第三話
「無事にシンガポールまで来られたな・・・しかし、これはないんじゃないか?」
シンガポールに入港したドイツ海軍戦艦「ビスマルク」。同艦に乗り込む元艦長で現在は太平洋艦隊司令長官のリンデマン少将は、自分たちがやらされていることに、不満気な表情を浮かべた。
「何がですか?」
「昨年の「KGV」と同じ構図で写真を撮るのがだよ」
約1年前、日本への牽制目的にチャーチルの肝いりで派遣された大英帝国の最新鋭戦艦「KGV」。姉妹艦の「プリンス・オブ・ウェールズ」は「ビスマルク」に撃沈されたが、その理由としては乗員が練度不足だったというのも大きい。しかしより早く完成した「KGV」は乗員の練度も充分であり、大英帝国最新鋭の戦艦として万全の性能を発揮できる。
誰もがそう考え、シンガポールに入港した際に撮影された「KGV」の写真は、大英帝国海軍の威容を世界に、特に枢軸国に対して見せつけた。
しかしながら、その威容は呆気なく崩壊した。大日本帝国との開戦早々に「KGV」は、日本が占領する仏印の飛行場から発進した日本海軍の双発攻撃機群の波状攻撃を受けた。その結果数機の攻撃機を対空砲火で道連れにしたものの、最終的に「KGV」は僚艦の「レパルス」と枕を並べて撃沈される憂き目に遭い、短命な妹の後を追ってしまった。
結局のところ「KGV」が証明したのは大英帝国海軍の健在ぶりではなく、航空機の前に戦艦は撃沈されうるという、海戦の常識の塗り替えであった。
そして今回、どこの連中が考えたか知らないが、「ビスマルク」は前年「KGV」が接岸したのとを同じ岸壁に接岸し、しかもほぼ同じ構図での写真と映像を撮影された。
これをリンデマンは不吉なことだと警戒したのだ。
だが部下たちは楽観的だった。
「大丈夫ですよ提督。現在インド洋には有力な敵艦隊はおりませんし、長距離攻撃機もこの方面にはあまり配備されていないとか」
「それに。我々には「グラーフ・ツェッペリン」があります!例え敵機が来襲しても、恐るるに足らずです」
「・・・だと良いがな」
実際、「ビスマルク」がシンガポールに進出した1942年10月時点において、インド洋方面に連合軍の有力な艦隊は確認されていなかった。
最大の敵になるはずだった英東洋艦隊は開戦早々壊滅し、その後派遣されてきた増援戦力も4月に行われた日本軍のセイロン島攻撃以降は、地中海や大西洋方面へ呼び戻されていた。
ただし、仏領マダガスカル上陸に際しては戦艦が動員された。しかしその内の1隻である「ラミリーズ」は、日本潜水艦の雷撃で撃沈されている。
だからリンデマン指揮する太平洋艦隊は、思う存分通商破壊作戦を出来るはずであった。また彼の指揮下にはペナンに拠点を置くUボート部隊のモンスーン戦隊や、数隻の仮装巡洋艦も含まれていた。
これらは単独行動を取るので連携は期待できないが、敵船団の発見や気象通報などの情報で援護をしてくれるはずであった。
しかも今回の作戦には空母の「ツェッペリン」がいる。同艦には空軍籍にあるがMe109戦闘機とJu87爆撃機、さらに日本海軍から厚意として提供された少数の零戦、97式艦上攻撃機、二式艦上偵察機も含めて、50機の搭載機が載っている。
決して多いわけではないが、これらを利用した防空、偵察、攻撃という手段が採れることは、太平洋艦隊にとって大きなアドバンテージになる。
とは言え、敵艦隊の情報に関しては本国から遠く離れ、日本軍との連携も未だ不十分な現状では、決して最新のものとは言い難い。また艦載機の運用も、日本海軍から形ばかりの教授を受けただけで、ドイツ海軍にとって全く持って未知のものであった。
だからリンデマンにとって、これから行おうとしている作戦は、決して楽観できるものではなかった。
シンガポールでの補給と日本海軍との最終打ち合わせを行い、さらにはペナンから飛んできたモンスーン戦隊関係者とも会議を行うなど、慌ただしくも最後の事前準備を終わらせたドイツ海軍太平洋艦隊は、いよいよインド洋における通商破壊作戦に出撃した。
戦艦「ビスマルク」に空母「グラーフ・ツェッペリン」、巡洋艦「エムデン」、駆逐艦「Z51」ならびに「Z52」、そして仮装巡洋艦と補給艦1隻ずつからなる艦隊は、スンダ海峡経由でインド洋へと向かった。
ちなみに、装甲艦の「アドミラル・シェーア」は機関に故障が発生したため、今回はお留守番であった。
さて、リンデマンらが立てた作戦では、約1カ月の作戦行動で豪州からアフリカに至る航路や、欧州からベンガル湾およびアラビア海沿岸部にある諸都市、さらにはセイロン島へ向かう航路などを航行する敵商船を、時と場所を選ばず、神出鬼没に艦隊を行動させて襲うというものであった。
