59.聖ホワイトクリスタル教会の裏
BAR『プラチナ』を出たトリトスは、透明になった身体で夜の街を滑るように進んでいた。
彼の目的地は、シスターダリアの記憶から得た情報、聖ホワイトクリスタル教会の近くにあるジーク神父の住居だ。
トリトスは路地裏に身を潜め、聖ホワイトクリスタル教会を見上げた。
街の中心にありながら、その石造りの威容は夜の闇に沈み、一種異様な静けさをまとっている。
「ふむ……、思ったより見張りがいるな。」
教会の裏口近くには、スーツ姿の男が二人、警戒するように立っていた。
先程BARに来た追手と同類だろう。
トリトスは気配を完璧に消し、彼らの背後を通過した。
ジーク神父の住居は教会の敷地内にあった。
トリトスは窓のわずかな隙間から室内に潜入する。
室内は質素ながら整然としている。
本棚には聖典が並び、机の上には説教の原稿らしきもの。
一見、敬虔な神父の部屋だ。
しかし、空気には微かな異臭が混ざっていた。それは、この世のものではない、硫黄と甘い腐敗臭が入り混じったような、トリトスにとって慣れ親しんだ臭い。
「なるほど、ダリアが異変に気づくわけだ。」
トリトスは部屋の中心にあるベッドに視線を移す。白いシーツに横たわるジーク神父は、安らかに眠っているように見えたが、その顔色は土気色で、ひどく疲弊している。
トリトスは透明な手を伸ばし、神父の額に触れる。
「……いるな。高位の気配。皮を被るのが上手い。」
トリトスは慎重に、魔力を込めた呪文を神父の身体に流し込む。
これは、隠された正体を一時的に強制解放させるための魔族の呪文だった。
呪文をかけられた瞬間、ベッドの上のジーク神父が激しく痙攣した。
「グアアアアア!」
苦悶の叫びとともに、神父の顔面の皮膚が水風船のように膨張し、変質を始めた。
土気色だった皮膚は黒曜石のような深い漆黒に変わり、額からは巨大なねじれた角が突き出す。
華奢だった身体は瞬く間に膨れ上がり、ベッドを破壊。
口は裂け、鋭い牙が覗き、元々あった神父の顔は剥がれた皮膚の残骸として床に落ちる。
そこに立っていたのは、神父の皮を脱ぎ捨てた高位悪魔だった。
「……。なるほど、シェイプシフターだったか。だが、なぜ?」
トリトスは悪魔の姿を見ても動じない。
これは、トリトス自身も魔族であるため、同族に対する驚きよりも「面倒な案件」に対するため息の方が大きかった。
漆黒の悪魔は、ゆっくりと緑色の瞳を開き、トリトスの存在に気づく。
悪魔の視線は、透明なトリトスではなく、空中に漂うわずかな魔力の歪みを捉えていた。
漆黒の悪魔は、ゆっくりと緑色の瞳を開き、空中の魔力の歪みを睨みつけた。
「随分と無遠慮な侵入者だ。
そして、その魔力…懐かしい腐臭がするな、トリトスよ。」
悪魔は唸るような低い声で、透明なはずのトリトスの名を呼んだ。
トリトスは身体の透明化を解除し、紫色の肌に二本の角を持つ本来の姿を晒した。
剥がれたジーク神父の皮膚の残骸を避けるように、一歩下がる。
「皮を脱いだばかりで、よく気がついたものだ。お前のような高位のシェイプシフターが、なぜこんな異界の地の神父の皮を被っている?
悪趣味にも程がある。」
トリトスは悪魔に向かい話した。
「悪趣味だと?ふん、最高の隠れ蓑であり、最高の糧ではないか。」
悪魔は黒曜石のような手を広げ、部屋全体を見渡した。
「この聖ホワイトクリスタル教会、そしてその裏にいる有権者たち。彼らの信仰心、権力への渇望、罪悪感……これらは全て、最高の魔力源だ。
特に、神の恩寵と信じ込んでいる奴らの魂は、甘美で満腹感がある。」
悪魔は鋭い牙を見せ、嘲るように笑った。
「お前こそ、何をしていた?この美味しい獲物に気づかなかったとは。」
トリトスは冷静に状況を分析し、問いを続けた。
「その『糧』のために、ジーク神父本人はどうした?
その皮膚は完璧なシェイプシフティングの素材に見えるが、生きたまま利用しているのか?」
悪魔はベッドの残骸を一瞥した。
「ああ、あの哀れな神父か。彼はまだ生きている。私が活動するための一時的なバッテリーとしてな。彼の魂の純粋さ、そして教会での地位。
この二つが、私の魔力消費を抑える最高の安定剤だ。
彼が異変を起こし始めたからこそ、あのシスターが動き出し、面倒なことになったわけだが。」
「なるほど、あのシスターを追っていたスーツの男たちも、お前の手下か。」
「私の信奉者だ。教会と裏社会の金脈を繋ぐ、私の信仰の使徒たち。
彼らには邪魔なシスターを排除させようとしたが、どうやらお前の所に逃げ込んだようだな。」
トリトスは目を細めた。
「貧乏なシスターからの依頼でな。1万2000クレジットの依頼を賭けで引き受けてしまった。
まさか、その裏に高位悪魔の金脈が隠されているとはな。」
トリトスは懐からタバコを取り出し、火をつける代わりに紫色の魔力を込める。
タバコの先が赤く灯り、紫煙が立ち昇った。
「シェイプシフターよ。この話に乗るつもりはない。お前はジーク神父の身体を解放し、この教会から立ち去れ。そうすれば、お互いに面倒は避けられる。」
悪魔は全身を震わせて、嘲笑した。
「ハッハッハ!トリトス、お前は相変わらず義理堅いのか、それとも弱くなったのか?
この黄金の地位を手放すとでも?シスターの依頼など、私にとっては取るに足らないちっぽけな存在だ。」
悪魔は構えを取った。
「だが、お前が欲しがるなら、力ずくで奪い取ることもできるぞ。
お前がこの神聖な場所で、どこまで本気を出せるか……見せてもらおう。」
室内には、硫黄と腐敗の匂いが充満し、戦闘が始まる前の張り詰めた空気が漂った。




