「りょーこー問題」に関する仮説
先日テレビを見ていて欧米人が日本語を話しているのを聞いたが、彼はアクセントこそ少しおかしいものの日本語の特殊拍がきちんと発音できていてすごいと思った。
私は数多くの日本語のうまい外国人と出会ってきたが、日本語の特殊拍がきちんと発音できている人はほんのわずかであった。
日本語の発音は単純である、というのは大きな誤解である。
日本語は世界のメジャーな言語(英語やフランス語、中国語といったほとんどの言語)にほとんど見られない特徴を持っている。特殊拍である。
昔、小中学校の授業で俳句や短歌を習ったときに、「やせがえる・まけるないっさ・これにあり」とか「みちのくの・ははのいのちを・ひとめみん・ひとめみんとぞ・ただにいそげる」とかかいてあったときに、何の疑問も持たずに「っ」とか「ん」をほかのひらがなと同じ長さ、一拍として数えていなかっただろうか?
実はこれは世界的に非常に珍しい現象である。日本語は「拍」をもって音の長さをはかる言語なのだ。
よく中国人が日本語を話すと「さっき」と「さき」を混同したり、「いって」を「いて」のように発音したりする傾向があるが、これは特殊拍がそもそも聞き取れない、聞き取れたとして自分で発音できないからである。ここに関係してくるのは「拍」と「音節」という概念である。
日本語は大体平仮名一つあたり一拍と決まっていて(もちろん「きゃ」なども一拍ではある)、しかも長さが変動しない。アクセントも高低アクセントあるし、強弱アクセントの言語のように「たまご 低高低」だからといって「たまーご」になったりもしない。拍は常に一定の長さで存在し、長くならない。
しかし中国語ではどうか。中国語に関してはそもそも長母音・短母音という概念がないので音節の長さは声調やその単語を強く発音するかどうかによって伸び縮みしてしまう。maと言ったときに音をいくら伸ばして発音しようがどうしようが声調が同じであれば同じ音同じ意味になる。
英語もそうだ。英語の場合は長母音・短母音の区別が存在しているのだが、日本語と違って均等に伸びない。たとえばpickとpeakでほとんどの人はpickのiとpeakのeaが同じ発音で単に母音が長いか短いかの区別をしていると思っているが、実際は違う。pickとpeakではそもそも母音自体が違う。このように、英語という言語では実際母音の長短によって区別するというよりは、長母音になったときは母音自体が別の音に変化して区別しているという実態がある。つまり大切なのはあくまで音節の長さではないのだ。
英語では強調して読めば母音の長さは少し伸びる。音節というのはある程度伸び縮みする。
繰り返すが日本語の拍の長さは一定である。そしてこれは日本語の特殊拍でも同じである。
日本語の特殊拍というのは「っ」「ん」「ー」の三つで、外国人が日本語を話すときに発音が比較的難しいとされている。なぜかというと、諸外国の言語では「っ」「ん」「ー」を一つの音節とせずに、こうした音が発生した場合前後のどちらかの音節に含めてしまうからだ。
わかりにくいと思うので具体例をあげると、sinだろうがseenだろうが英語では一音節と数え、aでもzhuangでも中国語では一音節になるのだ。日本人から見たらsinとseen、aとguangがおんなじ長さというのはおかしいかもしれないが、それは日本人が拍の概念を英語・中国語に当てはめているからだ。
もちろん「シン」と「シーン」、「ア」と「グアン」では確かに長さが違う。しかし英語ではsinのnを一つの音節として切り離さずにsinとくっつけて発音するのだ。些細だがこうした問題はこれだけにはとどまらず、結果的に日本人の英語は奇妙に聞こえる。
では逆に、こうした言語を母語とする人間が、拍をもった日本語を習得しようとするとどうなるか?
それなりに厄介な問題が起こることは想像に難くない。
ここで本日のテーマである「旅行」を出したいと思う。
なぜか、この単語を発音するときにほとんどの外国人、特に欧米人が「りょーこー」と発音してしまうという問題がある。
ほかにも「ボタン」を「ぼーたん」、「巨大」を「きょーだい」など同じような事例は枚挙にいとまがない。
なぜ変なところが音が伸びてしまうという現象が起こるのか、といえば、ずばり特殊拍が感覚として身に着けられていないという結論に達する。
つまり彼ら日本語学習者は「りょこう」「ボタン」「きょだい」とか聞いたときに、それらの単語に勝手に音節を与えてしまい、二音節の単語として理解してしまうのだ。ryo/kou、bo/tan、kyo/daiという具合に。なぜなら世界のほとんど言語ではou、aiといった母音は一音節として数えられ、nも決して単独で存在せず(広東語など例外はあるが)anというのも一つの音節になってしまうからだ。もちろん二音節であるならば、「りょ」と「こう」は同じ長さで発音されるべきであり、「りょ」の方が伸びて「こう」と同じ長さで存在しようとしてしまう。だから「りょこう」が「りょーこう」になる。
しかしこうやって日本語の単語を分解してしまうと――日本人ならわかるとおもうが――本来「りょ・こ・う」「ボ・タ・ン」「きょ・だ・い」と三つに分けられるはずの日本語のリズムがくるってしまい、結果間延びして変に聞こえるのだ。
今度よく外国人のしゃべっている日本語を聞いてごらんなさい。おそらくこうした間違いを一つもおかさない外国人は極めてすくないので、素人でも聴けば一つや二つ指摘できるはずだ。