6
「あいつはここの庭師の弥七だよ。ハサミを持ってたから剪定でもするんだろ」
「少しだけ見に行ってもいいですか?」
「構わないよ。なんだい、あんた以外と好奇心が旺盛なんだね」
「どうなのでしょうか……あまり自分ではよく分かりませんが、初めて見るものばかりでとても楽しいです」
実際、佐伯の家に居たときよりも今の方が笑っている気がする。鈴はそんな言葉を飲み込んだ。
「そうかい?」
不思議そうに首を傾げた雅を抱いたまま弥七の後を追うと、弥七は見事なバラで出来たアーチの前で止まって何かをしだした。
「あの、すみません」
「ん? ああ、次の花嫁候補さまか。そんな方が俺に何の用事だ?」
喜兵衛とは違って弥七は少しつっけんどんな狐だ。
そんな事を考えながら鈴は弥七に少しの間作業を見ていていいか尋ねると、弥七は邪魔しないのなら、という条件で許可してくれた。
弥七の作業を邪魔しないように離れた場所から作業を見ながら雅の解説を聞く。
「あれは何とかって種類のまだ入ってきたばっかの奴なんだ」
「デュシェス・ドゥ・ブラバン」
「そう、それ。それでな、あっちは今までの奴と違うんだってさ。何だったか、今までのはオールドローズって奴だったらしいけど、最近はこっちのが主流だそうだ」
「モダンローズのラ・フランス」
「そうそう、そんな名前だった! それで――」
それからも雅は得意げにバラの話を聞かせてくれたが、ちゃんと聞いているとほぼ弥七が答えている。
「雅さんは何でもよく知っているんですね。それに弥七さんも流石庭師です。長い横文字の名前をよく覚えていますね、凄いです」
「まぁね。あたしは大抵の事は何でも知ってるよ」
自慢気に胸を張る雅を横目に弥七は少しだけ恥ずかしそうに視線を伏せて頭をかく。
「まぁ庭師だから……品種名が分からないと世話出来ないだろ」
「それはそうですが……ああ、メモを持ってくれば良かった」
今聞いた名前を既に忘れそうだ。それを弥七に伝えると、弥七は少しだけ笑ってまた教えてくれると約束してくれた。
帰り際、剪定の為に摘み取ったバラを弥七がくれた。よく見るときちんと棘まで取ってある。
「あ、ありがとうございます。いいんですか?」
「構わないさ。どうせ捨てるだけだからな」
「捨てるんですか!? まだこんなにも綺麗なのに!」
「バラはそれぐらいになったら全部摘むんだ。でないと花の数が減ってしまう」
「そうなんですか……それをしないとこんなにも綺麗なアーチは見ることが出来ないのですね……」
「だから余計に人気なんだろ。切り花でも結構長く持つから、今度から切ったらあんたにやるよ」
「ありがとうございます。とても……嬉しいです」
鈴は生まれて初めて父親以外から貰った花を胸に抱いて弥七に深々と頭を下げた。
そんな鈴を見て弥七はニコリともせずに頷いて作業に戻ってしまう。
「そろそろ戻ろう。あんた今日の夕飯作るんだろ?」
「そうでした。とんかつなのに揚げる時間をすっかり失念していました」
「だってさ、弥七。今日はうちで初めての洋食だよ」
雅が言うと、弥七は一瞬耳をパタパタと動かして作業を続ける。それを見て雅が笑った。
「見たか? 嬉しいみたいだぞ」
と。
それから二人で炊事場へ向かい、喜兵衛と三人で夕食の準備に取り掛かった。
「肉はこのくらいの分厚さでいいんですか?」
「はい。それぐらいが食べごたえがある思います」
言いながら鈴は喜兵衛が切った豚肉に衣をつけて油の中に投入する。
「なるほど。え!? その分厚さのまま揚げるのですか!? こっちのソースも! 一体どんな味になるのですか!?」
「あんたいちいち煩いね。黙って作りな」
「ですが姉さん、仕上がりが想像もつかないんですよ」
「あたしだってつかないけど、美味いんだろ?」
「はい。小さい頃は私も大好きでした。佐伯家でもとんかつは誰も残しませんでしたし、このソースは母が教えてくれたものなんです」
鈴自身はとんかつを食べた事はなかったが、多分カツレツのような感じだろう。鈴の作った物は大抵残す久子ですら、とんかつはいつも綺麗に完食していた。
「そりゃ期待出来るね。どれどれ」
「あ! 姉さん! 味見はせめて人になってからしてくださいよ!」
猫の手のままデミグラスソースに手を突っ込もうとした雅を喜兵衛が慌てて止める。こんな風に誰かと料理をした事なんてなくて、何だかとても楽しい。
「ちょっと何するんだい! あたしの手は綺麗だよ!」
「綺麗でも毛が入るでしょ! 千尋さまも食べるんですよ!?」
「少々分かりゃしないさ」
「雅、私はあなたの毛が入ったとんかつは食べたくはないですよ」
「げ、どうしていつもこんなタイミングで出てくるのさ!」
「千尋さま、もうじき出来上がりますので、もう少しだけお待ちいただけますか?」
炊事場の戸口に立って呆れたようにこちらを見下ろしている千尋に言うと、千尋は一瞬だけ鈴に視線を移して微笑んだ。
「ええ、もちろん。雅、仕事ですよ」
「えー、今日はもう休みでいいだろ?」
「そうはいきません。さあ、一緒に来てください」
「はいはい。鈴、あたしの分は肉が一番大きいやつな」
「分かりました」
なんだかんだ言いながらちゃっかり注文をつけていく雅に鈴は思わず喜兵衛と顔を見合わせて笑ってしまった。
