泡沫少女
小さい頃、海の砂浜で深海 水鈴と出会った。
その時は見惚れてしまう程に綺麗な女の子で、どこに住んでいるかも分からずこれで会うことはなくなると思っていたが、なんと同じ地域に住んでいて小学校でまた再会して、そこから水鈴とは友達になり、小中高全て一緒だった。
水鈴は優しくおしとやかだった。グレージュの髪を腰まで伸ばしている姿はまるで女神みたいに美しかった。他の人とは距離を取りつつ笑顔で対応していたり、社交性がすごく高かった。そんな水鈴は自分と二人きりになると年相応の笑顔で、子供みたいにわがままを言ったり、逆に甘えてきたりと可愛い一面があった。
小学校から高校二年生までずっと一緒にいて、水鈴とは友達、親友のような関係だと思っている。学校でも常に一緒で、登下校も、家でも電話、メールはしょっちゅうで、休みの日も水鈴以外と遊んだことがない。
水鈴は優しくて気遣いがある。よく体調不良は一番最初に見抜かれ、思っていること全部当てられる。
対して自分は黒髪をただのポニーテールにしただけの普通の髪型で、水鈴みたいに綺麗でもなく可愛いわけでもない。だけどそんな自分にも水鈴は優しくて、こんな女性みたいになりたいなってずっと思ってた。
今まではそれが普通で日常。――だけどそれも全部、水鈴が優しいからじゃなくて全部把握されているからだって、思いもしなかった。水鈴は一番信頼していて、何でも一番に頼るのは水鈴だった。
だけど最近気付いた。水鈴の愛情は普通ではないことに。
「るーか!ただいま、いい子にしてた?」
「……水鈴。……うん、いい子、してた」
自分――清宮 瑠花に向けられた愛情は歪で歪んでいて底が深く、瑠花自身理解できない領域まで達していることに。
・・・・・・
水鈴の歪んだ愛情に気付いたのは高校二年生のある暑い夏の日だった。瑠花の高校はプール授業がある学校だった。その日もプール授業があり放課後、瑠花は日直で日誌を書き職員室に提出しに行かなければいけなかった。
その日は水鈴自身も用があると言って、お互い用が済んだら校門で待ち合わせと約束していた。瑠花の方は意外に日誌の方はすぐ終わったのだが、職員室で担任と世間話に夢中になってしまい、大幅に時間が過ぎていることに気付き急いでカバンを取りに戻り、校門までダッシュで向かった。
道中、通りかかった空き教室から低いうめき声が聞こえた。瑠花はホラーなどが苦手でその瞬間は急いで通り抜けようとしたのだが、どうもうめき声だけではなく『ゲホッ』『ゴフッ』など誰かに暴力を受けているような声も聞こえたのだ。
瑠花は当然怖かったが状況を知らないと何が起こっているのか分からないと思い意を決して空き教室のドアを少しだけ開けた。その時瑠花の目に入ってきたのは――、
「気持ち悪い声出さないでくれる?」
「はぁ……っ、はぁ……っ、ご、ごめんなさ……ガハッ……!」
「今日のプールに加えて、お前の気持ち悪い声を聞かされてる――どれだけ私をイラつかせるのかな、君は」
――瑠花の目に入ってきたのは、床に横たわっている同じクラスの男子のお腹を容赦なく蹴り、髪を掴み暴力、暴言という行為を躊躇なく行っている水鈴だった。
「今日のプールで水着姿の瑠花をいやらしい目で見て……正直、瑠花がいなかったらとっくにプールの底に沈んでたよ、君」
「はっ……はっ……」
「そういうのは他のメス共だけにしてくれる? 瑠花にトラウマでも植えつけたらどうなるか、分かってるわよね?」
「ごめんなさい……! もう瑠花には」
「なんでアンタなんかが瑠花を名前で呼んでるわけ? ……確かサッカー部だったっけ。足、使い物にならないようにしてあげようか?」
水鈴の目つきが変わり男子の腹部を容赦なく蹴り、今度は足を踏む。ぐりぐりと力強く踏み、男子は苦痛の表情を浮かべていた。
