あいする日常
その日も、いつも通り何事もなく授業を終えた。
多少居眠りこいたりもしたが、概ね何事もなくいつも通り平和に、だ。
その後の部活動も無事に終了し、気分良く帰宅しようと荷物を手早く纏める。
うら若き女子高生である藤島安芸――――――アキは、基本的にお家大好きインドア派である。
学校も部活も遊びに行くのも嫌いではないが、やはり家が好き、おまけに自室に篭るのが好きとくれば、帰宅に向けるその足が軽くなるのも無理はなかった。
「あれ?安芸、もう帰るの?」
カバンにせっせと荷物を纏めていたアキに、友人が声をかける。
顔を上げてその姿を見やれば、まだ部活終了後そのままの姿だった。
彼女はこれからもう少し居残るつもりなのだろう。
アキは徒歩だが友人はバス通学なので、帰る時間までまだ少し猶予があるのだ。
「うん、ごめん先帰る。まだやってくの?」
「あと30分くらいやって帰るよ」
「そっか、頑張ってねー」
「安芸も気をつけてねー」
帰る準備が出来て、荷物を持って立ち上がる。
ばいばい、とお互いに小さく手を振り合い、それぞれ歩き出した。
これが最後の会話になると、誰が思っただろう。
このとき、まだ何も知らないアキは、何を思うでもなくいつもの通りに出口へと向かった。
「お疲れ、安芸ちゃん」
「ばいばーい、またねー」
「藤島先輩、お疲れ様でした~」
「はいはーいお疲れー、お先ー」
声をかけてくる部員達にそれぞれ挨拶をして、アキはさっさと部室を出る。
その手には通学カバン以外に、珍しくも自身の相棒を抱えていた。
「あー、クラは軽いから助かるわ」
自分より細い友人がチューバを抱える姿を思い出し、思わず呟いた。
あの細腕であんなに大きいものを持ち運びするのだから恐れ入る。
吹いているときには楽器に体がすっぽり隠れてしまうというのに、華奢な彼女は平気でそれを抱えて階段を昇り降り出来るのだ。
体力のないアキには到底できないことである。
ちなみに吹奏楽部であるアキの担当はクラリネットだ。
木管楽器であるそれは、端的に表せば組み立て式の縦笛であり、崩せば持ち運びも楽々で、ものぐさなアキにはなんとも都合の良い楽器といえた。
「さぁて、帰ったらちょっと練習してー、ゲームしてー」
楽しげなその姿は、傍から観ればなんともご機嫌な様で。
興味のないことにはやる気も出ないが、アキは練習が嫌いではない。
むしろ、音を奏でるのはとても好きだ。
家はど田舎の一軒家で、周りに住宅もないため、アキは度々自室で練習をすることがあった。
アキはその日一日が順調に終わりそうであることを確信し、機嫌良く階段を駆け降りた。
しかし、ここで注意をしておけば良かったのかもしれない。
常日頃から、良いとは言えない運動神経を過信したつもりはなかった。
…なかったはず、なのに。
「あっ?」
手摺りに捕まりながら、うっかり勢いづいてしまったのが、恐らく悪夢の始まりだろう。
アキは、見事に踏み出すはずの右足を滑らせた。
そうして間抜けな奇声をあげ、咄嗟に目を閉じると、アキの身体は呆気なく階段から落ちてしまったのだった。