92.【異界・探索編】
ゲートを抜けた先の異界はブラックボックスの街とは違い、空は凝固した血のような赤紫色で常に覆われ空気は淀んでいる。
太陽は緑なのか青なのか、色すらも認識出来ない。トリトスとヴァレスが向かう先は、ヴァロキアス領の一角にある古い塔。
天を貫く一本の黒い槍のごとき建物「ブラックタワー」
ブラックタワーの麓に辿り着くと、そこには武装した魔族の兵士たちが整列し、膝をついて二人を迎えた。
「ヴァレス様、お帰りなさいませ! それに……トリトス様も!」
兵士たちの声には、恐怖と尊敬が混じり合っている。かつてこの世界でトリトスが振るった力の片鱗を、彼らは本能で理解しているのだ。
「状況は?」
ヴァレスが短く問うと、隊長らしき大男が顔を上げた。
「はっ。遺跡からコアを運び出して以来、タワーの地下層から奇妙な振動が続いております。まるで、何かが目覚めようとしているかのような……」
トリトスは無言でタワーの黒い外壁に手を触れた。
冷たい。だが、壁の奥からは心臓の鼓動のような、不快なリズムが伝わってくる。
「……やはりな。ヴァレス、コアはこの塔を『鍵』として認識している。
もしかしたら、ヴァロキアス領の遺跡の地下と繋がっているのかも知れぬ。」
トリトスの言葉に、ヴァレスの表情が険しくなる。
「では、このタワー自体が巨大な通路だというのですか?」
「憶測だがな。ヴァレス、お前の父、ヴァロキアス公爵に伝えろ。これより地下の最深部を封鎖する。許可なく近づく者は、たとえ魔族の将であろうとも魂ごと焼き尽くすと。……これは警告ではない。決定事項だ」
トリトスの瞳が、一瞬だけ鋭い金色に燃えた。その覇気に、周囲の兵士たちは息を呑み、さらに深く頭を垂れる。
二人はタワーの内部へと入り、重厚な石造りの昇降機で地下へと降りていった。
降りるにつれ、空気はさらに濃くなり、湿った魔力の臭いが鼻を突く。
たどり着いた最深部の広間には、異界の文字が刻まれた巨大な魔法陣が床一面に広がっていた。
トリトスは懐から琥珀色の結晶を取り出し、魔法陣へと近づけた。
すると、コアの中の「針のない歯車」が激しく火花を散らし、逆回転の速度を上げた。
「……見ろ。呼応している」
トリトスが指し示した先、広間の壁面が波紋のように波打ち、そこには遺跡までの通路が映し出された。
「なるほど……、時空が歪んで隠されていたか。
ヴァレスよ、この通路を使ってヴァロキアス領に向かう。お前の領地内にある歴史書を閲覧させてもらえるか?」
「もちろんでございます。我が一族が代々守り続けてきた『禁忌の書庫』へご案内しましょう。……そこにはトリトス様が望む知識があると思われます。」
二人が波打つ壁面へと踏み込むと、景色が一変した。
タワーの冷たい空気は消え、湿った空気と石造りの風景に代わり辺りは薄暗くなった。
「ヴァレス、灯りを。」
トリトスの短い命に、ヴァレスが指を鳴らす。
指先から放たれた淡い紫色の魔火が、等間隔に配置された燭台へと飛び火し、広大な地下空間を浮かび上がらせた。
遺跡を上に進むと次第に先が明るくなった。
二人は光の先に進むと、ヴァロキアス領の領地内の森に出た。
そこは、常に薄暗い青い霧が立ち込める「星の雨の森」だった。頭上では巨大なシダ植物のような樹木が重なり合い、異界の歪な空を覆い隠している。
「……ここですね。遺跡の出口が我が領地の中心部に直結していたとは。時空の歪みは、我々の想像以上に深刻なようです」
ヴァレスが周囲を警戒するように見渡すと、森の奥から無数の「光る眼」が現れた。ヴァロキアス一族に仕える魔獣たちが、侵入者を察知したのだ。しかし、ヴァレスが鋭い魔力を一放ちすると、魔獣たちは主の帰還を悟り、一斉に闇の中へとひれ伏した。
「トリトス様、書庫はこの先の断崖を穿って造られた古城の中にございます。……お急ぎください。森の精霊たちのざわめきが、かつてないほど激しくなっています」
トリトスは無言で頷き、足元の草花に目をやった。
そこでは、枯れ果てたはずの毒草が、逆回転する歯車に呼応するように、時間を巻き戻して蕾へと戻っていた。
「……時間の逆流、コアの影響か。この森の時間が完全に消失する前に、答えを見つけねばならん」
二人が森を抜け、霧の向こうにそびえ立つ古城へと辿り着いた時、城の最上階にある錆びた時計塔の鐘が、音を響かせた。
その重苦しい音の波に押されるようにして、二人は禁忌の書庫の入り口へと足を踏み入れた。