マラッカ海峡ではなく、スンダ海峡を通過したのは第一目標をオーストラリア航路に向けたためであった。
「さて、獲物は果たしているだろうか?」
インド洋に突入すると、リンデマンは早速「ツェッペリン」や「ビスマルク」に搭載されている偵察機を出して、獲物がいないか索敵させた。
すると、出撃して3日目に早速独航のイギリス船籍の中型貨物船を発見した。艦隊との距離は200海里であった。
そこま遠い距離ではないが、この敵船は西に向かっていたため捕捉には時間が掛かりそうであった。
「航空攻撃を掛けましょう!200海里も飛行機ならすぐそこです!」
という航空参謀(実際は空軍指揮官。ドイツでは艦載機に至るまで空軍の管轄にあるため)の進言を入れて、リンデマンは「ツェッペリン」に出撃命令を出した。
航続距離に余裕のある供与機の零戦3機の護衛の下、Ju87「スツーカ」6機、97式艦上攻撃機2機の計11機が出撃した。
太平洋艦隊の最初の獲物に対して航空機を使用することとなったが、これは単に目標との位置関係だけではなく、ドイツ海軍にとって未知のものである空母航空戦力の運用を、早い内に試したいという理由もあった。
そして結果から言えば、この攻撃は成功して攻撃隊は損失を出すことなく敵5000トン級貨物船を撃沈した。爆撃隊とも雷撃隊も、敵船に命中弾を与えて短時間でこれを沈めた。
航空隊の練度に不安を抱えていたリンデマンらは、その報告に大いに安堵し、それとともにパイロットたちが海戦でも充分使えるという自信を得た。
艦隊に帰還したパイロットたちは、乗員たちに熱狂的に迎えられることとなり、その士気上げに大いに貢献した。もちろん、リンデマンや空軍関係者が航空戦術に対しての自信も深めたのは言うまでもない。
この翌日、今度はオーストラリア方面に向かう大型貨物船を発見したドイツ艦隊は再び20機の攻撃隊による航空攻撃でこれを撃沈した。
最終的に1週間あまりの行動で、航空攻撃で撃沈3、撃破1、砲撃戦で撃沈1の戦果をあげた。
まずまずの戦果と言えるが、隻数だけで見れば大したものではない。
「獲物にあまりありつけんな」
彼らが襲撃した船はいずれも独航で、大西洋のような船団は一つもなかった。この方面の交通量がその程度なのだから仕方がないと言えば仕方がない。
それに撃沈隻数が例え少なくとも、これまで襲撃のなかった航路上で輸送船の撃沈が続けば、敵に対して相当なプレッシャーを与えられる。
だが現状、目に見える戦果ではとても費用対効果的に釣り合いのとれるものではなかった。
リンデマンとしては、ある程度目に見える戦果をあげる必要があった。もちろんそれは戦果を上げることで自国の勝利に貢献するという意味もあるが、シンガポールに至るまで毎度毎度「戦艦を通商破壊に使うなんて勿体ない。うちの指揮下に入って米艦隊との決戦に備えてはどうか」等と言ってくる日本海軍の関係者を黙らせる意味もあった。
「次の狩場に期待するしかないか」
オーストラリア航路の襲撃を終えたドイツ太平洋艦隊は、針路を北に変針して、モーリシャス諸島沖を抜けて、アラビア海へと向かった。英軍が占領したマダガスカルや、英領インドに接近することになるが、アラビア海は地中海方面や中東、インド西部各都市を結ぶ航路が重なり、有力な船団が多数航行しているはずであった。
危険も大きいが、その分戦果も狙えるはずであった。
加えて最初の1週間で航空隊を使用したことにより、ドイツ太平洋艦隊は航空戦術に対しての自信を深めていた。この時点で事故などで2機を喪失していたが、いずれもバラしていた予備機を組み立てることで、補いがつくものであり、ドイツ太平洋艦隊はほぼ100%の航空戦力を有したままであった。
もちろん「ビスマルク」以下の艦艇群もほとんど弾薬を消費していなかった。
アラビア海突入直前に、リンデマンは仮装巡洋艦と補給艦から最後の燃料や弾薬などの補給作業を行い、仮装巡洋艦には独航での敵船襲撃、補給艦にはシンガポールへの帰投を命じて切り離した。
これで補給は出来なくなったが、身軽になった艦隊は戦闘艦艇としての機動性をフルに発揮できる態勢を整えた。
「さあて、どうなるかな?」
運命の女神が自分たちに微笑むのか、リンデマンら独太平洋艦隊の将兵の誰もが知らぬところであった。
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