72.生体鍵(バイオ・キー)
「急げ、イーグル!」
トリトスの声に、イーグルは即座に反応した。
彼は意識を失ったローブの魔術師を、清掃ワゴンの陰から引っ張り出した。
ローブの人物は細身で、重さはほとんどなかった。
「チッ、魔法使いのくせに体が重いな。」
イーグルは魔術師の体を抱え上げ、「禁断の書庫」の鉄扉の前まで引きずっていった。
トリトスは傍で警戒し、周囲の魔力の流れが乱れていないか監視を続けている。
青く点滅する星辰の紋様が、認証のタイムリミットが近いことを示していた。
イーグルは、ローブの魔術師の右手を掴み、認証パネルの黒曜石に強く押し付けた。
ジジジッ……ボワァン!
魔術師の意識のない体から、かすかに魔力が再び流れ込んだ。
システムは「生体鍵」を再認識し、青の点滅が止まり、深い青色の定常光へと変わった。
カチリ、ギュイイイ……。
重厚な機械音が響き渡り、鉄扉を閉ざしていた複数のロック機構が、一斉に解除されていく。
「開いたぞ!」イーグルが低く唸った。
扉が軋みを上げながらゆっくりと内側へ開き、その奥から強烈な魔力の波と、乾いた古いインクの匂いが流れ込んできた。
トリトスは人間の姿のまま、思わず半歩後ずさった。
彼の紫色の瞳が、魔力の奔流に反応して鋭く光る。
「これは……!我々が今まで相手にしてきた悪魔の魔力とは、根本的に周波数が違う。古い、そして純粋すぎる力だ。」
「文句は後だ、トウキ。報酬は中にある。」
イーグルは倒れているローブの魔術師の体を通路の脇に寄せると、ライフルを構えるためにコートのジッパーを大きく下ろした。
しかし、トリトスは静かに彼の肩に手を置いた。
「待て、イーグル。貴様の銃はここでは役に立たぬ。」
トリトスはそう言うと、先に開いた扉の奥へと足を踏み入れた。
そこは、図書館の書庫というよりも、小さな天文台のようだった。
部屋の中央には、黒曜石の台座があり、その上に一冊の古びた本が置かれている。
本は羊皮紙のような素材でできており、表紙には金糸で無数の星座が刺繍されていた。
本自体から、先ほど扉から漏れ出た強烈な魔力が発せられていた。
これこそが、『星渡の古書』だった。
部屋の壁は、全てが天文図で埋め尽くされており、床には古代文字で書かれた複雑な円形が描かれていた。
そして、その部屋の隅にはもう一人、ローブを纏った人物が立っていた。
「まさか、侵入者がいるとはな。魔術を齧った人間と護衛の人間か。」
ローブの人物は、警戒する様子もなく、静かにトリトスたちを迎え入れた。
その声は低く、性別を判別することはできなかった。彼は壁の天文図に手をかざし、部屋の防御システムを起動させた。
「貴様らの目的は、その本だろう。
だが、知識とは、それを扱う資格のある者にのみ与えられる。」
部屋の床に描かれた円形が、一斉に深紅の光を放ち始めた。
「チッ、やっぱりこうなるか!」
イーグルがライフルを構えようとした瞬間、トリトスが前に出た。
「イーグル、貴様は手を出すな。これは、貴様の得意な鉛玉が通用する領域ではない。
ここは、我の魔術の出番だ。」
トリトスの背筋が伸び、彼の身体から強烈な紫色の魔力が噴き出した。
人間の肉体の皮膚が僅かに破れ、紫色の紋様が浮かび上がる。
彼は、魔力的な領域に足を踏み入れたことで、一瞬にして本来の力を解放し始めた。




