第十話
独東洋艦隊による英東洋艦隊撃破、特に空母「ヴィクトリアス」撃沈の報は、各方面に波紋を広げた。もちろん、一番大きなショックを受けたのは大英帝国で、日本海軍に続いてドイツ海軍にまでも、自国の庭と思っていたインド洋で大敗を喫したのだから、当然のことであった。
しかも、マレー沖海戦やセイロン沖海戦の時のように一方的な航空攻撃を受けたのではなく、ほぼ互角の戦力での真正面からの衝突で大敗したのだから、首相であるチャーチルはマレー沖海戦の次のショックを受けたと、後の回顧録に記した程であった。
対照的にドイツ本国では、ヒトラーが直々にラジオに出演して、リンデマン独東洋艦隊将兵の功を讃え、散々チャーチル以下のイギリスを扱き下ろしたのであった。
ここの所各方面での戦況が思わしくなくなっている中での大勝利だから、これも無理のないことであった。
一方ドイツの同盟国たる日本でも、同盟国の艦隊が敵空母を撃沈したことに、賞賛の声を上げた。その一方で、英海軍がこれほど早くインド洋方面に戦艦と空母を含む機動部隊を送り込んできたことに、危機感を覚えた者もいた。
また彼らは、西進してきているはずの米機動部隊の動向にも気を配っていた。
ただし、この心配は杞憂に終わる。と言うのも、英機動部隊壊滅の方は、米機動部隊にも大きな衝撃を与えるとともに、その行動を変更せざるを得ない事態に追い込んだからだ。
原因は一言で言えば政治である。と言うのも、英艦隊壊滅の報に最も大きな衝撃を受け、恐怖を覚えたのはパースを含む豪州西岸の住民たちであった。
邪魔者のいなくなったドイツ東洋艦隊は、今度こそ自分たちに襲い掛かって来る。ジェリコのラッパを鳴り響かせた「スツーカ」が頭上より急降下し、接近してきた「ビスマルク」が38cm砲の巨弾を撃ち込んでくる。
その悪夢に近い想像が、豪州西海岸の住民たちを恐慌状態に陥れた。
実際のところ独東洋艦隊は英艦隊との戦闘で弾薬と燃料を消耗し、そんなことする余裕などなかったのであるが。
しかしそんな事情あずかり知らぬ住民たちは、パニックを起こしかけていた。
こうなると、独東洋艦隊が来ても押し返せるという、わかりやすい力を見せるのが効果のある手段と言えるが、生憎とこの時期豪州西岸にオーストラリア海軍の艦艇はいない。例えいても、一番巨大な艦は重巡であるから、住民らの恐怖を払拭するなど無理がある。
昼間は上空に飛ばす戦闘機を増やすなどして、空軍戦力ここにありと示したが、もちろんこれでは不足だ。
結局、戦艦「マサチューセッツ」と空母「レンジャー」は独東洋艦隊の追跡を断念し、パースをはじめとする豪州西岸の諸港に入港し、その巨体や艦載機の大編隊を見せて示威行為を行い、豪州国民の不安払拭に専念させざるをえなかった。
ただ実際のところ、独東洋艦隊は既にシンガポールへの帰投針路を取っており、仮に追跡したとしても米艦隊は日本の航空機の行動圏内に入らざるを得ず、むしろ豪州国民の士気を維持したという点の方が重要であった。
ただし、その後も豪州政府や豪州国民の独東洋艦隊への警戒心と不安は中々払拭せず、さらに英国からもインド洋方面に有力な艦艇がなく、彼らを野放しにしかねないと言うことで、米機動部隊をしばらく豪州西岸に置いておくよう要請が来た。
もちろん、米国としてはこの時期貴重な戦艦と空母を1隻ずつ、遊び駒にするなど容認しがたいことであったが、豪州が連合国より脱落する危険性をちらつかされれば、とても引き上げるなどとは言えなかった。
結局代替として旧式戦艦2隻と護衛空母2隻を回航するまで、この米機動部隊は豪州西岸をひたすら遊弋し、来るか来ないかもわからない敵に対峙し続けることとなった。
そんな連合軍側の事情はともかく、英機動部隊を撃破した独東洋艦隊は北東に針路を取り、一路シンガポール方面へとひた走った。
ただ先に書いた通り、懸念した米機動部隊による追撃はなかった。それでも、その脅威は最終的に日本の航空機の航続圏内に入るまで消えず、また時折出没する英潜水艦への対潜行動ももちろん必要となり、独東洋艦隊の乗員たちは緊張を強いられた。
