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龍の箱庭  作者: 揚羽渓名
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「イタズラだなんて! ただ、本当に急に人が増えたんですよ。だからこれはもう神社は時代に合わないな、と。特に神に嫁入りをするなんて今では考えられないでしょう?」

「はい。神様に嫁入りと言うと、出家か神主さんに嫁いだりとかそういうのをイメージしますね」

「そうでしょう? まさか本当に龍神に嫁ぐだなんて誰も思いませんよ。だからね、神社を止めて今の神森家になったんです。それにこの方が面倒が無くて良いという事に気づいてしまいまして」

「鈴、こいつはね、とにかく煩わしいのが嫌いなんだよ。神社の頃は毎朝毎晩でっかい声で表で祝詞上げられて、食事だって言って粟とか稗とかの精進料理ばっか持ってこられてさ、そういう生活にうんざりしてただけなんだ。だから当時の宮司にあれこれして神社を解体させようとした訳だ」

「その頃はもう千尋さまは宮司さんともお話ししなかったのですか?」

「ええ。その頃の私は社殿の奥にずっと引きこもっていましたから。最後に宮司に会ったのはそれこそ鎌倉時代でしたよ」

「鎌倉時代!」

 

 いちいち千尋の言葉に驚く鈴が新鮮で、思わず千尋は微笑んでしまう。こんな話を誰かにするのは本当に初めての事だ。


「あの時は大変だったんだ。俺たちは千尋様の代わりに表に出て仕事してたんだが、宮司が日に日におかしくなっていって」

「そうそう。変な夢見ただとか、美しい女性が夜な夜な社の中を歩き回っているんだ、とかさ。犯人はこいつだっての!」


 ケラケラ笑いながら雅は千尋を指さしてくる。そんな雅に鈴もおかしそうに笑っている。何だかそんな鈴を見ると、不思議と安心した。



 車はやがて屋敷から随分と離れ、次第に街が近づいてきた。


「神社の頃も少し見てみたかったです」


 少しだけ残念だ。そう思って鈴が言うと、千尋は困ったように笑って言った。


「名残なら今もありますよ。今度案内しましょうか?」

「はい、是非」


 思いがけない千尋からの提案に鈴が頷くと、千尋は相変わらず美しい笑みを浮かべて頷く。


 それからしばらくしてようやく街に到着した。


「それじゃあ、また夕方頃ここに迎えに来ますんで」

「ええ、よろしくお願いします」


 雅と千尋と三人で車を下りて弥七を見送ると、早速雅がソワソワしだした。


「さて! それじゃあどこから行く? こっから一番近いのは文具屋だよ」

「それではそこから行きましょうか」


 そう言って千尋が歩き出すと、その後を一歩下がって雅と鈴がついていく。そんな二人に気づいたのか、千尋が振り返って苦笑いを浮かべた。


「いつになったらこの風習はなくなるんでしょうねぇ」

「仕方ないよ。そういう時代だ、我慢しな。大分緩和されたとは言え、まだまだ男女で出歩くのははしたないんだから」

「世知辛いですねぇ。案外昔の方が自由でしたよ」

「あんた達はまだ見た目が異人みたいだから多目に見てくれるんじゃないか?」

「雅、その言い方はどうかと」


 異人どころか、千尋は人ですら無い。龍神なのにそれでも人の世界のルールに則っているのだと思うと何だか凄いことだ。


 鈴は日本に来てからこんな風に街に出た事が無かったから分からなかったが、男女が共に出歩くのは雅の言うように良くない事らしく、恋人達は夜にこっそりと会ったりしているらしい。


 何ならその方がいかがわしい気もするが、だからこの間街に雅と喜兵衛と出かけた時もあんな風にじろじろ見られたのかと納得した。


「庶民は結構普通に出歩いてんだろうけど、深窓のお嬢様達はまだまだそんな事許されないんだろうね」


 猫の雅は人のルールはよく分からないとばかりに呆れたようにため息を落とす。


「私は深窓のお嬢様ではないのでこうやって千尋さまの後ろを歩いていても召使いぐらいにしか思われないと思いますが、もしも蘭ちゃんとか菫ちゃんならそういう目で見られていたかもしれませんね」


 辺りを見渡してみると、平民か貴族かはすぐに分かる。着るものもそうだが、仕草や歩き方がもう違うのだ。それは千尋もそうだった。車を下りてまだ数分もしないのに周りの視線を一心に集めている。


 思わず俯きがちになる鈴の背中を慰めるように雅が撫でてくれた。


「ちゃんと顔上げな。大丈夫、今のあんたも平民には見えやしないよ」

「そうでしょうか? 千尋さまに何かご迷惑がかからなければ良いのですが」


 ポツリと言った鈴に少し前を歩いていた千尋が突然振り返って鈴のすぐ隣を歩き出した。腕が触れてしまいそうな程の距離に思わず鈴は強ばるが、そんな鈴の心など知りもしない千尋はにこやかに言う。


