屋烏の愛1
見渡す限り緑が広がる草原に続く一本道を数人の客を乗せた乗合馬車が進んでゆく。
客の一人、15歳の少女プリムは懐かしい草の香りを胸いっぱいに吸い込むとまばらな雲を見上げながら頬を緩ませる。
吸い込んだ空気をゆっくりと吐き出し切ったころ、向かいに座っていた品のいい老婆が話しかけてきた。
「お嬢ちゃんは田舎に帰るのかい」
「ええ、会いたい人がいるんです」
プリムは目をきらりと輝かせて微笑み返す。
「あら、恋人かしら」
「……そんなところです!」
曖昧な返答に老婆が目を細めたことに気付かないまま、彼女は意気揚々と語り始める。
「彼とは八年前に初めて会ったんです――」
***************
時はプリムがまだ幼い頃に遡る。
夕暮れ時、村の外れにある空き家で彼女は友人たちとかくれんぼをしていた。
鬼役の友人が数を数え終える頃、ふと一人の青年が森に入っていくのを目にする。
森は大人たちから入ってはいけないと言われている場所だ。
プリムは青年を止めるためあとに続くが、森に入ったところで青年の姿を見失ってしまう。
気づいた時には四方全てが木に囲まれ、進んでも進んでも景色が変わらない。
その不気味さにプリムは少しだけ心臓がギュッとなった。
勇気を出して声を上げるが答えはない。
八方塞がりな状況にしゃがみこんだ彼女の瞳にゆっくりと涙が溜まっていく。
ポツリ。一粒の涙が土に落ち染み込む。
ちょうどそのとき草むらから人影が現れた。
プリムが探していた青年だった。
この地方では珍しい艶のある黒髪と幽霊のように白い肌を見て、プリムはいつか聞いた童話の魔法使いを思い出した。
その魔法使いは悪い魔物を杖を一振りするだけで退治できる国の英雄だ。
英雄然とした青年は仁王立ちしたまま小さなプリムを見下ろす。
「お前はなんだ」
その口調はちっとも英雄らしくなかった。
「お兄さんここ入っちゃダメなんだよ」
「お前に関係ないだろう」
「でもお母さんとか、ヘルバさんとか、大人はみんな入っちゃダメって」
「それはお前の話だろう。私には関係ない」
青年は振り返り森の奥へと足を進めようとするが、プリムは止めようと彼のズボンに手を伸ばす。
「ダメだよ。だって森には――…あれ?」
だが、プリムは青年に触れることができなかった。
青年は確かに目の前にいるのに、触ろうとしても感触がない。
まるで空気をつかもうとしているかのように、触れようとしても触れることができないのだ。
青年は小さくため息をついたあとプリムの方をジロリと見る。
「不気味だろう?森にいるとお前も呪われるぞ。早く帰るんだな」
吐き捨てたあと、青年はまた森の奥へと歩みを進める。
あっけに取られていたプリムがふと後ろを見ると、一本の道がひらけていた。
翌日、プリムは村の人に黙ってこっそり森の中へ入った。
「お兄さーん!」
大きな声で青年を呼ぶ。
根拠はないが、プリムはなぜか彼が長い間この森にずっといるような気がした。
「お礼が言いたいの!昨日はありがとう!道を辿ったらすぐに村に着いたわ」
返事がないのも気にせず、プリムは大きな声で言いながら闇雲に進んでいく。
ふと小さな泉を見つける。
プリムは近くの岩に腰掛けた。
泉はまるで夏の空を閉じ込めたかのような鮮やかな青色だった。
泉の水を掬うと意外にも水自体は無色透明であった。
それに口をつけようとしたとき、彼女の右の耳元に突如声が聞こえた。
「飲むな」
その声は昨日の青年のものだった。
プリムはハッとしてあたりを見渡すが姿は見えない。
「お兄さん…?どこにいるの?」
プリムの髪が冷たい風に靡く。
「お前のすぐ近くにいる」
今度は左の耳元から青年の声が聞こえる。
だが、依然としてその姿は見えない。
「お兄さんって魔法使い?」
プリムはキョロキョロと視線を動かしながら尋ねる。
「まあ、そんなところだ」
「そうなんだ!いいなあ〜かっこいいなあ〜私も魔法使いになりたいの!」