「ぐぅ……ッ、すみません、もう清宮さんには金輪際近づきません、だから許してください……!」
「瑠花をアンタのその穢れた目で見るっていう重罪を犯しといて私に許しをもらおうなんて――立場をわきまえなさいよ? 私だってアンタみたいなオス、視界にも映したくないし話したくもない。だけどアンタは瑠花をいやらしい目で見た」
「あ……あ……」
男子を見下ろす水鈴は冷たく、苦痛の表情を浮かべている男子を見向きもせず、ただただ一定のトーンで話を続けていた。男子に行った暴力行為はまるで虫を退治するかのように、水鈴の表情は変わらず冷静だった。
気付けば瑠花はその場から逃げ出していた。色々思うことはあった。暴力も、暴言も、だめなことだって。どうしてただただ無表情でそんなことが出来るのかとか。だけど一番瑠花の心を支配したのは『恐怖』ただそれだけだった。
「……言っとくけど、ここでの事、先生、友達、家族、ましてや瑠花に言ったら……今度こそ、再起不能にしてやるから」
「はい……本当に、すみませんでした」
「あと、クラスの奴らに悟られないようにね。それで瑠花にばれたら……分かってるわよね?」
「はい、分かりました……」
「じゃあ私帰るわ。アンタのせいで瑠花を待たせちゃう」
そう言ってカバンを持ちドアに視線が向いたとき、僅かに空き教室のドアが数センチ開いていることに気付いた。
(少し開いてる……先生だったらとっくの昔に職員室に呼び出されてるし、生徒だったしても今頃職員室。……まあいいわ、学年のオスメス共には大体脅してるし、ばれてもまた『話』をするだけ。そのために瑠花との時間を割くのは心底嫌だけど、これも瑠花のため)
「――瑠花には私がいればいい。……はぁ、早く学校卒業したい……こんなオスメスが充満してる施設、さっさと辞めたい。卒業したら瑠花と暮らせるし、瑠花は専業主婦で、私は沢山稼いで帰ってきたら瑠花がいる……そんな夢みたいな生活、早くしたいなぁ」
・・・・・・
瑠花は水鈴との約束通り校門で待っていた。
正直早く一人で家に帰りたい衝動があるが、ここで約束を無視すれば自分もあんな風になるのではないか、そんな恐怖が頭をよぎる。
「瑠花~!」
「わっ! 水鈴!」
「ごめんね、こんなに遅れちゃって。少し用事が長引いちゃって」
「……ううん、私も職員室で先生との話に夢中になっちゃって……さっき着いたところだから、大丈夫……」
上手く話せているだろうか。さっきまでの光景が瑠花には信じられない。
自分が知っている水鈴はおしとやかで優しくて、外から見ればまるで人形みたいに完璧に見える、だけど自分と二人きりのときは優しいのは変わらず、子供みたいに甘えたり、時折わがままを言ったりする。あんな無表情で淡々と人を傷つける子ではないのに。
確かに二人でいる時間がほとんどで自分も水鈴もあまりクラスの人達と会話はしないが、水鈴はあんなにはっきり暴言を吐く子だったか。
「瑠花……なんか元気ない? 大丈夫?」
「全然大丈夫だよ、元気元気!」
もしかして――、
水鈴はこちらを見ながら心配そうに声を掛ける。その表情は優しくて本当に自分のことを心配してくれている。
やっぱりさっきの出来事は嘘だったのか、そう思わざるを得ない程慈愛に満ちていた。そして、なんとなく安心しかけたときだった。
「――誰かに何か言われた?」
「え」
その言葉に瑠花は固まる。いつも心配してくれているとき聞いてくる質問のはずなのに。それで瑠花は心当たりがあったらその名前を零す。そうしたらその人は――?
(たまに聞かれることのはずなのに、なんでこんなに怖いの……?)
もしかして――、
(私が口にする名前をターゲットに……?)
