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208. 【毒霧の渓谷と赤い予兆】

イーグルは、泥のように重い体を引きずりながら、冒険者ギルドの巨大な扉を押し開けた。

ホール内は、依頼を終えたベテランたちの自慢話と、手柄を夢見る新人たちの熱気で溢れかえっている。普段なら気にならないその喧騒も、今の彼にとっては脳髄を直接叩き割るハンマーに等しかった。

「……っち。全く、暫くはバーボン一択だな」

ズキズキと痛む頭を片手で押さえながら、イーグルは黒いハットの庇を深く直し、カウンターへと向かった。

そこでは、かつて任務で窮地を救ったエルフの受付嬢、エーシャが彼を迎えた。里帰りから戻ったばかりの彼女の肌は、森の精霊の加護を受けたように瑞々しい。

「いらっしゃいませ、イーグル様」

「あぁ……、里から戻ってきたのか」

イーグルは懐からタバコを抜き取ると、無造作に口に咥えた。

「その節は、本当にお世話になりました。……今日は、私に会いに来てくださったのですか?」

エーシャが少し頬を赤らめ、上目遣いに彼を見つめる。

「……。まぁ、そんな所だ。ついでに聞きたいんだが……。エーシャ、この世界の伝承にある『七色の輝石』について、何か知ってるか?」

「七色の輝石……。また、随分と古めかしい伝承に興味を持たれたのですね」

エーシャは少し意外そうに目を瞬かせると、周囲を気にするように声を潜めた。エルフ特有の長い耳が、緊張を孕んで微かに動く。

「……私の故郷の森でも、長老たちがその話をすることがありました。七つの輝石……。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。空に浮かぶ七つの月と同じ色の石。七つの月が一つに重なる刻、地に散らばった石が共鳴し、世界の門が開く……と。でも、それはあくまで古い叙事詩の中の話です」

エーシャは思い出したように、話を続けた。

「そう言えば『赤の輝石』は確か、レインボー・ガルドの西にある『ポイズンミスト渓谷』にあると言われていますね。……まぁ、あそこは完全な立ち入り禁止区域なんですけどね」

毒霧ポイズンミストか……。面倒な所にあるな……」

イーグルがようやくタバコに火を着け、ゆっくりと紫煙を吐き出す。

「まさか、行くんですか!? あそこに行くにはAランク以上の冒険者で、かつ特別な通行証が必要ですよ!?」

エーシャがカウンターから身を乗り出し、必死の面持ちで訴える。

「……通行証か。あいにく、俺が持ってるのは酒場のツケの領収書くらいだぜ」

「イーグル様、冗談ではありません! あそこはエルフの魔導師が最高位の防護結界を張っても、数分ともたないと言われている呪われた地です。物理的な強さだけでどうにかなる場所じゃありません!」

「俺だって命が惜しい……。行かねぇよ。」

イーグルはハットを軽く押し上げ、わざとらしく肩をすくめて見せた。

「それならその近くで、俺でも受けれる依頼でもないか? ……ほら、散歩ついでに小銭が稼げるようなやつだ」

エーシャはホッと胸をなでおろしたが、すぐに仕事用の真面目な顔に戻り、手元の分厚い依頼目録をめくり始めた。

「……そうですね。ポイズンミスト渓谷の『外縁部』であれば、いくつかあります。例えば……これなんてどうでしょう。渓谷から流れてくる魔力の残滓で凶暴化した『毒斑のポイズン・ウルフ』の討伐依頼です」

エーシャが差し出した依頼書には、渓谷の入り口付近での調査と掃討の内容が記されていた。

「これならCランク相当ですから、イーグル様なら問題ありません。ただ、いくら外縁部とはいえ空気は淀んでいますから、毒避けの魔道具は必須ですよ?」

「……狼の相手か。二日酔いの頭には少し響きそうだが、酒代の足しにはなるか」

イーグルは依頼書を無造作に受け取り、その隅に記された「報酬額」を眺める。その瞳の奥には、エーシャには見せない、偵察者としての冷静な光が宿っていた。

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