プリムは声のする方を見ながら続けた。
「そうか。お前はただの人間か?」
「私はプリム!」
「プリム?なんだそれは」
「プリムは私の名前だよ。それより見て!私って小指の爪がながあいでしょ?これは魔法使いの才能がある証拠なんだって!私きっと国一番の魔法使いになるわ!」
小指をピンと立てながらプリムは自慢げに笑った。
だが青年はそんなことに微塵も興味はないといった様子で彼女に忠告する。
「そうか、プリム。国一番の魔法使いでもここの水は飲んではいけない」
「どうして?」
「人間の体には毒になるからだ」
「お兄さん飲んだことあるの?」
「いいや、だが人間が飲んでいるのを見たことがある」
「その人どうなったの?」
「…プリム、お前は子どもか?」
「うん、そうだよ。今八歳」
「そうか」
「ねえ、水を飲んだ人はどうなったの?」
「そうだな、どうだったか…。ああそうだ、姿を消したんだ」
「姿を消した?」
「ああ、風に攫われていったのさ」
「人間がどうやって風に攫われるの?風より人間の方が重いのに」
「真っ黒の雲みたいな不気味な姿をしたやつに連れていかれてしまったのさ」
「…本当に?」
「ああ、だからお前はその水を飲んではいけない。村に帰りたいならな」
「でも喉がカラカラなの」
「だったら早く帰れ」
強い向かい風がプリムのおでこを撫でつけ、前髪を揺らす。
後ろを振り返ると昨日と同じように一本道が続いていた。
プリムは肩を落としてため息をつくが、すぐに顔を上げて言った。
「お兄さんさっきの私の声聞こえてた?」
「なんだ?」
「昨日はありがとうって言いにきたの!おかげでお母さんに怒られずに済んだ」
「そうか、よかったな」
青年の興味なさげな声にプリムは彼がどこかへいってしまうような気がした。
「あ、お兄さん待って!」
返事はない。
「お兄さん!最後に一つだけ!」
しばしの静寂のあとプリムの耳元に小さなため息が届いた。
「はあ…なんだ」
「お兄さんの名前は何?」
「知ってどうする」
「ありがとうって思う」
「なんだそれは」
「命の恩人だから」
「いいからさっさと帰れ」
ぶっきらぼうな言い草にプリムはムッとしながら言い放つ。
「教えてくれるまで帰らないから」
プリムはその場にどかりと座ったまま動かなかった。
青年はしばらく何も言わなかったが、プリムが一向に帰る気配を見せないため観念したように答えた。
「テラ」
「え?」
「私の名はテラだ、プリム」
プリムの顔に花が咲く。
「テラね!テラ!ありがとうテラ!また会いに来るから!」
あたりを見渡しながら話すプリムだが、彼女に答える声はなかった。
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それからプリムは毎週お祈りの日の帰りに森の泉を訪れたが、あれからテラの声を聞くことはできなかった。
だが声が聞こえなくともテラがそこにいる気がして、プリムは一人で話し続けた。
五年もするとテラの声を忘れてしまいそうだったが、それでも彼女は毎週通い続けた。
いつかまた声が聞きたい、姿が見たい、何度もそう言いながら、プリムは取り留めない話を続けた。
そして13歳になった日、プリムは来月から魔法学校に通うことになったこと、その学校が王都にあるため半年に一回ほどしか会いに来られないことをテラに伝えた。
返事はなかったが、いつもの帰り道にきらりと光る透明な石が落ちていた。
プリムはそれがテラからの贈り物のように思えて嬉しかった。
その半年後、プリムはテラに久しぶりに会いに行った。
クラスで一番早く飛行魔法を使えるようになったこと、魔力探知を覚えたこと、だからテラがすぐ近くにいることを今はもうはっきりとわかることを伝えた。
返事はなかったが、近くにテラの魔力を感じとることができてプリムは満足だった。
その三年後、プリムは魔法学校を中退して村に帰ってきた。
短編なのであと2話くらいで終わる予定です!




