52. 鉱山を穿つ静かなる影(アリエル)
翌朝、予報通り東の山脈、エメラルドマウンテン一帯は冷たい雨に包まれていた。
深い霧が山肌を覆い、視界は極度に悪い。
これはローズの言葉通り、監視を潜り抜けるには最適な天候だった。
アリエルは山麓の深い森の中に身を潜め、黒の静音型潜入スーツに身を包んでいた。
雨音と霧が、彼の存在を完全に山の中に溶け込ませている。
彼の眼前に広がるのは、採掘組織ティアマトが厳重に管理する採掘場跡だ。
メインの入り口には武装した警備員が数人立っているが、彼らの警戒は主に雨で泥濘んだ主要な通路に集中している。
アリエルは改良型多機能ゴーグルを装着し、周辺の情報をスキャンした。
ゴーグルは警備員の熱反応を捉え、ティアマトの無線周波数から交信内容を傍受する。
「巡回シフトは30分に一度。
雨で苛立っているのか、交代のタイミングが少し早まっているな。好都合だ。」
彼は地図に記していた、資材搬入に使われていた廃棄された通気口へと向かった。
それは山肌の目立たない窪みにあり、泥と茂みに隠されてほとんど視認できない。
通気口の格子は分厚い金属製で、数十年分の錆に覆われていた。
アリエルは超振動カッターを取り出し、格子と岩盤の接合部分に当てる。
微細な振動が始まり、岩を削る作業が始まった。
カッターの音は、耳を近づけても雨音にかき消されるほど静かだが、アリエルは集中力を極限まで高め、振動が周囲の岩盤に響かないよう慎重に操作した。数分後、格子は音もなく外れた。
通気口は垂直に下へと伸びており、中は冷たく湿っていた。
アリエルは、装備から取り出した小型のクライミングギアで、ほとんど音を立てずに深部へと降下していく。
数十メートル下ると、通気口は横穴となり、目的の旧鉱脈の通路へと繋がっていた。
通路は漆黒の闇に包まれており、湿った土と古い鉱物の匂いが充満していた。
アリエルはゴーグルの暗視モードを起動させ、慎重に足を進める。
「ここからは、ティアマトの警備員よりも、ムーンストーンのデリケートさとの戦いになる。」
彼は歩行速度を落とし、足音を完全に殺した。
少しでも大きな振動を与えれば、目標の宝石の輝きが失われる可能性がある。
しばらく進むと、鉱脈の最も深い場所、かつてムーンストーンが集中して発見されたとされる採掘跡に辿り着いた。
壁には、淡い光を放つ微細な鉱石がわずかに埋まっており、アリエルはそれが目指す『虹色のムーンストーン』の原石だと確信した。
彼はライトを最小限に絞り、鉱脈の壁をスキャンする。ゴーグルが反応した。
「あった。指定された旧鉱脈の深部、壁の亀裂の中。…他の原石とは比べ物にならない光を放っている。」
手のひらほどの大きさのムーンストーンが、周囲の岩盤に囲まれて埋まっている。
その淡い虹色の輝きは、微かな振動だけでも消え失せそうなほど儚げに見えた。
アリエルは静かに深呼吸し、超振動カッターを再び手に取った。
彼の集中力は、一点の曇りもなく、これから始まる最も精密な作業へと注がれた。
「成功か失敗か。全てはこの一振りに懸かっている。」
雨音だけが、鉱脈の外の喧騒を伝えていた。




