻を撃破。そして各種商船25隻を撃沈し4隻を撃破、さらにアラビア海からの脱出時に2隻のタンカーと貨物船を鹵獲したのであった。
被害は「グラーフ・ツェッペリン」の艦載機を含む7機の機体を喪失したものの、艦艇の被害はほぼ皆無で、独東洋艦隊は一方的な蹂躙劇を繰り広げたと言えた。
「まさかここまで楽に行くとはな。ライミーは昼寝でもしてるのか?」
とリンデマンも拍子抜けするほどの、一方的な戦闘であった。独東洋艦隊はアラビア海を易々と脱出すると、モルディブ沖で日独合同の補給艦隊とランデブーし給油を行い、悠々とシンガポールに帰還した。
この独東洋艦隊の襲撃により、北アフリカ戦線への物資輸送船団と援ソルートの輸送船団、さらにはインド沿岸部やオーストラリア方面への航路は大打撃を受けた。
直接的な撃沈艦船数も然ることながら、独東洋艦隊、さらにこれに呼応して活動したUボート戦隊と日本海軍の潜水艦、仮装巡洋艦はインド洋のどこかに存在するというプレッシャーを掛けることで、結果的に連合軍艦船の行動を大幅に制限した。特に輸送船は独航、船団に関わらず運航停止を余儀なくされた。
これによって、撃沈された輸送船に搭載された物資は海没により完全喪失は言うまでもないが、航路の運航停止による物資の大量滞留が発生した。それらは必然的に北アフリカ戦線や援ソ物資が投入される東部戦線に悪影響を与えることとなった。
リンデマンが意図したように、独東洋艦隊の行動は間接的に北アフリカのロンメル将軍をはじめ、遠き地で戦う味方将兵を援護したのだ。
これに対して、英国首相チャーチルも、北アフリカで枢軸軍と対峙するモントゴメリー将軍も、ソ連のスターリン首相も当然ながら怒り狂った。
しかしながら、そんな状況にあるにもかかわらず、連合軍は独東洋艦隊に有効な反撃が何一つ出来なかった。
本来であれば真っ先に迎撃するべきなのは英東洋艦隊であるが、昨年のマレー沖海戦から続く艦艇の喪失で行動が消極的となっていたのに加え、マダガスカル島占領作戦以後、有力な艦艇を大西洋や地中海に引き揚げてしまっており、正面から立ち向かえる戦力が存在しなかった。
英海軍としては、空母「ヴィクトリアス」を中心とする艦隊を送り込むことを真剣に考えたが、これに米海軍が待ったをかけてしまった。
この時期ソロモン海ではガダルカナル島を巡る連合軍と日本軍との戦いが佳境を迎えており、米海軍は艦艇の大多数をこの方面に投入していた。しかし相次ぐ激戦で空母「ワスプ」「ホーネット」を喪い、「エンタープライズ」と「サラトガ」は損傷により戦線離脱していた。
そのため、1942年10月下旬時点で米海軍には太平洋方面に投入できる艦隊用空母がなくなってしまった。だから米海軍では、この間隙を埋めるために英海軍から空母「ヴィクトリアス」の借用を考えた。
英海軍としては「何でお前たちのために貴重な空母を割かなきゃならんのだ」というのが本音であったが、太平洋上に空母がいない危機的な状況が看過できないのは英海軍としても理解できるし、何より米国から膨大な援助物資を受けている以上「嫌だ」とは言えない立場にあったわけだ。
また一応米海軍も、英軍に配慮して旧式ではあるが2隻の「ニューメキシコ」級戦艦と、輸送任務に就いていた護衛空母「ロングアイランド」と「ボーグ」を代替としてインド洋方面に派遣しようと目論んだ。戦艦は旧式とは言え、14インチ砲を12門持つこの2隻で「ビスマルク」に対して充分な牽制になると踏み、航空機も速度は遅いが、搭載機の数では勝るこの2隻で「グラーフ・ツェッペリン」に対抗できると考えられたからだ。
ところが、このトレードのために双方が回航中に独東洋艦隊の襲撃が行われてしまった。艦隊がそもそもいない時期に敵が襲来したのだから、どうにもならない。
基地航空隊も長距離攻撃可能な機体の多くが激戦の続くヨーロッパや地中海、ソロモン方面へ回されており、神出鬼没の独艦隊を捕捉攻撃するような戦力は残されていなかった。
こうして、連合軍は独東洋艦隊の狼藉を許すこととなった。
そしてこの結果、米英両海軍は苦しい立場に追い込まれた。それは単に輸送船や物資の輸送に支障を来たしたというい戦術レベルのそれではない。一般市民の動揺と言う、世論が大きな影響を与える両国にとって厄介かつ重大なものであった。
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