優しいくうき
「・・・・・・・えーとー・・・」
「・・・・・」
部屋を満たす静寂が重い。
椅子に腰掛けたまま、ファリースを為す術なく見送った後。
アキはこの状況をどう打開しようかと、困惑でいっぱいの頭をどうにか働かせようとしていた。
黙したまま傍らに立ち尽くすアーノルドは、何の反応も見せてはくれない。
それはいい、もう慣れた。
だがしかし。
沈黙でも気にせずに居られるほど、馴染んだわけではないんですが・・?
内心で悲鳴を上げながら、無意識に感じてしまう重圧に耐える。
アキ自身、饒舌な性質ではないことを認識している。
それほど社交的ではない、むしろ人見知りするほうであることも。
おまけに、それに輪をかけるように、アーノルドは無口・無表情・無反応なのだ。
この状況を変えたくば、アキがなんとかするしかない。
それがわかっていてもどうすればいいのか、良い考えは思いつきそうになかった。
「・・んしょ、」
どうしようもなくなり、ひとまずベッドに戻るべく椅子から降りることにした。
大人用なのであろう椅子は、アキには大きく、座った状態では足が床に付かないくらいの高さだった。
それでもずりずりと体を少しずつ移動させれば、なんとか降りることに成功した。
とん、と足が床に着いた、と思った次の瞬間。
「っうきゃ!」
ふっと影が差したことに気づく間もなく、アキの体は椅子の高さを遥かに超えていた。
慌てて自分の体を支えている黒い腕にしがみ付く。
アーノルドがアキを抱き上げたのだった。
「ちょ!何するんですかっ」
あわあわと縋りついたアキを一瞥し、アーノルドはしがみ付きやすい様にか、自身の首へと誘導する。
アキは抵抗するでもなく、むしろ自然に目の前の首元へ縋りつくと、アーノルドを見上げた。
一体何をしたいのかさっぱりわからなくて困惑する。
困ったように見上げてくるアキを黙って見下ろすアーノルドは、相変わらず何も言わない。
何もしないし、表情を変えることもない。
・・・・何考えてんだかさっぱりわかんない。
アキは暫し答えを求めてアーノルドを見つめたが、諦めて嘆息した。
深く考えたほうが負けなような気がしたのだ。
こういうときは、諦めてしまうに限る。
こてんとアーノルドの肩に頭を預け力を抜くと、為すがままになる。
諦めるのは得意なのだ。
褒められたことではないけれど。
「・・・疲れたか」
「・・?いえ、」
ぽつり、頭上から降ってきた声に、内心で首を傾げながら返答する。
質問の意図がわからない。
随分長く寝ていたから、疲労などは取れている。
寝すぎで体力が減っていることを危惧しているのだろうか。
食事をするだけで疲れてしまうほど、アキは柔ではないのだが。
よく分からないけれど、彼がアキを気遣っている様子なのだけはわかった。
寝込んでしまったことが余程心配をかけてしまったのだろうと思う。
返事だけでなく、アキはふるふると首を振って、否定の意を示した。
正直なところ先ほど感じていた心労はあるがこの際無視することにする。
体だけで言えば本当に問題はないのだから、これ以上無意味に心配かけることもない。
「大丈夫です。ありがとうございます」
「いや・・」
ダメ押しとばかりに、にこっと笑ってみせる。
アーノルドはこくっと小さく首肯すると、ベッドへと向かい、アキをその上に降ろした。
いつまたファリースがこちらに来るのかはわからないが、とりあえず休めということなのだろう。
内心でちょっと過保護かなと苦笑しながら、大人しくベッドに潜り込んだ。
位置を探るように、もそりと一度シーツの中を潜ったあと、ひょこりと顔を出す。
枕に頭を落ち着けて傍らにいるアーノルドを見上げると、傍らに小さな椅子を持ってきて、そこに座った。
どうやらそこに居座るらしい彼を尚も見上げ続けると、大きな手で頭をゆっくり撫でられた。
暖かい大きな手が気持ちよくて、猫のように目を細める。
このまま撫でていてくれたら、きっと気持ちよく寝られるだろう。
そう思ったアキが乞うようにアーノルドを見上げると、こくりと頷かれる。
何も言われずとも、ここにいる、といわれた気がした。
「ありがとうございます」
もう一度、小さくお礼を言う。
安心感を与えてくれるのは間違いなくこの人であることを知っていたから、その言葉はすんなりと出てきた。
アーノルドは無表情でじっとアキを見つめたままだったが、それすらも最早気にならなかった。
やがて間もなく寝入ったアキの頭を優しく撫でながら、アーノルドはずっとベッドから離れることはなかった。