二人が出ていくのを見送って鈴はとんかつを揚げながらふと気になった事を喜兵衛に尋ねてみた。
「ところで、雅さんのお仕事ってなんですか?」
そこに居るだけで癒やされる雅の仕事なんて、鈴には想像もつかない。首を傾げた鈴に喜兵衛が答えてくれる。
「姉さんは千尋さまの助手なんです。いつも色んな事を請け負ってますが、多分この時間から仕事ということは、占星術だと思いますよ」
「占星術?」
「はい。千尋さまは龍神なので各地から土地に関する相談事が多いんです。例えば水害が多い場所にダムを建設する予定があるけれど、いつが良いか、とかそういうのですね」
「そういう相談が各地から舞い込んでくるという事ですか?」
「はい。千尋さまが直接行ければそれに越した事は無いのでしょうが、あの人は何せ出不精なので。それにあの方は容姿で迫害されてしまうのです。髪はともかくあの目の色ですからね。あとはとにかく目立つんですよ」
「千尋さまは美しい方ですから。でも目の色で迫害されるのは……辛いですよね」
黒髪、黒目ではないという理由で迫害される対象だった鈴には、千尋の気持ちが痛いほどよく分かる。
「鈴さんもそうだったんですか? 自分たち狐族に似ていてとても良いと思いますが」
茶色い被毛を持つ喜兵衛からすれば、鈴の髪色は同胞と似ていて落ち着くらしい。
「そんな風に言われるのは初めてです。ありがとうございます」
弥七にバラを貰った時もそうだったが、神森家の人達は皆親切だ。そもそも人間ではないからなのか、どこからどう見ても異国の血が混じった鈴にも親切にしてくれる。人間の社会では上手く溶け込む事が出来なかったのに皮肉なものだ。
「礼を言われるような事は何も。自分はただ思った事を言っただけですから。それにしても美味しそうですね……洋食もなかなか奥が深いです」
感心したように鍋を覗き込む喜兵衛に、鈴はコクリと頷く。
「私は昨夜、喜兵衛さんのお料理を見て感動してしまいました。どうやって人参をお花の形に切り抜くのですか? クッキーのように型で抜くのでしょうか?」
「いいえ、包丁を使って一枚一枚切っていくんですよ。慣れればきっと鈴さんにも出来ると思います」
「包丁で? 凄い技術です。他にも色んな料理があって、見ているだけでワクワクしてしまいました」
物珍しすぎて食べる前に色んな角度から観察したほどだ。それを喜兵衛に伝えると、喜兵衛は照れくさそうに頭をかく。
「気になった料理があったら作り方を書きますよ。いつでも言ってください」
「あ……レシピ……すみません。私、字が……」
そう、鈴は字が読めない。文字の形は覚えているのだが、どの形がどの発音なのかが分からない。
恥ずかしくて思わず顔を伏せた鈴を見て、喜兵衛もまた申し訳なさそうに頭を下げる。
「配慮がなくてすみません……で、でも自分も人間の言語を理解するのに大分時間かかったんで! 元は狐だし、発音で最初に躓いて文字なんてもうどうしたらいいのか分からないぐらいだったんで!」
「そんなに気にしないでください。それに喜兵衛さんや弥七さんや雅さんは人ではないのに文字も言葉も完璧なので、それは本当に凄いことだと思います」
喜兵衛や弥七、それに雅だって人ではない。それなのに日本語はこんなにも堪能だ。それはもう昔夢見た動物と喋る事が出来たらいいのに、という夢が叶ったといってもいい。
鈴は単純にそう思って言ったのだが、何をどう誤解したのか喜兵衛は慌てて言い直した。
「そ、そういうつもりで言ったのでは! ああ、なんて言えばいいんだろう!? 一緒に! では一緒に作りましょう! 気になる料理があった時はいつでも声をかけてください」
「はい、ありがとうございます」
どうやら何か勘違いをした喜兵衛は、結局気になる料理を今度一緒に作ってくれるらしい。やっぱり、ここに居る人達は皆親切だ。
夕食時、配膳も鈴がした。ご飯ととんかつ、味噌汁と漬物が食卓を飾る。それを見て千尋は嬉しそうに目を細めた。
「素晴らしいですね。これがとんかつですか。良い香りです」
「冷めないうちにお召し上がりください」
何だか千尋に食事を振る舞うというのは神様に供物を捧げているようだと思いながら鈴が言うと、千尋は早速ナイフとフォークを使ってカツを切り分けだした。
そして一口齧るなり、今までの中で一番の笑顔を見せる。
「これは美味しいですね。サクサクしてるのに噛むと肉汁が溢れてこのソースも……昔は肉なんて焼くか煮込むだけの料理が多かったというのに、時代は刻一刻と進化していますね」
「お口にあったみたいで安心しました。これとよく似た料理を父が特に好きだったんです」
「お父様がですか?」
「はい。何かお祝い事があると、父は必ずポークカツレツを母に作ってもらっていました」
親子三人で暮らしていた時の事を思い出して鈴が思わず頬を緩めると、そんな鈴を見て千尋が柔らかく微笑んだ。
「素敵なご両親だったのですね」
「はい、とても」
母は仕事の都合で国に戻らなければならなかった父についていくため、勘当同然で家を飛び出したと聞いている。それは偏に母がそれだけ父を愛していたからだ。そして父もそんな母の事をずっと宝物でも扱うかのように接していた。




