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209. 【市場の陽光と小さな贈り物】

アストラル・ノアの市場は、昼下がりの活気に満ちていた。

色とりどりの果実、吊るされた燻製肉、そして焼きたてのパンの香りが混ざり合い、独特の熱気と喧騒を生み出している。

「えーっと、エール三樽はBARに輸送済みで、あとは保存の利く乾物……。それにアリエル様が言ってた今夜のつまみ……よし、これで全部ッス!」

アリスは食材が詰まった大きな麻袋を肩に担ぎ、人混みを軽快に縫うように進んでいた。スラムの娘らしい逞しさで重さを感じさせない足取りだったが、ふと、並ぶ露店の先に、人混みの中でも一際目立つ見慣れた「黒」が視界を横切った。

「あれ? ……イーグル様ッス!」

ギルドへ向かったはずのイーグルの背中を見つけ、アリスはぱっと表情を明るくして駆け寄った。

「イーグル様! 奇遇ッスね、ナンパの帰りッスか?」

「……アリスか。声がでけぇよ」

背後から声をかけられたイーグルは、心底驚いたように肩を跳ねさせた。振り返った彼の顔には、まだわずかに二日酔いの名残があったが、その瞳の奥にはエーシャとの会話を終えた後の、どこか物思いにふけるような鋭い光が宿っていた。

「ひどいッスね。ウチは店のためにこんなに重い麻袋を運んでるっていうのに!」

「はいはい、わかったよ。貸しな、持ってやる」

イーグルは苦笑いしながら、アリスの手からずっしりと重い麻袋をひょいと奪い取った。特注の黒いロングコートを翻し、軽々と荷物を肩に担ぎ直す姿は、二日酔いとはいえ様になっている。

「あ、ありがとッス! さすがイーグル様、頼りになるッスね!」

「おだてても何も出ねぇぞ。……まぁ、店に戻るまで少し時間がある。少し付き合え。酒の匂いを抜かねぇと、アリエルにまた何を言われるかわからねぇからな」

「それって……デートのお誘いッスか!?」

ニヤリと笑うアリスに、イーグルは一瞬視線を泳がせると「あ? あぁ……まぁ、そうだな」と黒いハットを深く被り直して歩き出した。

二人は並んで市場を歩く。普段は「掃除屋・なんでも屋」として血生臭い場所に身を置く二人にとって、この平和で騒がしい昼下がりは、どこか浮世離れした穏やかさがあった。

ふと、イーグルが小さな装飾品を並べた露店の前で足を止めた。

「……おい、アリス。ちょっとこっち来い」

「なんスか? 美味しそうな串焼きでもあるッスか?」

「食いもんじゃねぇよ。……ほら、これだ」

イーグルが指差したのは、銀細工で模られた小さな「青い花」のヘアピンだった。市場の安物ではあるが、午後の陽光を反射してキラキラと輝いている。

「わ……可愛いッス! でも、どうしたんスか急に」

「……あー、なんだ。いつも店の手伝いを頑張ってるだろ。アリエルからのボーナスだと思って受け取っとけ」

そう言うと、イーグルは店主に無造作に銀貨を投げ、ヘアピンを手に取った。そして、少し照れくさそうに、アリスの髪にそれを差し込んだ。

「……似合うんじゃねぇか。少しは『看板娘』らしくなったぜ」

「……。イーグル様、それ反則ッスよ。アリエル様からのボーナスだなんて言って、本当はイーグル様の自腹なのはバレバレッス」

アリスは少し顔を赤くしながら、髪に触れたヘアピンの感触を確かめるように指先でそっと触れた。

「……うるせぇ。さっさと帰るぞ。荷物が重いんだよ」

イーグルはぶっきらぼうに背を向けて歩き出したが、その耳たぶが少しだけ赤くなっているのを、アリスは見逃さなかった。

二人の影が、市場の喧騒の中に溶けていく。

コートのポケットに忍ばせた「ポイズンミスト渓谷周辺」への依頼書と、アリスの髪で揺れる青い花。

穏やかなデートの裏側で、確実に運命の歯車は「赤」へと回り始めていた。

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