229. 【出航の前日】
翌朝、アステリアを覆っていた不自然な冷気は嘘のように晴れ、窓からは澄んだ冬の陽光が差し込んでいた。
ラウンジのソファでは、トリトスが少し腫れた左頬を忌々しげにさすりながら、昨日回収したユリオンの「研究日誌」と古びた「占星術」の本を熱心に読み耽っている。その横で、ローズは宿の主人と手短に交渉を済ませ、金貨をカウンターに並べた。
「これで、ネリーとお母さんの今後の面倒を見て。市場街の治安の良い場所に家を借りる手配と、二人が落ち着くまで護衛を一人付けてちょうだい。あとの余った分は、あんたへのチップよ」
「へ、へえ! 畏まりました、お任せください!」
宿の主人は金貨の輝きに目を丸くし、揉み手で承諾した。ローズは振り返り、準備を整えた仲間たちにテキパキと指示を飛ばす。
「ヴァレス、マール、ジェシカ。ネリーを連れて市場街へ行ってきて。向こうでの日用品の買い出しと、何より港で『定期船』が出るか確認してきて。デッドロックへ向かう航路が動いているかどうかが最優先よ」
「承知いたしましたわ。ネリーさん、お買い物に参りましょう。わたくしが最高級の品を選んで差し上げますわ」
ヴァレスが優雅に頷き、期待に目を輝かせるネリーを連れて部屋を出ていく。マールとジェシカも、昨夜の騒動の気恥ずかしさを振り切るように、元気に後に続いた。
静かになったラウンジで、ローズはトリトスの隣に腰を下ろした。
「……何か分かった?」
「うむ。……この女、単に長生きしたかっただけではないな。デッドロックの先、極北の果てに現れる『星の配置』が、魔力の増幅に最適な場所だと確信していたようだ。そこに『紫の輝石』の共鳴が重なれば、不老不死どころか、世界の理そのものを書き換えられると信じておった、眉唾だがな……。」
トリトスがページをめくる。そこには、歪な魔法陣と共に、アステリアを封鎖していた術式の構造が記されていた。
数時間後、買い出し組が息を切らせて戻ってきた。
「ローズ様! 定期船、明日の朝に出るそうです! 氷を砕く特殊な大型船が、デッドロックへ向けて出航すると港で触れ回っていました!」
マールの報告に、ローズは小さく口角を上げた。
「……明日ね。いいわ、アステリアでの『依頼』はこれで完了。いよいよ本命の場所へ向かいましょうか」
ローズは窓の外、白く輝く極北の海を見つめる。
翌朝の出航。それは、BAR【プラチナ】の遠征組にとって、本当の闘いの始まりを意味していた。