「……やっぱり黙るってことは誰かに何かされた? 瑠花、私には遠慮なく言っていいんだよ? 私は誰にも言いふらしたりしないし瑠花を売ることもしない。今言ってくれれば、今後絶対に瑠花に手出しできないようにできる。だから言って? 何をされた? 何を言われた? 全部私がなんとかするから――相手が絶対にそんな気を起こさないように」
水鈴の表情が変わった。さっきまでの優しい表情が一気に変わり、見たことある表情。さっき空き教室の出来事のときと同じ表情をしている。無表情で、冷たい目。その表情、目を見るだけで、さっきまでの出来事が一気に思い出し、水鈴に対して『恐怖』という感情で埋まる。
「水鈴の顔……怖い」
「ご、ごめん! 私そんなに怖い顔してた!? る、瑠花、私別に怒ってないからこっち向いて~!」
思わず呟いてしまったその言葉に水鈴はハッとし焦ったように瑠花の周りをぐるぐる回り、顔を逸らす瑠花になんとかして誤解を解こうと慌てふためいている。
「本当……?」
「うんうん、ほんとほんと!」
水鈴の焦った顔。いつも水鈴が悪いときに拗ねると水鈴はすぐに謝って瑠花と仲直りしようとする。そんないつもの光景の表情なのに、何か奥にまだ隠しているような、自分が気付いていないさっき以上の水鈴の別の面がまだ隠れているような気がした。
この後は水鈴からカフェに行かないかと誘われるも水鈴といつもの状態で話せるか自信がなく断り、逃げるように家に帰った。
自分の部屋で今日の出来事を振り返る。瑠花が初めてみた水鈴の新しい一面。だが瑠花はそれを受け止めることが出来るかと言われたら、すぐに答えは出ない。
だってあれは完全な悪意だ。人のことを何一つ考えていない、自分本位。水鈴の話を聞いたとき、自分のことを考えていたのは分かった。だけどこれはあまりにもやりすぎだと思う。
(明日、少しクラスの人と接触してみようかな)
もしこれが水鈴の本性だとしても、水鈴は友達、いや親友として少しずつでいいから知っていきたい。これも水鈴のという人間の一部なんだって少しずつ知っていって、受け入れるようになりたい。
水鈴はこのことを秘密にしてる。だけど一人、最近の出来事でもしかしたら水鈴に接触しているのではないか、という人物がいた。明日、その子に近づいてみようと思う。
「目先の出来事だけで水鈴の全部を決めたくない……だからちゃんと私が知っていかないと!」
・・・・・・
ある少女の部屋には、その少女の友達である女の子の色んな角度から撮られている写真が部屋の壁一面に貼られていた。
普通に女の子がピースしている写真、お弁当を美味しく食べている写真、隠し撮りのような写真。そして、少女が知るはずもない、その女の子の自室でベットに寝っ転がっている写真や、自室の机の上であくびをしている写真。
ある少女――深海 水鈴は自室のベットに座りながらスマホから伸びているイヤホンを付け、何かを聴いていた。
《目先の出来事だけで水鈴の全部を決めたくない……だからちゃんと私が知っていかないと!》
イヤホンから聴こえてきた声は、瑠花の声だった。だけど決して、今二人は電話をしているわけではない。この瑠花の言葉も独り言のようなものだ。
「やっぱり、今日の出来事見てたんだね――瑠花」
水鈴は俯いた。けれど、それは知られて悲しいから、瑠花にあんな光景を見させてしまった後悔、なんて気持ちが渦巻いているわけではなかった。
水鈴の中にあるのはただ一つ――それは『喜び』だった。
「……やっぱり、瑠花は優しいなぁ」
水鈴の顔は赤くなっていた。何故か、それは今日の出来事を知った上でも自分のことを嫌わない、むしろ知りたいと思ってくれてる瑠花の言葉でやっぱり瑠花が好きなんだ、と再認識させてくれたからだった。
「瑠花はこんな私でも、知って受け入れようとしてくれるんだ……やっぱり好きだなぁ、抑えられないくらい」
瑠花と同じくらい自分のことは知ってる。瑠花に向ける愛情は世間一般的に見れば普通ではないことぐらい。
だけど、それくらい、抑えられないくらい、瑠花のことが大好きで大好きで大好きで仕方ないのだ。
きっかけはなんだったか。
瑠花に初めて出会ったときからもう好きだった、一目惚れだった。海の砂浜で初めて瑠花と出会って、あの頃はただ出会っただけで名前も分からず、気になった瑠花をずっと遠くから観察するくらいしか出来なかった。
