247. 【毒霧の村と多足の酒豪】
レインボー・ガルドの西端。呪われた地『ポイズンミスト渓谷』の喉元に位置するその地には、もはや枯れ果てた風しか吹いていなかった。
情報収集のために立ち寄ったイーグルが目にしたのは、死を待つように沈黙する老いた住人たちと、ひび割れた石畳。
彼はバックパックのストラップを締め直し、懐から二枚の依頼書を取り出した。
1. 毒斑の狼の討伐(頭数未定) / 報酬:一頭につき銀貨10枚
2. 毒草の花採取 / 報酬:一束につき銀貨15枚
「……一束15万クレジット相当か。足取り軽く行ける場所なら割高だが、あの中じゃ命の安売りだな」
タバコの煙を吐き捨て、イーグルは村で唯一明かりの灯る酒場へと足を踏み入れた。
「いらっしゃい……。見ない顔だね」
酒場の親父が、動かない片目でイーグルを見つめてくる。
「……あぁ。安い酒と肉を頼む。なければ適当なつまみを見繕ってくれ。……ところで親父、ここはなんて名前の村だ?」
イーグルがぶっきらぼうに尋ねると、親父は力なく笑って答えた。
「ここはミスト村だよ。見ての通り、霧に食いつぶされるのを待つだけの場所さ」
すぐさま雑味の強いエールが差し出された。アリエルが淹れるものとは比べものにならないが、今のイーグルにはその喉越しがちょうどよかった。一気に半分を胃に流し込み、カウンターに背を預ける。
「親父……。このミスト村、随分と静かだな。死人の国に迷い込んだかと思ったぜ」
「そりゃそうさ。目と鼻の先に『ポイズンミスト渓谷』がある。毒霧の機嫌一つで、明日にはこの村ごと全滅してもおかしくないからね」
「なるほど。だから若ぇのはみんな、アストラル・ノア方面へ逃げ出したってわけか」
「あぁ。あっちに行きゃ魔物もいねぇし、金も落ちてる。あんな『箱庭』みたいな街に、何の未練があるのかねぇ……」
親父の皮肉を、イーグルは二杯目のエールで飲み込んだ。
「旦那、あんた冒険者だろ?」
親父はイーグルの重厚な荷物へ視線を向けた。
「そのバックパックを見る限り、魔法の使えない斥候か何かかい?」
「……さぁな。魔法使いに見えるか?」
「はは、アイテムボックスも使えない魔法使いなんざ、この辺じゃ珍しくもないがね。……ほら、茹で肉だ」
出されたのは、何の肉かも判別しづらい塩辛い茹で肉。それをナイフで削っていた時、酒場の扉が開き、イーグルの隣に「それ」が座った。
緑色の外殻を鈍く光らせ、無数の脚を蠢かせる異形――多足族だ。
「……アンタ、見ない顔だな」
複眼を蠢かせ、ムカデのような容姿をした男がイーグルを捉える。
「あぁ。遠くから来たもんでな。緑色のムカデが酒を嗜む姿は、俺の故郷じゃ拝めない光景だよ」
イーグルは動じない。むしろ、その異形の体格から推測される強靭な生命力に、プロとしての興味を覚えた。
「そうか? この辺じゃ普通だ。渓谷の近くに俺たちの集落もある。人族の作る酒は最高だからな、週に一度はこうして通ってるのさ」
「……アンタ、相当の酒豪だな。どれくらい行ける?」
「樽三つなら、一晩で空にするな」
イーグルの口角がわずかに上がった。
「おい親父。このムカデに店で一番いい酒を出してくれ。俺の奢りだ。……ついでに親父、アンタの分もだ」
「旦那! 蜂蜜エールの特級だ、銀貨1枚いただくよ!」
親父が威勢よく応じると、ムカデの男が触角を揺らして笑った。
「初対面で大盤振る舞いか。いいのかい、人族の旦那?」
「気にするな。酒は一人で飲むより、毒に詳しい奴と飲む方が美味いからな。……親父も飲め」
「旦那、そりゃあ粋だね! いただきますよ!」
イーグルが銀貨をカウンターで鋭い音を立てて置く。
「人族の、奇妙な太っ腹に」
「あぁ……乾杯だ」
三人の酒が進む頃、イーグルが本題を切り出した。
「アンタはポイズンミスト渓谷から来たんだろう? なんとか人族が入れるように出来ないか?」
ムカデの男は空いたグラスを眺めながら答える。
「あー……。俺達多足族は魔法が使えんから無理だが、グリーンライオン族の長なら、確かそんな魔法だか魔導具だか、手段があるって話だな」
「ほー……、グリーンライオン族ってのは何処にいるんだ?」
「そりゃ、渓谷の下……霧深き毒森の中だ」
イーグルは少し身を乗り出し、畳みかける。
「アンタ、その長をこのミスト村まで連れてこれないか?」
「そいつは条件次第だな~。……あぁ、俺にはサイラスって名前がある。あんたは?」
「俺はイーグルだ。……よしサイラス、取引だ。お前が飲んだことのない『極上の酒』をくれてやる。それならどうだ?」
サイラスは複眼を細め、ニヤリと笑った。
「いいだろう。取引成立だな、イーグル。だが、俺は酒にはうるさいぞ?」
「期待していい。とびきりのをな。……アリエルのとっておきを一本、『清算』させて持ってくる」
毒霧に閉ざされた地の夜が、情報の香りと共に、新たな契約を生み出した。




