表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
219/265

217. 【令嬢の基準値】

ローズとトリトスが港へ向かって数分後。静まり返った丘のあばら屋に、場違いなほど優雅な靴音が響いた。

「あらあら、随分としけた場所ですわね。アリエル様の店に比べれば、ここは埃の掃き溜めも同然ですわ」

扉を開けて現れたのは、鮮やかな赤髪をなびかせたヴァレスだった。彼女は薄紫色のドレスの裾を汚れぬよう器用に持ち上げ、愛用のピンクの手下げ鞄を腕にかけ直す。

「ローズから連絡を受けて護衛をすることになりました。ヴァレスと申します。暫くよろしくお願いしますわ」

ヴァレスは公爵家の令嬢らしい完璧な所作で一礼した。あばら屋の寒々しい光景の中でも、彼女の立ち振る舞いは一筋の光が差し込んだかのように気高く、ネリーはその威圧感と美しさに圧倒され、ただ見上げることしかできない。

「それにしても、環境が悪いですわね。私が予約した宿に向かいましょう」

ヴァレスは迷うことなく決断した。隙間風が吹き込み、湿った臭いの漂うこのあばら屋では、目が見えず衰弱した母親を癒やすことはおろか、令嬢としての「最低限の清潔さ」すら保てないからだ。

ヴァレスは、薄紫色のドレスが汚れることなど微塵も気に留めない様子で、母親をその細い背に優しくおぶった。

「ネリー、マール、ジェシカ。あなたたちは周囲の警戒を。わたくしの歩調に合わせなさい。一歩も離れることは許しませんわよ」

「は、はい! ヴァレス様!」

マールとジェシカがネリーを挟むように守り、一行はあばら屋を後にした。夕闇のアステリアを抜け、たどり着いたのは、街の喧騒から隔絶された最高級の宿だった。

エントランスに足を踏み入れると、整った制服に身を包んだ屈強なボディガードが、眉をひそめて一行を遮った。

「お嬢様、失礼ながら……背負われてる方とお子様は、当店には相応しくないかと。他のお客様の手前もございますので、お引き取りを」

「あら? 貴方の基準値は壊れているようですわね。……これで直るかしら?」

ヴァレスは冷ややかな微笑を浮かべると、手下げ鞄から金貨を10枚ほど取り出し、無造作にボディガードの掌へ落とした。金貨同士が触れ合う硬質な音が、静かなロビーに響き渡る。

「……! 大変失礼いたしました。私の基準値は、ただいま完璧に治りました。お嬢様、背負われている方を、私が責任を持って最上階のお部屋までご案内させていただいてもよろしいでしょうか?」

ボディガードは瞬時に深く腰を折り、最敬礼で一行を迎え入れた。その見事なまでの豹変ぶりに、マールとジェシカは呆気に取られて顔を見合わせる。

「そこまで言うなら、仕方ないですわね。……これで、最高に美味しい料理とお酒をお願いしますわ。当然、相応の『護衛』込みで、ですわよ?」

ヴァレスはさらに40枚ほどの金貨をカウンターへ積み上げた。合計50枚。普通の市民が一生遊んで暮らせるほどの額が、たった一晩の「安全」のために支払われた。

「承知いたしました! 当宿の全戦力を以て、お客様方の安眠をお約束いたします!」

宿中のスタッフが、最上級の奉仕のために一斉に動き出した。ヴァレスは満足げに頷くと、自らの手で母親を絹のシーツが敷かれたベッドへと運ばせた。

「さて……。安全と清潔は金で買いましたわ。あとはローズたちが、あの不衛生な『ゴミ』を片付けてくるのを待つだけですわね」

ヴァレスは窓の外、潮風が運ぶ不穏な気配のする港の方角を眺め、優雅に髪をかき上げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