第29話:反撃の狼煙
静寂が戻ったリビングルームには、先ほどまでの激しい魔力衝突の名残として、冷たいオゾンと微かな星屑の微粒子が漂っていた。
床に崩れ落ちるようにして意識を失った粛清部隊の先遣たちは、宝生家の古い封印術式によって完全に魔力回路を縛り上げられている。彼らの無機質なマスクを一瞥した紫苑は、冷や汗に濡れた額を拭いながらも、その青い瞳に一切の迷いのない鋭い光を宿して振り返った。
「……まさか、本山直属の処刑部隊をあそこまで完璧に無力化するなんてね」
紫苑の声には、驚愕と、それを遥かに上回る深い戦慄が入り混じっていた。
「彼らは人間の感情を削ぎ落とし、ただ敵を抹殺するためだけに調教された生体兵器よ。それが一人の負傷者も出さずに制圧されたと知ったら、最高評議会の長老どもは恐怖で狂い出すわ。……そして、全軍を挙げてこの森を焼き尽くすための『本気の本隊』を送り込んでくる」
「私一人じゃ、到底無理だったよ……」
私は首元に巻かれたグレーのマフラーにそっと手を触れながら、隣に立つ結衣を見つめた。
結衣は少し青白い顔をしながらも、「うん、二人だから勝てたんだよ」と私の手を震えるほど強く握り返してくれた。その手のひらの温もりが、私たちが今、どれほど恐ろしい一線を越えてしまったのかという現実を教えてくれる。
私たちはもう、ただの学生ではない。
最高評議会に牙を剥き、国家の法体制そのものを暴力で打ち砕いた、正真正銘の「反逆者」だ。
「……だからこそ、ここでじっと待つ選択肢は消えたわ」
紫苑は手元の魔導通信端末を強く握りしめ、血の気のない唇を引き締めた。
「前遣部隊の魔導回路が沈黙した瞬間、本山の監視中枢には自動的に『全滅』のシグナルが飛んでいる。次に送られてくるのは、こんな小部隊じゃない。日本全土の結界網を揺るがすような、文字通りの『殲滅艦隊』よ。このセーフハウスに籠もった時点で、私たちの生存確率はゼロになる」
逃げ場など、どこにもない。
「じゃあ……ここを捨てて、どこへ逃げるの?」
私の問いに、紫苑はフッと、まるで悪魔にでも魅入られたかのような美しく狂気的な笑みを浮かべた。
「逃げる? 誰がそんなもどかしい真似をするって言ったかしら」
紫苑は机の上に、一枚の古びた、しかし極秘の魔導回路が刻まれた本山の詳細な構造図を広げた。
「あいつらが私たちの日常を踏みにじり、私たちを『テロリスト』と決めつけたのなら――こちらも、向こうの心臓部に直接カウンターを叩き込んであげるわ。防衛戦なんて終わりよ。私たちが仕掛けるのは、最高評議会に対する『全面的な先制攻撃』よ」
「――っ、本山に、乗り込むっていうの……!?」
「ええ。アポリアを崩壊させ、粛清部隊を叩き潰した今、本山の老害どもは『私たちを過小評価していた』という最大の失策にパニックを起こしているわ。彼らが恐怖に怯え、次の布陣を固めるまでのわずかな空白――指揮系統が最も致命的に乱れている今この瞬間こそが、唯一の勝機よ」
紫苑の指先が、地図の中央に描かれた最高評議会の心臓部――最高裁判事室と保守派の長老たちが居並ぶ中枢を激しく指し示した。
「我が宝生家が持つ裏の管理パスと、九重咲耶様が保守派の目を盗んで作り出した『本山の内部セキュリティの盲点』。それを使えば、敵が包囲網を完成させる前に、私たちが直接中枢に突入し、最高評議会の機能そのものを物理的に停止させることができるわ」
それはあまりにも危険な賭けだった。一歩間違えれば、宝生家は完全に没落し、紫苑の政治生命どころか命そのものがその場で処刑台の露と消える。
けれど、私は知っていた。
ここで怯えて隠れても、私と結衣の未来が奪われるだけだということを。
私はゆっくりと息を吸い込み、隣にいる結衣を見た。
結衣は私の視線を真っ直ぐに受け止めると、少しの迷いもなく、力強く頷いてくれた。その瞳には、恐怖の色など微塵もなく、私と共に運命を切り開くという絶対的な決意だけが輝いていた。
「……行こう、紫苑」
私がはっきりと告げると、紫苑は息を呑んだ後、深く、深く頷いた。
「ええ、決まりね。五家の古い秩序を私たちの手で終わらせるための――最高で最悪の反攻作戦を、今夜、実行するわ」
夜の闇がさらに深く沈み込む中、私たちはセーフハウスの扉を自らの手で開き放ち、嵐の中心へと足を踏み出した。
世界を揺るがす星の魔力と、それを優しく繋ぎ止める命の魔法。二人の共犯者が導く反撃の狼煙が、今、最高評議会の中枢へと向かって高く打ち上がろうとしていた。
第30話へ続く




