28 後日談 あまい静かな昼下がり
春の陽ざしがやわらかく傾きかけた午後一時。
西浜青は、いつもより早く漁から戻り、静かに自宅の玄関を開けた。潮の香りが衣服に染み込んでいる。
まだ幼い息子たちは保育園にいて、家の中は静かだ。
「ただいま……」
小声でそうつぶやくと、畳の部屋にふわりとした白い影が見えた。
そこには、家事を終えたナギ──いや、かつての人魚・海原凪沙が、すやすやとうたた寝をしていた。
白いシャツが背中でふわりと波打ち、淡い紺色のスカートのすそが風に揺れている。
青はそっと靴を脱ぎ、足音を立てないようにそばに座る。
そして、そっとナギの頭を自分の膝の上へと乗せた。
青は何も言わず、ただ黙ってナギの寝顔を見つめた。
夫婦になって3年、しかも、ナギだと分かって感無量なのに、こうして隣にいることが、今でも信じられないような気がする。
ナギがまぶたをふるわせた。
「……ん、んん……」
目を覚ましたナギは、目の前にある青の顔に驚き、体を起こそうとした。
けれど、動きは中途半端になり、思わず青のお腹のあたりに腕をまわしてしまう。
「おっと……そっちは俺の腹だぞ」
青がいたずらっぽく笑うと、ナギの頬がふわっと赤く染まった。
「……もう、いきなり……」
顔をそむけながらも、ナギはそのまま青の胸にしがみついた。
耳元で聞こえる鼓動が、どこか心地よくて、懐かしくて──幸せだった。
「今日は……家事はもう休んでいいよ」
青が、ふいに優しく言った。
「え?」
「たまには外で楽したっていいだろ? 子どもたちが保育園から帰ってきたら──ケンタッキー、行こう」
ナギは一瞬ぽかんとしてから、ぱっと顔を明るくした。
「ほんとに!? やったー!」
声をあげながら飛びついたナギに、青は少し驚いた表情を見せた。
──でも、すぐに照れたように目をそらす。
「……なんだよ。3年も夫婦やってんのに、まだドキッとするんだよな」
そのつぶやきに、ナギは思わず笑ってしまった。
「ふふ……それ、わたしも同じかも」
二人の笑い声が重なって、午後の部屋に広がっていく。
障子越しに揺れる風と、海の向こうから届く春の光。
日常という名の奇跡の中、今日もまた、小さな幸せが重なっていく──。