「ではこうしていましょうか。これぐらいの距離であれば、婚約者を通り越して夫婦に見えるでしょう?」

「ふ、夫婦!?」

「千尋、あんまり鈴をからかうなよ。この子はあんたと違って初心なんだから」


 楽しそうに笑う千尋を見て雅が眉を釣り上げると、千尋は肩を竦めて鈴から少しだけ体を離したが、それでも先程よりは大分近い。


「それは失礼しました。でも、やはり隣を歩いてください。私は龍です。人の理など知りません」

「は、はい」


 確かに神である千尋に誰かが苦言を言ったとしても、そんな事で誰かに裁かれる訳もない。


 それから三人でまずは目当ての買い物を済ませる事にした。最初に行ったのは文具屋だ。それから本屋へ向かう。


「鈴なら洋書が置いてあるような所がいいんじゃないか?」

「そうですね。では雅、案内お願いします」


 そう言って三人でのんびりと街を歩く。何気なく空を見上げると、冬の空気は澄み渡っていた。


「いい天気ですね」

「はい」


 短い返事を返して千尋を見上げると、千尋は目を細めて空を見上げている。


「龍神さまは天候なども操れるのですか?」

「何故です?」

「最近はずっと曇り空だったのに、今日はこんなにも暖かくてお天気が良いので」

「流石の私も天候までは操る事は出来ませんよ。神通力を使えば雨を降らせる事ぐらいは可能ですが、もしかしたら私なんかよりもずっと偉い神が今日の天候を決めてくださったのかもしれませんね」

「千尋さまよりも偉い神様もいるのですか?」

「もちろんです。私達だって神に創られた生き物ですから」

「何だか不思議なお話ですね。ではその偉い神様も違う神様が創られたのですか?」

「きっとそうでしょう。そして突き詰めていけば神とは何か、という話になりますね。ですが、これはいくら考えても答えは出ません。各々が好きな神を信仰すれば良いのです」

「なるほど……では、私は千尋さまを信仰しようと思います。構いませんか?」

「ええ、もちろんです。ですがどうして私なんです? 身近にいるからですか?」

「それもありますが、人は死ぬと神様の元に還るのでしょう? でしたら、私は死んだら千尋さまの所へ行きたいと思ったので」

「……はは、そうですか? それは光栄ですね」


 鈴の答えに千尋は一瞬驚いたような顔をして軽く笑うと、そのままそっぽを向いてしまう。


「……」

 

 そんな千尋を不思議そうに見ていたのは鈴だけではない。雅も何故かそんな千尋を凝視していた。


 しばらく歩き回って本屋に辿り着くと、まずは洋書のコーナーに向かう。


「さっぱり読めませんねぇ」

「全くだ。でも鈴は何だか生き生きしてるよ」

「これ、私がよく父に読んでもらっていたお話が載っています!」

「どんなお話ですか?」

「三匹の豚のお話なんです。懐かしい……」


 背表紙をそっと撫でると、何だかあの頃の記憶がありありと蘇ってくる。


「ではそれは私からプレゼントさせてください、鈴さん」


 鈴がいつまでも本を離さないからか千尋がそんな提案をしてくれたけれど、すぐさま鈴はそれを断った。


「いえ! 大丈夫です。これは子供向けですし、私は今日は恋愛小説を見に来たのですから。すみません、何だか懐かしくてつい感傷に浸ってしまいました」

「感傷に浸るのは悪いことではありませんよ。たまにはご両親を思い出してあげてください。雅」

「はいよ。ほら鈴、それ貸しな。他には無いのかい?」

「え? えっと、その……本当に……いいんですか?」

「当たり前じゃないか! 言ったろ? 千尋はこう見えても侯爵なんだよ。鉛筆は何が何でも自分で買うって言うから目を瞑ったけど、ここは千尋を立てると思って甘えな」

「わ、分かりました。千尋さま、ありがとうございます。大切にします」

「ええ。そうしてくれるのが一番嬉しいです」


 そう言って千尋はにっこりと微笑んだ。

 

 本当に千尋は優しい。鈴はこんなにも優しい男の人を知らない。父も優しかったが、母と居る時と鈴と居る時では全然違った。だから何だか優しい男性というのが鈴には不思議だった。


 それからも本屋であれこれと選び、結局鈴は3冊も千尋に本を買ってもらった。


「千尋さま、本当にありがとうございます」

「いいえ、どういたしまして。面白いと良いですね」

「はい」

「本なんて何が楽しいんだろうねぇ。あたしには全然分からないよ」


 胸に大事に本を抱える鈴を見て雅が言うので、鈴は少しだけ前のめりになって言い返す。


「本は自分では体験出来ない事が書いてあって面白いんです。普通は人生は一度きりですが、主人公になったつもりで本を読めば、それだけ沢山の人生が送れたみたいな気がして得した気持ちになるんです」

「へ、へぇ。あんたが今までどれだけ本を我慢してきたかって事はよく分かったよ。で、文字を覚えたからにはこれから沢山読むんだろ?」

「読めればいいな、と思っています」


 小さく笑った鈴を見て千尋と雅が顔を見合わせているのを見てしまい、鈴はそれを見なかった振りをした。もしかしたらもうすぐ神森家を出なければいけないかもしれないのだ。あまり期待しすぎてはいけない。むしろ、もう十分すぎる程良くしてもらった。


 鈴は本を抱え直すと、背筋を伸ばして顔を上げた。せめて千尋に恥をかかせないように、と。

 

 

「ここだよ! 仲間内から聞いたから間違いないはずだ!」


 そう言って雅が一軒のフルーツパーラーの前で足を止めた。その顔は早く入りたくて仕方がないようで、見るからにウズウズしている。


「雅さん、千尋さまが来てからですよ」

「分かってるよ。しかしあいつ、こんな所でも協調性が全くないんだから!」 


 今、店の前には雅と鈴しか居ない。理由は簡単だ。ここに来る途中、千尋は何かを見つけたようで先に二人で店に向かってくれと言われたのだ。


「千尋さまも久しぶりの街を楽しんでらっしゃるんですよ、きっと」

「そうかねぇ? ったく、今日はあんたの為に来たってのに!」


 鈴の為にそんな風に言ってくれるのが嬉しくて思わず笑ってしまった鈴の耳に、ここには絶対に居ないはずの人の声が飛び込んできて思わず鈴は体を強張らせた。


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