その分、シンガポールに辿り着いた時の彼らの喜びようは大きかった。それに加えて、彼らをそれ以上に大いに沸かせる報告が待っていた。
独東洋艦隊の活動によって出来た英艦艇の哨戒網の隙を衝き、インド洋を横断したUボートやイタリア潜水艦が相次いでペナンへの入港に成功していたことであった。
これらの潜水艦には数は少ないが、独東洋艦隊向けの補給物資が搭載されていた。それは電子兵器の予備パーツや、航空機、対空機銃弾などであったが、特に乗員を喜ばせたのは、本国に残してきた家族からの手紙であった。
「OKM(海軍総司令部)も粋な計らいをしてくれたものだね」
リンデマンも久方ぶりの家族からの手紙を受け取り、御満悦であった。
「ライミ―もこれでしばらくは大人しくなるはずだし、我々もしばしばの休憩だな。本国からワインも届いたことだし」
本国からはこれまでの戦果に報いるということで、ワインの差し入れがなされていた。もちろん母国ドイツ産だ。本来であれば冬であるのだが、熱帯であるシンガポールではそんな季節感無縁であった。
懐かしい故国を思い出せる品を口にしながらの休養。戦時下で、母国から遠く離れた地にいる船乗りにとって大いなる贅沢だ。
とは言え、そんな贅沢な時間はほんの僅かであった。リンデマンは艦隊司令官としての様々な職務をこなさねばならない。
その一つに参謀や駐在武官を交えての会議があるのだが、先日の英機動部隊撃破と言う大勝利にも関わらず、もたらされる情報は不愉快なものばかりであった。
「となると、日本軍はソロモン方面から後退するのかね?」
「はい。彼らは転進と言い換えていますが、実質的な撤退です」
「ふむ」
1943年3月、昨年8月より続いてきたソロモン方面での激闘は、最終的に連合軍側に軍配が上がった。日本側は米軍が占領したガダルカナル島の奪回を行うべく、数次にわたる陸海軍の大兵力を投入した作戦を敢行した。
独東洋艦隊が無線傍受などで独自に得た情報を含めて推測するに、戦艦「ワシントン」「サウス・ダコタ」空母「ホーネット」「ワスプ」など多数の艦艇を撃沈したのは間違いなさそうであった。もちろん日本側も無傷ではなく、「コンゴウ」タイプの戦艦を2隻程度喪ったようではあるが、旧式戦艦と新型戦艦の交換であると考えるなら、海戦の結果自体は日本側の勝利である。
しかし、結局のところ補給線を寸断された島への戦力の逐次投入という戦術上最悪のやり方は、3万近い陸兵の過半以上を戦わずして無為に喪わせるだけに終わり、もちろん島の奪回もならなかった。
日本軍はガダルカナルを放棄して、戦線を後退させたようであった。同じくニューギニア方面での作戦も思わしくないようで、こちらも進撃は完全にストップしているようであった。つい数日前には、大規模な輸送船団が全滅の憂き目に遭ったようだ。
「日本軍の進撃は完全にストップしたようです」
「それは我が国も同じだ。スターリングラードでは第6軍が壊滅したというではないか」
独東洋艦隊が大戦果を挙げていたころ、遠く離れたソ連領スターリングラードでは、同地の攻略を目指していたパウルス上級大将率いる第6軍が、ソ連軍の逆包囲を受けていた。ソ連軍の戦力の薄い部分を狙って一部の部隊は後退に成功したが、パウルス上級大将含めた半数以上の戦力は脱出に失敗し、ソ連の捕虜となっていた。
独ソ開戦以来の大敗北である。
「アフリカ戦線もロンメル将軍ががんばっていますが、思わしくないようです」
「うむ・・・」
ロンメル将軍率いるDAKも、補給線を締め上げられており、防戦一方になっていた。現状まだリビア・エジプト国境でがんばっていられるのは、先般東洋艦隊が行った通商破壊作戦で、連合軍側も物資に余裕がなく、攻勢に決めてを欠いているからであった。
「となると、次に命令される作戦はもっと困難なものになるかもしれんな」
このリンデマンの予測は現実のものとなる。数日後本国から彼が受けた命令は。
「アリューシャンへ向かへだと!?」
北太平洋、アリューシャン方面に進出せよというものだった。
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