ゆれうごく心
「大変、申し訳御座いませんでした。
・・・・アキ様、そろそろ許して下さいませんか」
「いやです」
「・・・・・」
反射的に、即答で拒絶する。
なんとも言えない沈黙が部屋を満たすが、アキがそれに頓着することはなかった。
何故ならば、今彼女は大層不機嫌であった。
「昨日は言いすぎました、謝ります。すみませんでした」
怒って泣いて、安心したあとの、翌日の早朝。
ファリースはまだ明け方とも言うべき時間に、アキの知らぬ間に退出していたアーノルドを伴って部屋に現われると、開口一番アキへ謝罪した。
その声に無理やり起こされた形になり、瞬く間に不機嫌になったアキは、それに対し何を言うでもなく胡乱な眼でファリースを眺めた。
一体何を言っているのかと。
ていうか今何時だと思っているんだろうか。
時計がないからわからないが、まだ明るくなりかけている頃なのだから、明け方といっても過言ではない。
もとより朝に弱いアキは、ファリースに対する心証が良くないことも相まって、酷く不機嫌だった。
昨日のことも相当腹に据えかねるものだったが、今は何よりこんな朝早くから起こされたことが腹立たしい。
ていうか許せないかもしれない。
「なにがですか」
幼い少女にしては、低い声が出た。
アキとて、いきなり、てめぇ何の用だとは思ってても言わない分別くらいはある。
いくら寝起きで頭が働かず、非常に不機嫌であろうとも。
しかし、それ以上に苛立ちが勝って、どうにも宜しくない対応しかできない。
少なくとも、今は無理としか言えないのだ。
「なにが・・とは」
寝起きでぼさぼさの頭、不機嫌そうに眇められた眼、低い声とふてぶてしい態度。
幼女には不似合いであるその様に、ファリースも動揺が隠せなかったらしい。
アキの言葉を鸚鵡返しするのが精々な様子で、目を見開いて固まっている。
「こんな朝っぱらから、何を謝りに来たんです」
「・・いえ、ですから・・昨日、あなたに対して言いすぎたと反省しまして・・」
「あなたが謝る必要なんてないです」
ぶっすーとした顔を崩さず、ファリースの言葉を遮った。
泣いて体力を消耗したせいか、幼い身体故か、眠くて眠くてたまらないのだ。
そんなくだらないことで起こされるなんて、とますます腹が立った。
「言い方が非常に意地悪だったとは言え、昨日の話に嘘はなかったんでしょう。
変に事実を隠されるよりは、本当のことを話して頂いた方がましです。
それとも、昨日のお話に嘘があったのですか」
問いかけるでもなく、断定的な言い方をするアキに、ファリースが寸の間顔を歪めた。
けれど、すぐに真剣な顔でアキを見つめ、真摯に返答した。
「いえ、全て真実のみをお話致しました」
「ならいいじゃないですか」
「ですが・・」
「謝んないでください」
そんなものどうでもいいとばかりに、思いきり良く切り捨てる。
そうこうしている間にも眠気はじわじわなくなっていっているのだが、如何せん悪くなった機嫌はそうそう良くならないものだ。
今はなんだか何でもかんでも否定したい気分だった。
まさしく子どもの癇癪といっていいアキの様子に、ファリースが困った顔をする。
ちなみに事の起こりから全て見ているアーノルドは、いつの間にか椅子に座って傍観体勢に入っており、ファリースの助けにはならない。
むしろ問題外だ。
「アキ様・・」
「様付けしないでください」
「いえ、花嫁は神の巫女と同義ですから、それは・・」
「様付けしたら返事しません」
「アキ様・・・・」
「知りません」
「・・・」
アキとて、くだらない意地だとは分かっている。
神官長としてのファリースが、おいそれとアキを呼び捨てにすることが出来ないことも。
昨日までのアキなら、渋々ながらそれを受け入れていた。
しかし今、アキは腹を立てていることで、多少わがままになっていたと言える。
謝られるのも、様をつけて呼ばれるのも、アキは嫌なのだ。
そして、ここで冒頭に戻る。
「・・・アキ」
再度の謝罪を即答で拒絶されたファリースが、頭を下げたまま固まり、動かなくなって暫し後。
見るに見かねて、ようやくアーノルドがアキに許しをもらうべく、声をかける。
しかし、その声にも無反応で、アキは顔を顰めたまま壁を睨みつけていた。
「・・アキ、」
「いやっていったらいや!」
再度の呼びかけすら拒絶して、遂にはシーツの海へ潜り込んだ。
困ったようなアーノルドの声も、未だ固まるファリースも、最早どうでもよかった。
むくむくと心の内で湧き上がる怒りに翻弄されて、アキ本人ですらどうしたらいいかわからない。
こんなにこどもっぽかっただろうか、なんて頭の中の冷静な自分が独りごちる。
白いシーツに突っ伏して、込み上げる涙を堪える。
どうも先日から、情緒不安定だということは自覚していた。
見た目に引きずられているのか、唐突な出来事が連なって起こったせいで精神が退行しているのか。
それすらもアキにはわからなかった。
悲しくて悲しくてたまらなくなって、じわじわと出てくる涙がシーツに染みていく。
アーノルドの前では笑えたのに、何故なのか。
昨日はもう大丈夫だと思えたのに、錯覚だったのだろうか。
「やだ!ファリースのばか!」
「・・・・」
「・・・」
シーツの中から叫べども、返ってくる答えはなく。
ただただ、アキは必死でそれ以上の怒りが口から出ないようにするほかなかった。