96. 理の歯車
イーグルのライフルから放たれた極大の光束と、ヴァレスの魔炎が螺旋を描き、『刻の番人』の本体である漆黒の時計塔を貫いた。
轟音と共に、次元の壁がガラスのように粉砕される。
「今だ、トリトス!」
アリエルの怒号が地下通路に響く。
トリトスは「異界のコア」を握りしめたまま、現世の琥珀色に輝くコアへとその手を叩きつけた。
「二つの世界の刻を、あるべき場所へ!」
瞬間、世界から音が消えた。
激しい火花も、番人の咆哮も、イーグルの銃声さえもが、高密度の魔力の中に閉じ込められ、静止した。
白銀の光が通路を埋め尽くし、トリトスの視界には、二つの世界の「理」が複雑に絡み合う巨大な歯車が見えた。
トリトスはその歯車の一点、赤黒く染まった「歪み」を、指先で静かに弾く。
弾かれた歪みは、音を立てて崩壊し、次元の狭間へと吸い込まれていった。
……気がつくと、そこはただの暗く湿った地下通路だった。
異界の植物も、不気味な番人の姿もない。
あるのは、壁に刻まれた古い地殻変動の跡と、硝煙の匂いだけだ。
トリトスの手の内には、光を失い、ただのくすんだ石ころのようになった「コア」が二つ転がっている。
「……終わったのか?」
イーグルが膝をつき、肩で息をしながら尋ねた。コートはボロボロになり、ライフルからは煙が上がっている。
「ああ。時の神の残滓は次元の彼方へ消えた。……少なくとも、我々が生きている間は戻ってこないだろう」
トリトスがそう告げると、隣に立っていたヴァレスがその場に崩れ落ちそうになった。トリトスが咄嗟にその肩を支える。
「……見事な戦いでした、皆様」
ヴァレスが、イーグル、アリエル、ローズへ向けて初めて敬意を込めた眼差しを送る。
「私の世界の危機を、この世界の力で救うことになるとは……。郷に入っては郷に従え、とは、こういう事なのですね」
イーグルはふんと鼻を鳴らし、残っていたタバコを口に咥えた。
「礼ならトリトスに言え。俺はただ、ツケを払うために動いただけだ」
ローズがタブレットを閉じ、不敵な笑みを浮かべて歩み寄る。
「今回の作戦費、それから私のデバイスの修理費。アリエルへの清算に上乗せしておいたから」
イーグルは顔を引きつらせ、天を仰いだ。
「……全く、金が欲しい時に金が寄ってこねぇなぁ……。」
数時間後、BAR【プラチナ】。
店内には穏やかなJAZZが流れ、アリエルが静かにグラスを磨いている。
カウンターには、約束通り最高級のバーボン『ヴィンテージ・プラチナ』のボトルが置かれていた。
「いい飲みっぷりだな、イーグル」
トリトスが、ヴァレスと共にカウンターの端で、小さなグラスに注がれた琥珀色の液体を嗜んでいる。
「これだけの死線を越えたんだ。安酒じゃ酔えねぇよ」
イーグルは満足げにグラスを傾け、隣に座るヴァレスに視線を向けた。
「お嬢さん、そっちの世界に戻るんだろ? 向こうにバーボンはあるのか?」
「……ありませんわ。ですが、この味は魂に刻みました」
ヴァレスは少しだけ赤くなった顔で微笑み、トリトスの方を向いた。
「トリトス様。私は一足先に戻り、書庫の修復と父への報告を済ませておきます。……また、いつか」
「ああ、またな。……次はツケではなく、正式な客として来るといい」
ヴァレスが指先で虚空をなぞると、小さな、しかし安定した次元の扉が開く。
彼女は最後に一度だけイーグルを見て、優雅に一礼し、光の中に入ろうとした。
その刹那、次元の扉が歪みBARを飲み込んだ。




