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30.渦巻く黒い花

穏やかな日常は、一つの電話で終わりを告げた。その夜、閉店準備をしていたアリエルの携帯に、非通知の着信があった。怪訝に思いながらも通話ボタンを押すと、聞き覚えのない、しかしどこか冷たい女性の声が聞こえてきた。

「アリエル、あなたを探していました」

声の主は、アリエルのCode Nameを知っていた。ただの偶然とは思えない。アリエルは警戒しながら、相手の言葉を待った。

「…誰だ?」

「私を雇う気はないかしら? 報酬は、あなたが望むものすべて。あなたの過去を、すべて消してあげましょう」

その言葉に、アリエルは一瞬息をのんだ。彼の過去とは、暗殺者としての記憶だ。それを知り、さらに消すことができると告げる女の正体が掴めない。

「……、アンタ何者だ」

「私は、あなたと同じ闇の住人。そして、今この街に蔓延する『黒い花』を摘み取る者です」

「黒い花……?」

アリエルが問い返すと、女は淡々と続けた。

「黒い花。それは、この街で最近流行している新型の違法ドラッグです。それを使う人間は、まるで花が咲くように、一時的に狂喜乱舞し、やがて命を落とす。ゼウス・ミルストンが去った後の、この街の新しい闇です」

女は一方的に話し続け、アリエルに考える隙を与えなかった。

「あなたに依頼したいのは、その『黒い花』の供給源を特定し、私に情報を流すこと。ミルストンとは違い、相手はより巧妙で、地下に潜伏しています。あなたのような特別な能力を持つ人間でなければ、たどり着けない」

アリエルは沈黙した。

せっかく手に入れた穏やかな日常を、再び闇に引きずり込まれることに抵抗があった。

「断る。俺はもう、そういう世界からは足を洗った」

そう告げると、女は静かに笑った。

「あら、残念。では、代わりにあなたの大切な人たちが、その『黒い花』の餌食になるかもしれませんね」

女は、ミアやイーグル、そしてローズのことを知っているようだった。アリエルの心臓がドクンと大きく鳴る。彼女は、ミルストンの一件でアリエルが知られることになった存在、つまり「アリエル」としての彼の弱点を、完璧に把握していた。

「……何をすればいい」

アリエルの声は、怒りと焦燥に震えていた。

「よく聞いて。明日、指定した場所で待っていてください。全てはそこから始まります」

電話はそこで切れた。アリエルは携帯を強く握りしめた。新しい闇が、すぐそこまで迫ってきている。そしてその闇は、今までのどんな敵よりも、巧妙で悪質だ。

アリエルは、カウンターの奥に隠しておいた、かつて愛用していたナイフにそっと触れた。

穏やかな日常は、音を立てて崩れ去った。彼の心には、再び、静かな怒りと、かつての鋭さが戻ってきていた。

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