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132.【西への轍:鉄の掟と魔法の矜持】

アストラル・ノアの西門。未だ夜の湿り気が残る早朝、霧の中にエーシャは立っていた。

Aランク魔法使いとしての正装である、深い紺色の魔導ローブを纏い、手には魔力増幅を施した上質な杖。彼女自身の準備は完璧だった。

だが、霧の向こうから現れた「何でも屋」の姿を見て、彼女は思わず絶句した。

「……何ですか、その荷物の量は」

イーグルは、背骨が悲鳴を上げそうなほど膨れ上がった巨大なバックパックを背負っていた。その側面には折り畳まれたスコップや予備のナイフ、さらには見たこともない形状の鉄の筒がいくつも括り付けられている。

「……イーグル様、と言いましたか。失礼ですが、魔法使いの私に気を遣う必要はありません。私の【アイテムボックス(魔法空間)】をお貸ししましょうか? それだけの荷物を詰め込んでも、私の魔力なら移動に支障はありません」

エーシャの提案は、この世界の冒険者にとって至極当然の、そして最大級の親切だった。だが、イーグルは歩みを止めず、吐き出す煙と共に短く答えた。

「断る」

「……えっ?」

「そんな便利なもんに頼ったら、手放せなくなっちまう。手持ちのカードで、最悪の状況をどうにかするのが楽しいもんだぜ。人生も、戦闘もな」

イーグルのバックパックの中身は、魔法に依存しない「生存の塊」だった。

数日分の保存食、天候を選ばない野営道具、何百発もの予備弾丸。さらには、魔法による治癒が間に合わない事態を想定した、消毒液と包帯が詰まった救急箱。採集用の特殊工具に、予備の拳銃。

「魔法で全てを解決できると思っているうちは、杖を折られた瞬間に死ぬぞ。俺は、俺自身が運べる重さしか信じない」

エーシャは反論しようとして、言葉を飲み込んだ。Aランクとしての自負がある。だが、目の前の男から漂うのは、机上の魔法理論では決して説明できない、泥を舐め、血を流し続けてきた者だけが持つ「本物の死の匂い」だった。

深海の森へ続く街道の半ば。日はとうに落ち、二人は街道から少し外れた岩陰で夜を明かすことになった。

エーシャが杖を掲げ、高度な【魔力障壁】と【探知魔法】を編み上げようとした時、イーグルは既に別の作業を終えていた。

彼は周囲の地面に、目立たない細いワイヤーと小さな鈴を仕掛け、熱源を感知するセンサーを岩の隙間に設置していた。

「……不思議な方ですね」

エーシャは焚き火の爆ぜる音を背に、イーグルの手元を見つめる。

「あなたは魔法を使わない。それどころか、魔法そのものを遠ざけているように見える。その鉄の道具……『銃』でしたか? それが杖より頼りになると?」

「杖は魔力が尽きればただの棒切れだ」

イーグルはリボルバーのシリンダーを抜き出し、一発ずつ弾丸の装薬の状態を点検している。

「だが、こいつは違う。火薬と鉛、そして物理法則。こいつらは、いつ、いかなる時も裏切らない。俺の指が引き金を引く限り、確実に答えを出してくれる」

「でも、魔法なら一撃で複数の敵を焼き払えます」

「ああ、派手な花火だな。だが、俺が必要なのは『確実な一発』だ。お前が詠唱に三秒かける間に、俺なら三つの頭を撃ち抜ける。……エーシャ、お前はAランクだ。その力に誇りを持つのは勝手だが、この森は『誇り』だけで生き残れるほど甘くない」

イーグルは点検を終えると、バックパックから干し肉と乾いたパンを取り出し、エーシャに放り投げた。

「食え。魔法を編むのも腹が減るだろ。……明日の朝には『深海の森』に入る。そこからは、お前の魔法と、俺の合理性のどっちが正しいか……嫌でも答えが出るはずだ」

時計塔の鐘はもう聞こえない。

聴こえるのは、闇の奥でうごめく原生生物の鳴き声と、無機質にチクタクと時を刻むイーグルの懐中時計の音だけだった。


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