53. 虹色の収穫と迫る影(アリエル)
アリエルは、自分の呼吸すら邪魔だと感じた。
超振動カッターの振動は微細だが、この鉱脈の静寂の中では、彼の心臓の鼓動と同じくらい大きく感じられた。
彼はスーツの内蔵ライトをさらに絞り、ムーンストーンの周囲の岩盤にカッターの刃を当てた。
カッターは石英や黄鉄鉱などの硬い鉱物を、まるで粉砂糖のように削り取っていく。
「一瞬たりとも、集中を欠くな。」
ムーンストーンは、わずかな衝撃で輝きが失われるという。
それは単に美術的価値が損なわれるだけでなく、依頼の失敗を意味した。
アリエルは、何時間も続くかのような数分間、完全に無の境地に入り、カッターを操り続けた。
彼の指先の感覚だけが、デリケートな宝石と周囲の岩盤との境界線をなぞる唯一のガイドだった。
静かに、そしてゆっくりと、カッターはムーンストーンの周囲を円を描くように掘り進める。
深部の岩盤から、宝石の接地面が徐々に剥がれていく。
そして、カチン、というごく小さな金属音と共に、ムーンストーンは完全に岩盤から切り離された。
アリエルは一瞬、息を止めて、その淡い虹色の輝きを暗視ゴーグル越しに見つめた。
光が失われることはなかった。成功だ。
彼は即座に腰に下げた零度シールドケースを取り出した。
ケース内部の特殊なサスペンションが展開し、アリエルは慎重にムーンストーンをそのゲル状の保護材の中心にそっと置いた。
ケースの蓋が閉まると、内部は完全に光と衝撃から遮断された。
ムーンストーンは、最も安定する低温環境の中で、静かに眠りについた。
その瞬間、アリエルのゴーグルに接続された盗聴機能が、わずかなノイズを拾った。
『…本部、旧鉱脈エリアに異常な湿度変化を感知。通常の地下水ではありえない。巡回隊、直ちに詳細を調査せよ。』
ティアマトは、単純な熱や音だけでなく、アリエルの潜入が引き起こした通気口からの空気の流れの変化や、潜水スーツが持ち込んだ湿度の微妙な変化を捉えたのだ。
「…チッ、抜かりがないな。」
アリエルは舌打ちした。巡回隊がこちらに向かっている。時間はほとんどない。
彼は来た道を辿り、通気口へと急いだ。
足音は消しているが、緊張の度合いが上がり、心臓が激しく脈打つ。
横穴から通気口の垂直なシャフトに取り付いた瞬間、通路の奥から、複数のライトの光が揺らめくのが見えた。
ティアマトの巡回隊だ。彼らがアリエルのいる地点に到達するまで、せいぜい30秒といったところだろう。
アリエルはクライミングギアの巻き上げ速度を最大にし、急いで上昇を開始した。
金属が擦れる僅かな音も、外の激しい雨音にかき消されることを信じるしかなかった。
上へ、上へ。
通気口の格子まであと数メートルというところで、下から怒鳴り声が響いた。
「誰かいる! 侵入者だ! 確保しろ!」
アリエルは最後の力を振り絞り、通気口の出口を突き破って外の雨と霧の中へ飛び出した。
彼は音もなく格子を元の位置に戻し、周囲の茂みの中に身を隠した。
下からは、金属格子の裏側から警備員がライトを当て、中の状況を確認しようとする音が聞こえる。
格子が外されていることに気づけば、追跡はすぐに始まるだろう。
アリエルはシールドケースを抱え、一瞬の躊躇もなく、雨に打たれる山肌を全速力で駆け下り始めた。虹色のムーンストーンは無事だ。あとは、この山から姿を消すだけだ。




