83.ローズの休日:静かな観察と街の脈動
イーグルが歓楽街へ、トリトスが魔力回復のため奥へと去った後、ローズはアリエルにコーヒーを勧められるも、「今日は皆自由だから」と静かにBARを後にした。
彼女はいつも通りの黒いレザージャケットを羽織り、カウベルを一度だけ鳴らして夜明け前の街、ブラックボックスへと踏み出した。
ローズにとっての「休日」は、「誰の依頼もない時間」、すなわち観察と情報の収集を意味する。
彼女はBARから離れると、裏通りの人通りが少ない場所に立ち、静かにタバコに火をつけた。
彼女は、ブラックボックスが持つ「欲望と金」の脈動を肌で感じていた。
イーグルが稼いだ1000万クレジットは、この街の裏社会にとって無視できない巨大なエネルギーだ。それは必ず、新たな摩擦と混乱を生む。
彼女の仕事は、その摩擦がBAR【プラチナ】を直撃する前に、その軌道を予測することだった。
ローズは、グレイパレスから飛来した「星渡の古書」の任務の波紋を分析していた。
「魔族の存在が公になった。しかも、知識と権威の街、グレイパレスで。組織の連中は、トリトスを『捨て駒』として利用した…」
彼女は吐き出した紫煙を指で払い、その冷徹な事実を頭の中で反芻した。
組織がトリトスをどう扱ったかは重要ではない。重要なのは、BAR【プラチナ】が魔術師勢力と高位魔族という、この世界の最も危険な二つの勢力の中間に立たされたという事実だ。
ローズはそのまま、ブラックボックスの中心街へと足を向けた。
彼女は特定の目的地を持たず、ただ街を歩き、視線と言葉、そして仕草を観察する。
通りを歩く人々、怪しい取引をしているチンピラ、そして、街の監視システムを統括する「ギガ・タワー」の微かな高周波ノイズ。
全てが彼女にとっての情報源だ。
彼女は、トリトスが激しく魔力を解放したことで、グレイパレスの魔術師たちが既にブラックボックスへの追跡を開始している可能性を計算した。
彼女の「休日」の散歩は、実質的にはBAR【プラチナ】周辺の不穏な兆候を探るための事前警戒だった。
一軒のさびれたカフェの前で立ち止まったローズは、遠くの廃ビルに隠された微弱な通信の痕跡を捉えた。
それは、グレイパレスの暗号化方式に似た、非常に高度な電子信号だった。
「やはり、動きが速いわね...」
ローズは静かに微笑んだ。彼女はカフェの自動販売機で缶コーヒーを購入すると、それを飲みながら、その通信の発信源を監視し続けた。
彼女の休日は、静かなる戦術会議だった。
イーグルとトリトスが暴力で状況を破壊するならば、彼女は情報でその結果を制御する。
ローズにとっての平和とは、常に敵の一歩先を行くことなのだ。
缶コーヒーを飲み干すと、ローズは通信の発信源に向けて指を立て、静かに笑った。
「面白いことになりそうよ、アリエル。
あなたたちのバーボン代を狙って、少し派手な客が来るわ。」
彼女はそのまま、通信の発信源とは逆の方向、人混みの中へと溶け込み、グレイパレスから来るであろう新たな火種が燃え広がるのを、静かに待つことにした。