お互いに家族と来ていた二人は互いに干渉せず父と母の元に戻ったが、水鈴は違った。
水鈴はずっと見ていた。遠くから、瑠花の様子を。あの時はまだ小学生にも入ってない小さな子供だったが、水鈴はもう自覚があったのだ。
遠くからずっと見ていた。声は聞こえなかったが、海ではしゃぐ瑠花、砂浜でお城を作って遊んでいる瑠花、かき氷を食べて両親に染まった舌を見せる瑠花、母親と砂浜で休む瑠花、父親と一緒に泳ぐ瑠花、全てを水鈴はずっと見ていた。
その日が終わり、小学校に上がるまでずっと瑠花に会いたい欲が溜まっていた。あの時は出会っただけでお互いのことは何も話してもいないし、そもそも会話もしていない。住んでいるところも分からない。もし瑠花が遠くからただ海に遊びに来ただけだったら、二人が会える確率なんて低い。――そう、思っていた。
だけど偶然にも住んでいる場所は一緒で小学校で再会できたのだ。すごくすごく嬉しかった。この時だけは神様にお礼を沢山言った記憶がある。
こんな機会逃すわけないと、すぐに瑠花と友達になった。遠くで見てたときより瑠花はすごくすごく可愛かった。
当時はそれで満足だった。瑠花に他の友達がいようとも、他の男子女子達と話していても、他の人の前で笑顔を見せていても。小学校の頃までは大丈夫だったけど――。
中学生になってから明確にこれが嫌、あれが嫌だと分かってきた。瑠花もただ可愛いだけじゃない、成長して大人の女性になっていく。その過程で他のオスメス共に目を向けてほしくないって本気で思うようになった。
瑠花の笑顔も、悲しい顔も、ドジったときの顔も、瑠花が見てるもの全てに私がいてほしい。瑠花の全部を私一人で独占したい。
瑠花には私がいればいい。瑠花の表情、呼吸、声、視線、全部全部私だけに向けていてほしい。私が瑠花の全部を分かっているから、私なら瑠花を一番幸せにできる。あんな表面上の関係で付き合っているオスメス共と私は違う。瑠花と私は心、いや魂そのもの全部が繋がっているから。私達はあんな浅い関係じゃなくて、もっともっと深いところで繋がっているから。
そう自覚したとき、モヤモヤしたもの全部が晴れた気がした。
私には瑠花がいて、瑠花には私がいる。それがあるだけで幸せだから。
だから高校に入ったと同時に瑠花の部屋に盗聴器と隠しカメラを何個もしかけて、常に瑠花のことを見ていた。瑠花がいればいい、瑠花が傍にいてくれればいい。他のオスメス共に興味なんてない。だけど瑠花は純粋だから私が守らなくちゃ。
――他のオスメス共に汚される前に。
――瑠花には私がいればいいから。
――あんな奴らより私の方が瑠花のことずっとずっと大好きだから。
――だから無理してオスメス共と仲良くしなくていい。だって私がいるから。
――瑠花も迷惑でしょ? 変に絡んで、瑠花の体を触ってくるようなメス。瑠花のことをいやらしい目で見てくるオス。
――大丈夫だよ。瑠花に近づくオスメス共は全部私が消してあげるから。
――私は瑠花の全部を知ってるから。
――私には瑠花が、瑠花には私がいる。だって私たちは両想いだから。
――そうでしょ? 瑠花。
水鈴は狂っている。だけど瑠花がいるから正常でいられる。
水鈴は壊れている。だけど瑠花がいるから普通でいられる。
水鈴はどこか欠けている。だけど瑠花がいるからありのままでいられる。
瑠花への異常な愛が唯一水鈴を正常でいさせてくれる。二人でいてこそ水鈴はありのままの自分でいられる。
(大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き。愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してるアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテル――ずっとずーっと、愛してるよ、瑠花♡)
瑠花はまだ水鈴の本質を知らない。いや、水鈴はそれを瑠花に気付かせてはくれない。瑠花が本当の水鈴を知ることになるのは、本当の意味で『二人っきり』になったときだから。
今二人は高校二年生、案外その瞬間が訪れるのはもうすぐなのかもしれない。
――そう、誰にも干渉されない二人っきりの空間で、二人はお互いに溺れ続ける。